2025年9月30日火曜日

正しいってなんだろね

ススキと秋の山

 

正しいってなんだろね。


この頃そんなことを考える。


奇跡のコースやってると、人の数だけコースあるんじゃね?と思えてくる。

同じ本を学んでいるのに、みんな違うのだ。


何とかして意見の一致を試みる。

でもどうにもかみ合わない。


じーっと考えると、どうも私は「私の方が正しい」と思っていた。

それは相手も同じだ。

「私の方が正しい」と。


だからくいちがっちゃうんだ。


人は他の人と答え合わせをしたい。

一緒だよね。あーよかったーって。




先日、陶芸教室のグループ展に参加した。

搬入の時、先生が生徒に向かって怒った。

それはすさまじい怒りの爆発で、生徒もそれに応戦する。


私は第三者的に見ていたから、

先生の意見も生徒さんの意見もどっちも正しいのだよな~~と思った。


でも火の粉が私に向かったら、

「絶対私の方が正しい!」ってなると思う。


人は正しさを求める。


でもその正しさとは、その人の考えや立場によって作られる曖昧なものだ。


このところたくさんの人たちと話をした。

その人それぞれの考えがある。


ふと思う。私と同じ考えの人はいるんだろうか?と。

そしたら、あろうことか、誰もいなかった。まったく。

いつもしゃべっているダンナとでさえ、同じではない。

ちょっとショック。いないんだ。私と同じ考えの人は。


私は心のどこかで、同じ考えを持つ人に会いたいと思っていたのだ。

これは完全に無意識だった。


だから考えの違う友人と、

どうにかして足並みを揃えたいと切に願っていたんだ。

でもそれが不可能だと知った時、なぜか心は静かになった。


言葉は自我の領域の道具だ。分離を生み続ける道具。

その道具は、相手と一緒になろうとして使えば使うほど、どんどん離れていく。

つまりそれで一緒になることはできないのだった。




ほとんど無意識だが、私たちは「自分が正しい」という思いで行動する。

でもそれをひとたび指摘されると、イラっとする。

それは心の中に「私は正しくあるべきだ」と思っているからだ。


それは言い換えると、ひょっとしたら私は間違っているかもしれない。。。

という恐れがあるわけだ。


ひょっとしたら、私は間違ってる。。。?

っていう思いがあるから、

「あなたは間違っている」と言われたら、図星のあまり怒る(笑)。

「正しい」自分を守るために防衛という攻撃を開始する。


こうしてヒリヒリするような緊張感の中で、日々人と接し生きている。


この中で答えは見つけられない。

言葉と言葉の応戦が続いてくだけになる。




その言葉を通り越して、その後ろを見る。

後ろには言葉ではない、素の私たちがいる。


その素の私たちは、愛で満ちていて、いつもニコニコしている。


言葉と言葉はぶつかり合うけれど、

愛で満ちた見えない存在を思い出すと、

あ、そうだった。もう一緒くただったんだよな~ってなる。


ひとつの心が、バラバラになったふりをして、

この分離の世界でいる気になっているからだ。

ほんとはひとつなのに。



この世界は正しさで満ちている。

どっちが正しい、どれが正しい?


それをいうなら、みんな正しい。


でもそれは本筋ではない。


自分の正しいを確認したって、いっときホッとするだけのこと。

また次の瞬間、正しい?間違ってる?って戦々恐々とする。


そっちより、幸せ、喜び、楽しさ。

それが本当に実在するもの。


そっちがいいな。








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2025年9月26日金曜日

神で満たされている私たち

 

陶芸展に出した作品「カラスウリ」

夢で自転車を盗まれる。


目が覚めて、

「あ、夢だった。自転車あるじゃん」とホッとする。


もひとつ見た。

みんなで鍋を囲むための土鍋が足りない。

いくつかかき集めようとあくせくするが、

「あれ?何人来るんだっけ?」って考えたら、二人だけだった。

なんだ。ひとつ土鍋があるからそれで十分じゃんとホッとする。



目が覚めて思う。

私たちはずっと足りないものに心を奪われている。


水分が足りないから補給、

ビタミンCが足りないから補給、

お金、人間関係、健康の欠乏、、、、。


ほとんどのことが不足感から無意識に動いている。

でもそれが満たされることはない。

食べてもすぐ消える。

お金もすぐ消える。

健康も不安定。

人間関係だっていつ壊れるかわからない。


「葛の花」



一体私たちは何を求めているのか。



神だ。


足りないのは神だ。

だが神はすでにここにいる。

神に満たされている私たち。


でもその私たちは神を忘れて、モノにばかり目をやっている。

自分の外に現れて見えているモノや、人や、カタチにフォーカスし続けている。

それで一喜一憂し続けている。


ここに答えなど見つからない。

一生安泰などない。




考えてみれば世の中の仕事のほとんどが、欠乏から生み出されている。

医者が足りない、看護師が足りない、

サービスが足りない、

パンだって毎日消えていくから作り続ける。

不足を満たしてくれる職業は大事にされる。


しかし私が作っているものに「足りないから」ってものはない。

器だって、原始時代じゃないんだから、家に有り余るほどある。

絵だって、買わないと死ぬわけでもない。なくって全然ヘーキ。


なんで作り続けてるんだ?

わからん(笑)。


不足からとか、不足していないからとか、

そんなところに立たないことかもしれない。


無意識に不足を補うために行動するのではなく、

その無意識の自分の渇望感を知ることから、

そこからの脱出劇が始まる。


世界は存在していない。

そこでどれだけ溜め込んでも、どれだけ不足していても、

夢から覚めたら何もないのだ。


そこにあるのは神の愛だけなのだ。

愛で満ちている。


美は、その道しるべになるのかもしれない。

一見無駄なものに見えるそれが、

何かわからないものへと私たちを誘う。




楽しい、嬉しい、そんなおもいで作られたものには、

何かが入っている。


不足から買うのではなく、

「うわ!」という出会いと喜びで買うとき、

そこに神がすっと入ってくる。


そして元々ここは神で満たされていたことを思い出す。


「木の葉」










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2025年9月21日日曜日

量子力学とコース

 

ミステリー表紙イラスト

ちっちゃい時、この世界は私が見るから現れると思ってた。

だから私が見ていない(見れてない)ところは真っ暗で何もないと。


それでも自分の目の前に立っている母が、

本当は後ろが何もないハリボテだと思うのはなんだか悲しかったので、

彼女の後ろに手を回して割烹着の結び紐を触って

「うんあるある。かーちゃんはいるんだ」と確認していた。


大人になってこれが量子力学だと知ったが、

そこから先にはなかなか進めなかった。

なぜなら奇跡のコースが言うにはこの世界はない!からだ。

量子力学は物理学。物質があると言う前提である。


ところがどっこい。

先日量子力学の話をしている動画を見て「あ」と思った。


私が見るから世界は現れる。


量子力学はそれを「物質」と言い、

コースはそれを「幻想」と言う。

ただそれだけの違いだったんだと気づいた。


物質はないんでしょ?

世界は幻想なんでしょ?

それだけの違いって何?


ものすごい違いのように見えるけど、

どっちの視点で見るかだけの違いだった。


前者は自我とともに見ている視点。

後者は聖霊とともに見ている視点。


自我にとってはこの世界は実在する物質世界。

聖霊にとっては私の目を通して見えてはいるけれど、

実在しない世界と知っている。


見えているものは、実は自分が見たがっているものだ。

見たがっているものは、深いところで信じているもの。

だからそう簡単に望んだものは作りだせはしない。

だって望むってことは、「ない」って言ってるようなもんだから。

かえって深いところで信じているものが露わになる。


だから見えているものは、どう物質化させるか、ではなく、

どう幻想を現させているのかを知るために量子力学を使う。


波は見ることで粒(物質)になる。

これは、幻想を出現させる方法を説いていたんだ!


誰が見たがっているのか。

誰がこの世界を見ているのか。

そこから始まる。


そいつがいない限り、この世界は存在しない。

つまり私だ。

私がこの世界を作っている。

幻想の宇宙を。

私が見たいものを見ている。

幻想の宇宙で。


自我とくっついた私は、オリジナルな自分を忘れてしまった。

神から離れたらどうなる?

と思いついちゃったことから、ひえーとんでもないこと考えついちゃった!

と、その罪の意識がこの世界を作り出し、その世界に没入している。

全てを分離させる形を作り出した。


そして作り出した張本人なのにそのことを

スッコーンと忘れるという離れ業をやってのけた


のが私(爆)。


だからこそ、コースはこの世界のすべてを忘れなさいというのだ。

この世界で教わったすべてを。


この動画は、どうすれば望むことを

現実化させられるかを話しているけれど、

どうしてこの世界が作られるのかを教えてくれるヒントとなる。


そして潜在意識という名の罪悪感(この世界を作り出すガソリン)を思い出していく。


そのドロドロのガソリンを見つけたら、

聖霊にどんどん持って行ってもらうことにするぜ。










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