「君の考え方はずれている。
僕の質問の答えになっていない」
「君はいつもそういう言い方をする。
それは僕を不快にする」
そう言われるたびに、
「自分は間違っている!」と感じ、
恐れおののく。
「ち、違う。。。そういう意味じゃない。。。」
と言っても相手には届かない。
相手が愛を求めていることがわかっているからこそ、
こういう考えはどうだろうと提案するが、
それがかえって火に油をそそぐ。
ああ、やっちまった。。。
相手に対する恐れと怒りが出てくる。
恐れと怒りはセットになっている。
存在を揺るがされると、人は怒りで防衛しようとする。
これは何を私に教えてくれようとしているのだろうと聖霊に問い続けた。
そして「自分は間違っている」
あるいは「間違っているのかもしれない」という信念があることに気づく。
「あなたは間違っている」と言われることが心底恐ろしい。
だから「あなたは間違っている」と言われるのが投影の仕組み。
知ってはいたが、その仕組みをまともに見て、
今度こそその信念と真剣に向き合わなければいけないと思った。
そしてじっと考えた。
幼い時、警察官の父に、
「嘘をつくな!」と怒られたことがある。
嘘はついていなかった。
しかしそう言われると、
私はだんだん嘘をついている気になって泣いた。
間違ってはいけない。
嘘をついてはいけない。
間違うとか嘘というものは、神の世界にはない。
それが分離であることがわかる。
この世界のものだ。
分離。。。
Aさんから見た世界は、Aさんから見える世界しか見えない。
Bさんから見た世界も、Bさんから見える世界しか見えない。
浜に立って、海に顔が向けば海が見える。
浜に立って、海に背を向ければ海は見えない。
「何が見える?」
「海!」
「嘘だ!海なんか見えない!」
それぞれが見たものを言えば、
それは間違っていると言われて嘘をつくことになる。
仮にいくら私の目の横に、相手の目をくっつけても、
目の位置だけ見ている世界がずれる。
どうやっても「同じ」ものを見ることができない。
誰かの目と私の目を重ね合わせることもできない。
これが分離の世界だ。
これが知覚の世界だ。
ただそれぞれが自分が見たものを言い合うだけだ。
間違いと嘘だらけ。
それぞれの解釈と判断でさらに分離する。
それがこの世界の道理。
「私だけ」が間違っているわけではなかった。
この世界のすべてが「間違い」なのだ。
それに気がついた時、心が少しほどけた。
知覚と言う五感で世界を見ている限り、
兄弟との間では違いしか見えない。
分離したいという間違った思いの世界の中で、
思いを一つにすることはできない。
この間違いの世界を使って、
つまり、ここで必死にどうにかしようとすることの無意味さを知るためにこの世界はある。
その先に心を向けるために。
その気づきを相手とシェアした。
そこにこの世界に立って話していない二人がいた。
水平線上にいない二人。
その時、心は一つになっていた。



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