2008年12月3日水曜日

母の背骨



日頃、コンピューターのマウスぐらいしか持ったことのない超軟弱な私。
このところの休みの日には畑に通う。先日生まれてはじめて『クワ』というものを手にし、
うれしさのあまり、調子に乗ってふりまわした。

昨日、営業に出かけようと準備をするうちに、カラダがおかしなことになって来た。
右肩の後ろの方が痛い。その痛さはだんだんひどくなる。そのうち息をするのも痛くなった。
そうして立っているのも座っているのにも激痛が。
「ぎえ〜」「いで〜〜〜」「うわ〜ん、おかーちゃ〜ん」
人は痛いと声が出るものらしい。

ダンナにふとんを敷いてもらい、営業に行く格好のまま、痛みで大声をだしながら、ふとんにもぐる。
痛さで泣いたのは、何十年ぶりだろう。
泣く泣く、営業先にドタキャンの電話を入れる。本当に申し訳ない。
あのあと一日中爆睡してしまった。よっぽど疲れていたようだ。


こんなことがあると、母の背骨事件のことを思い出す。
彼女の苦悩に比べたら、私の痛みのなんと軟弱なことか。

思わず書いてしまおう。
あの、フジギな事件のことを。



あれは、2年前の1月15日深夜。
母は寝床から立ち上がってトイレにいこうとした。

寝ぼけていたせいで、カラダはバランスを崩す。よろっとしたところを体制を戻そうとして、まっすぐお尻から床に落ちた。重たい全体重が尾てい骨にかかる。ものすごい激痛がからだ中を巡った。
「ギッ、ギヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
真夜中に雄叫びがアパート中にひびきわたった。

「あの痛さは、生まれてこの方一度も味わったことがない」と彼女。
みぞおちが苦しくて息が出来なくなった。それで座布団を腰の下に引いて、はじめて息が出来るようになったと言う。痛みが地の底から這い上がってくるかのようだったそうだ。
不幸なことに次の日は行きつけの病院がお休みだった。彼女はその日一日痛みをガマンして、2日後に病院に行った。


レントゲンを見ると、腰椎の一番下から上に向って11番目までが消えていた。先生は3枚撮った。3枚とも同じ結果だった。

「ほら、これが下から5つ目の第1腰椎。それだけ残してあとは全部粉々になったんよ」
先生はレントゲン写真を指差してそう説明した。
首から下に向って半分までは背骨があった。でもそこから下はなかった。まん中あたりに一個だけ腰椎がのこっている。それが第1腰椎なのだろう。心細げに宙に浮いていた。

母の背骨は下半分があの晩尻餅をついた衝撃で木っ端みじんになっていた。母は72才。すでに老人だ。尻餅をついただけで、背骨は粉々になってしまうのだろうか。これが老化現象というものなのか。
彼女の背骨は、ひとつぶひとつぶが米つぶのように細かく見事に炸裂していたのだ。ゆいいつのラッキーと言えば、その無数の破片のひとつでさえ、脊髄に触れていなかったことだ。もしひとかけらでも触っていたなら、激痛で失神していたことだろう。

「先生、これ、治るが?」と、母。
「心配せいでも、あたしが治しちゃらあね!」
どこかイライラしたような口調だった。無理もない、母は、先生の母親が現役の医者だった頃からの患者さんなのだ。付き合いは長いし、母の体のことはよく知っている。

コルセットを作るために、べつの部屋に移った。横になって看護士さんに腰のサイズを測ってもらいながら、
「ねえ、骨って治るが?」と心細くなった母が聞く。
すると、看護士さんはため息をつきながら、
「骨は、ねえ〜......」といった。

母は、自分専用のコルセットができるまで、仮のものをもらい、湿布、痛み止めの薬、筋肉弛緩剤、そのための胃薬、そしてカルシウムの吸収をよくするビタミンGをもらって家に戻った。
はっきりいって、気休めの薬たちである。対処療法とは、こんなに心細いものなのか。骨を再生させるための薬などないのか。

母は痛みの中で、一人心でつぶやいた。
「あのバラバラになった骨は全部、今あたしのからだの中にあるがよね。
ほんなら、ただ集めりゃいいだけのことやないの....」

つづく.....


絵:『T&R』掲載イラスト

2 件のコメント:

おとうぷ さんのコメント...

つづく・・・って・・・
気になるじゃないですか~!

近頃お会いしていませんね~☆

つくし さんのコメント...

お。おひさしぶり。
ここん所寒くって、散歩できない...。暖かい格好して、また会いにいきます。

へへへ、気になる?
今度からこれで行こうか。
(ず〜〜〜っとひっぱっちゃって、結局オチがなかったりして....)