2009年12月18日金曜日

小松菜の独り言




近所の畑に生えている小松菜を見てほげーっと思う。
「やっぱ、そうなのかなあ…」
濃い緑色に光った小松菜さんたちは、穴ぼこだらけ。虫にしっかり食べられている。こういうのを、
「わしんとこの野菜は、虫が食うほどうまいんじゃ」というのだろう。

うちの小松菜は濃い緑色はしていない。むしろ若葉の色のようで、そこらの雑草とほとんど変わらない色をしている。しかし虫に食べられてはいない。常識で考えると、これはまずいはずだ。雑草に栄養を取られて、色も薄い。しかも虫も食べない小松菜。
ところが、とって湯がいてみると見事な濃い色になり、その甘さはすごい。
「ああっ…」うまさでおもわずよろけてしまう。えぐみもなく、なんともいえないこくのある味がする。そのまま食べてもいいくらい。

自然栽培をする人々は言う。
植物たちは大地に入った毒素を自ら吸い上げて大地を浄化しているのだ。そしてそれをまた虫が食べて浄化する。そうやって彼らは常に大地を正常に保とうとしているのだと。

普通は生えない雑草を畑に生やしていると、季節ごとに次々と植生が変化しているのに気がつく。庭の土もそうだ。毎年同じところに同じ草は生えてこない。常に変化している。
夏の草は上に上に伸びようとする。一見草に覆われて見えるが、足下は案外隙間だらけだったりする。それは大地をひんやりさせる効果があるのではないだろうか。冬の草は地面にべったりとへばりつくようにして身を低くする。それは大地を覆い、地面を冷えきらないように暖めているように見える。

草一本ない畑は、今はなんだか寒そうに見える。でも草ぼうぼうだと、地面は暖められているように感じるのは、わたしが素人だから?

でも本当はもっと複雑で、私たちが全く知らないことを彼らはひたひたともくもくともっと大事な仕事をとり行っているのかもしれない。だからこそ、すべては必要があってそこに存在するのではないだろうか。わたしたちニンゲンが、まったく推し量れない方法で、ゆっくりと確実に。

先日の母の小指の一件もそうだし、こうやって畑を触っていても思うのは、ニンゲンが見ているのは、本当にほんの一部で、その一部しか見てないで、すっかり知った気になっちゃって、よけいなことばっかりやっている。でも心の広い自然さんは黙ってそのおろかな私たちにすべてを与えてくれる。

野菜を育てたいと思うあまり、肥料を与える。しかしその肥料が大地にとって不自然なものになるから、それを野菜が必死で吸い上げ、そしてそれを虫たちが食べて浄化する。ところがそれを見たニンゲンは、この虫がいけない、この草がいけないと、とりのぞくために農薬をかける、草を抜く、虫を殺す。しかし、それが大地にとってまた不自然なものであるから、また草はその薬にまけないような新たな品種に代わり、虫も新たな形で出現する。そこでまたニンゲンたちは「こっ...この草が….」とはじまる。でもそんな状態の野菜さんを食べているのは誰?

石けんもそうだ。ここまでアレルギーが増えたのも、私たちが菌はいけないものと判断し、おなかの中まで悪玉菌、善玉菌と分類し、これはいいけどあれは悪いと始まったところから、何かのバランスが崩れ始めたんじゃないだろうか。
私は石けん使わなくなって8ヶ月たつけど、石けんいらないもんね〜。乾燥した部屋でも喉の痛みもなく、快適。

おなかが痛くなる。するとこれはなにか異常事態だ!と、病院にいってお薬をもらう。でもおなかが痛いのは、その体の中に入った異物を取り除くために体が働いている状態なのだとしたら、体は困ってしまわないだろうか。彼らはその痛みで、何かを動かしているのだとしたら、それを薬で止めてしまうことは、また新たなアンバランスを生んでいくのではないだろうか。
「だから、今治しているところなのにい〜」って。

今の時代はそれがぐちゃぐちゃになった状態なのではないだろうか。
もういっぺん最初に戻ってみる時なんじゃないかとおもう。すべてのものは、必要があって存在するんじゃないだろうか。あらゆる「常識」といわれている観念もふくめて。それになんか、あれしちゃいけない、これしちゃいけないと、めんどーじゃない?

自然農の川口さんの言葉がこういうときはしみる。
「困ったときは、そのままにしておけ」
それは単に受け身とか、なげやりという意味ではない。もっと勇気のいることなのだ。受け身どころか、能動的な行為ともおもえてくる。すべてをゆだねてしまえる強さ、明け渡す決断力。

はあ〜、わたしにゃ、ほど遠い石力だ。(あれ?意思力か。同じ意味かも)



絵:コージーミステリー表紙

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

雑草の件、確かにそうだねぇ・・・。
自然はすごいね。
人間は自然からどんどん離れていってるねぇ・・。

つくし さんのコメント...

もう、そろそろ自然に帰ってくるような気がするな。
きっとどこかで離れきるのは耐えられなくなると思うんだな。とくに日本人は。

昨日もこれから自然農と自然農法をやろうとする人が畑に遊びに来たよ。藤野ではじめるんだって。
なんか今までの不自然さを感じはじめている人が増えてきているんじゃないかな。
これから少しづつ変わって行くと思う。