母の油絵一番最近の作品。ほとんど抽象画になっている
スタッフの方々に挨拶をしてのち、母が先に行った食堂に向かった。
わたしはそこで、食堂のテーブルに車いすで座っている母の後ろ姿を見て凍りついた。
そこには見知らぬ老人たちに囲まれて、えんじ色のコートを着て固く身をこわばらせた彼女がいた。
「こんなところに母を置いてしまった!」
どこに彼女がいるのかを現実的に直視したと同時に、大きな後悔の念が押し寄せた。
全身の血の気が引いて罪悪感に押しつぶされそうなまま、彼女に近寄った。
老人たちの奇異の目が私たちに向けられる。
私は母の手を強くぎゅっとにぎった。
「がんばって。。!」
それ以上何も言えなかった。
映画、楢山節考を思いだした。
私は山に母を捨ててくる息子の気持ちになった。
初日から連続でほとんど寝られなかったが、この夜はそれがピークを迎えた。
母を施設に送った罪悪感で頭がいっぱいになる。
もっと自分が稼げてたら、もっといいところに行けたのに、もっといい方法があったのかもしれないのに、自分の稼ぎのせいで、今彼女を苦しめている。。。!
日頃から自分の内面と向き合い、何を考え、何を感じて、どんな感情を引き起こしているのかを見て来た。そして一番の自我の特徴である罪悪感とも、長い時間をかけてていねいに対峙して来た私だった。
それが木っ端みじんに吹っ飛ぶ。
怒濤の思考の嵐に悶絶する。
おびただしい言葉の渦が私を襲う。
そのすべては自分を裁く言葉だ。自分のいたらなさゆえの母の苦悩。そういう図式がぐるぐるとエンドレスでまわり続ける。
私はベッドの上でゆっくりと座った。
頭は完全に冴え渡り、荒れ狂う頭の中の言葉の嵐を
その声と同一化はせず、ただその声を静かに聞き続けた。
過去の出来事が走馬灯のようにパッパッと一瞬現れては消える。そこには幼いころの私の母とのシーンも浮かぶ。
その頃培われて来た考え、そして大人になってからの考え。。。
その時、自分がどれだけ彼女の考えが基盤になっていたかを知る。
自分の考えだとおもっていたものが、ほとんど彼女の考えに似ていたことをはっきりと見た。それと同時に私の思考の7割が、彼女に関することばかりだったことを。
そうだ。夜中にトイレに起きるたび、ああ母は今ごろどうしているだろう。。苦しくなければいいが。。。そんなことを何万回、何百万回考え続けて来たのだ。
私の罪悪感の大本は、彼女への罪の意識だったのだ。
それは幼い子どもが、この世ではじめて見た母への、せつないほどの愛情表現だったのかもしれない。
私は自分が彼女に感じていたすべての罪の意識をゆるした。
そしてすべて手放すことにした。
母の日本画
翌朝、母のいないアパートにいく。大家さんにアパートの鍵を返すためだ。
母が描いて来た日本画や油絵や着物や食器も、ありがたいことに友だちにけっこうもらっていってもらえた。あとの処分は業者さんにお任せして、私は鍵を返した。
帰りの飛行機の前、時間がまだあった。
「おかあさんとこ、寄る?」
最近は、行きも帰りも高校時代からの友だちの車に乗せてもらっている。
「う~~ん。。。いいや。。」
「なんで?」
「だってえ。。。会いたくないとおもうよ。彼女。。」
といいつつも
「流れに身を任す」
とかなんとか言っているうちに、
友だちは、母のいる施設に車のナビをあわせていた。
母の部屋に顔を出すと、案外元気な顔で迎えてくれた。
「お母様、昨晩も今日もごはんを召し上がられなかったんですよ」
スタッフの方が心配して顔をだしてくれた。
「徐々になれてくとおもいます。気長によろしくおねがいします」
「お味噌汁、おいしかった」
と、彼女。
「え!ああ!そうですか!ああよかった~。心配してたんですよ。おいしくないんやろか~って」
スタッフさんも十分気づかってくれている姿がうれしい。
施設はいつも彼女が朝食べていたものに出来るだけあわそうとしてくれていたが、彼女は頑として断る。しばらく押し問答していて気がついた。
彼女は本当にここにきたのだ。ここにきたからには、ここのルールに従う。
そういう覚悟がはっきりとみえた。
帰り、彼女に呼び止められた。
「なに?」
「いってらっしゃい」
彼女は手をふった。
「はいっ。いってきま~す!」
私も手をふり返した。
それはあのアパートでいつもやっていたように。
私も手をふり返した。
それはあのアパートでいつもやっていたように。
もうここは彼女の家になった。
絵:上/母の油絵
下/母の日本画
絵:上/母の油絵
下/母の日本画
0 件のコメント:
コメントを投稿