2019年12月11日水曜日

母の決心2

母が描いた日本画 ヒメジョオン
翌朝、母のアパートに行く。


三日連続で彼女の妹がやってきて、アパートにあった茶箪笥、鏡台、螺鈿入り漆塗りの座卓、自転車、絨毯、椅子、花瓶、漆器、お重、鞄の数々を持っていったらしい。

すこし空間が開いた部屋に、すこしだけ小さくなった母がわらって迎えてくれた。


六畳の部屋のまん中に、四つの衣装ケースと縦長の籐のタンスと布団。
それだけが彼女のすべての持ち物となった。


「お茶、入れよか。お急須は?」
「ない。妹が持っていった」
「お急須まで!?」
2人で大笑いする。
母と2人だけで過ごす最後の時間に、暖かいお茶はなかった。仕方ない。コンビニでペットボトルのお茶買って来よう。


お茶を習い、お茶の味に精通し、長年仁淀川の近くで取れる高級な緑茶を好んで飲んでいた母。毎年そこの新茶を送ってくれ、私もその味に親しんでいる。そんな彼女であるにもかかわらず、もう高級茶葉を名残惜しむ様子はない。彼女の覚悟が一瞬見て取れた。



父との離婚後、30年間住んで来たこの部屋を引き上げる。
今日一日で事務的なことをすべて終らせ、明日彼女は施設に向かう。


はじめは私とダンナで一週間ぐらいかけて、この部屋の処分をするつもりだった。
だがケアマネさんが機転を利かせてくれ、業者さんに一気に処分してもらう手はずを整えてくれた。そういう例をたくさん見て来られた方は、その判断が早い。遠くにいる身内の状況をよくわかってくださっているのだ。

ここまでの道のりを作ってくださったケアマネさんには、本当に感謝している。母のことで、彼女にはずいぶんとご苦労をおかけした。
地元を遠くはなれて住む娘には、じっさい何の力も持ち合わせていないことを思い知る。介護の人々の支えがないと、私たちはまったくここまで来れなかった。




母はいわゆるお嬢様だった。
「世が世なら、あなたはお姫様」と言われたらしい。
それがどういう意味なのかは置いといて(笑)、県庁に勤めるまで、彼女は「お金」という存在を知らなかった。浜まで出るのに、他人の土地を踏まずにいけた。360度見渡すかぎり、自分の土地だった。屋敷にある蔵の階段は大理石、築山にはいつも美しい花がきれいに手入れされていた。
没落貴族。その言葉がよくにあう彼女。


アパートに残っていたありとあらゆる高級品はすべて捨てていく。
着物、食器、漆器など、一切持っていかない。
「これ、ほんとに全部捨ててええが?私も持っていかないよ」
「えい。全部いらん。もう十分楽しんだ」

自分が描いてきた絵までもいらないという。
その中でたった一枚だけとりあげた。それは果物が描かれた絵だった。


「美味しいものがいっぱいあるから」

美味しいものが大好きで、それを極めて来た彼女。
その彼女がこれから人が作った料理をいただき生きていく。
ゆいいつもって行く果物の絵の中に、その心の救いがあるのだろうか。


母が描いた油絵




海に面した小高い丘の上に、その施設はあった。
古いけれど、だいじに丁寧に使われている。山の上のロッジのような内装。中庭には花壇もあった。
母の絵は何枚か気に入られて、もらってもらった。
なによりもほっとしたのは、施設で働く人々がとても感じのいい人たちだったことだ。



施設に着いた彼女は毅然としていた。
元貴族の風格は今でもある。まるで武士の妻のごとくその帯に懐刀をしのばせ、いざとなったら死をも怖れぬ覚悟を持った母。
泣き言は一切言わなかった。

施設では2人部屋。

これからどんな生活が待っているのか。




絵:上/母の日本画(賞を取ったもの)
  下/母の油絵


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