行き当たりばったりの人生で、ぶち当たっちゃあ、
そこで何かが生まれ、繋がり、形になっていった人生だったが、
それを思い起こすほどに、一番大事なことに気がついた。
「お前、あほちゃうか?まあええわ。
これから納品に行くからついておいで」
「君、何言っちゃってるの?
まあいいや。作品今持ってるんでしょ?見せに来れば?」
と言ってくれた彼らの想いがそこにあったのだ。
彼らの愛がなければ、今の私はない。私は愛に支えられている!
そうなのだ。全部愛だ。
仕事を依頼してくれるのも愛からだ。
できた作品にオッケーくれるもの愛だ。
そして却下されたり、直しが入るのも、それも愛ゆえなのだ。
今まで愚痴ってばかりだった~。
そしてまた自分へのダメ出しばかりだった~。
なんて自分への愛がなかったんだ!
自分への愛がないから、人の愛も感じられないのだ。
仕事くれても、プレッシャーばかり感じて、
わざわざくれたことへのありがたさを忘れてる。
とは言え全く感じていないわけではない。もちろん感じている。
しかしそれは本当の感謝ではなかった。
なぜか今はわかる。
自分が自分へ愛を与えてなかったからだ。
だから人からの愛を全面的に受け取れない。
私なんて、、、ゴミみたいな存在だから、、、
だから、、、そんな愛だなんてもの、受け取る資格なんてないわ、、、と。
見ているものがいつも罪ばかりだったから、
自分ができないこと、できてないこと、いたらないこと、
欠けているものばかりに目がいっていた。
直しが来ないように、問題を起こさないように、そればっかりだった。
だから苦しかったんだ。
だけどクライアントは、私の絵の喜びだけを見てくれてた。躍動的な明るさだけを。
自分が自分そのものを受け取っていれば、
その喜びはさらに喜びを増し、どんどん広がっていくのに!
だから内田氏に私の生き様を受け取ってもらえたことは、
私自身を肯定することになった。
今自分の過去の作品を洗いざらい見ている。
今まで悲しみで見ていたものが喜びの心で観れる。
一枚一枚過去のものを眺め、スキャンし、デジタルに収めていく。
まるで自分の過去を一個一個心に入れていき、浄化しているようだ。
今までは、それを受け入れなかったからこそ、
そこに汚点として「存在」していた。
でも受け入れることでそれが消えていく。
不思議な体験。
それは癒しとも言える。
私から作品という愛を創造し、
それを自分自身で受け取ることで、
それは光となって放射されていくのだ。
絵:ラブロマンス表紙イラスト
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