2019年6月4日火曜日

能力主義の呪い




「仕事ができないヤツはダメだ」
そう教わってきた。
とーちゃんに、学校の先生に、仕事の上司に、クライアントに。

いつのまにか、仕事ができることが自分がここにいていいと言う許可をもらえることであり、仕事ができないと言うことは、この世にいる価値なし!!と有罪判決をもらうことと同義語になった。

だから必死で仕事ができる人になろうと努力してきた。
だがしかし。
仕事ができる人になろうとする事じたいが、その大前提に「私は仕事ができないひと」というレッテルを自分に貼ることになろうとは。
ちっちゃい時から、「わたしは仕事ができないひと」というレッテルとともに生きてきたのだとすれば。。。

「よくできましたねえ~~」と、先生にあたまをなでられようと、その一瞬だけ「やった!」とよろこび、次の瞬間、「さて!今度頭なでられるためには。。。」と、次の一手を考える。そうやって58年間生きてきた。

つまりここにいる価値なし!という焦りが、つねに何かをして他人にほめてもらおう、または自分で自分を納得させようとし続けていたと言うことだ。
それが私のフェイスブックに現れている。「いいね!」を欲しがる自分に。

だがこれはきりがない。
延々と、能力主義の呪いにかかったままだ。

畑の成果を見せ、
作品を見せ、
リア充を見せ、
成功例を見せ、
時には失敗例を見せ、、、、

そうやって、誰かに、私ここにいていいだろ!?
ねえ、ほんとにいいよね!?
と、聞きまくっている自分。

ほんとは、畑の成果も虚しい現実。
制作中に作品に対する葛藤の日々。
部屋は汚くても、写真の中だけ美しく見せるしたたかさ。
そういう自分をリアルに感じて、
なおさら自分の無力さにおちいる。
そして出てくる言葉、まったくここにいる価値なし!

できる人、できない人
という明暗がどんどんかけ離れていく。
自分の中で表の顔と裏の顔がはっきりと分裂しはじめる。

そして、その苦しさが頂点に達した時、
「これ、必要?」
とおもった。

能力主義というコインの裏表/できる人できない人。
このコインをずっと握りしめていたんだ、私。

ほんとうは、誰も私の作品が良いことを必要とはしていないし、
畑の成果を必要ともしていないし、
私のリア充を必要ともしてはいない。

私だけが、必要としていた。
それは自分がここにいていいと言われるために。

誰もそこにいてはいけない、とは言ってないのに。
何もしない君は、そこにいてはいけない、とは言ってないのに。


自分で自分に呪いの言葉を浴びせ続けていた。
自分を苦しめていたのは、心の中の言葉だった。

あれがダメだ。これもダメだ。それもダメだ。

それを聞いた私は、そうか!やっぱあれがダメなんだ!なんとかしよう!そしてそれをなんとかしたなら、またみんなに認めてもらえる!

心の声をまに受けて、声の言うまま続けてきた声に、
「それ、ほんとに必要?」
と疑いはじめた。

内側から聞こえてくると思っていた声を、外のものとして聞きはじめた瞬間だった。

否定してくる声が、いかに自分を怯えさせ、焦り、何かをしようという衝動を起こさせていたか。その混乱の中でいかに怖れをつかんでばかりいたか。

自分に条件づけをせず、ただ生きることが、どれだけ楽であったことか。

58年間近く聞いてきたこの声。
そうやすやすと消えてはくれないだろう。


それでも、すこし安堵しているこの頃な私である。



2019年5月28日火曜日

苦労話は通じないと効き目がない



「苦労なんかしてないでしょ」

その言葉にひっかかった。
私が?苦労してないひと?
んなわきゃないやろ。どんだけ苦労してきたと思ってるねん!
心がぶつぶつ言った。

そのとき「苦労は美徳」という観念が私の中にあるのに気がついた。
「苦労は買ってでもするもの」
そういうふうに教えられてきた。

だから人々の会話の中に苦労話が多い。それは苦労話をすることで、
「それは大変だったねえ~。エラかったねえ~」
と言ってもらうことによって、自分の価値を他人にあげてもらおうとする。
承認欲求は、苦労話でも得られる。むしろメインと言えるかもしれない。
「三時間しか寝てない」「一睡もしてない」



ところがその苦労話も、共感できる内容でないと効き目がない。
理解できない内容の苦労話も他人にとっちゃ、
「はあ、そーですか。それはそれは。。。」では自慢のしようがない。


冒頭に苦労なんかしてないでしょと言った人は、いつもへらへらして、アホなことばっかり言う私をみてるからなんだろう。

彼女はいわゆる苦労を絵に書いたようなひと。誰が聞いても誰に言わせても苦労100%のひと。それを自慢にしているのはあきらかだった。わかりやすい苦労話である。

しかし私の苦労は、あんまり共感が持てない苦労話。
グリーンカード取得の苦労、アメリカ生活の苦労、営業の苦労、絵を制作する産みの苦しみの苦労、過去のトラウマの苦労、心の癖の苦労。。。
と書いてみていやになった。

共感が持てない苦労話は、他人に言うに値しない。
苦労話自慢はそれが通用するひとにしか効き目がない。
私と同じ境遇のひとなんか、ひとりもいない。



苦労話は競い合う。
あなたより私の方が苦労が多い。
君より僕の方が苦労が上だ。

三時間睡眠より、一睡も寝てない方がえらいが、
数字で換算されるように比べられる苦労はあんがい少ない。
こっちのほうが上だ!と、互いに無言で競い合っているのがオチだ。

ご近所のおばさんの会話も
「あたしはこうなのよ」
「あら、あたしはこうなのよ」
と、話しの中に何の絡み合いもなく、お互いの一方的な自分の苦労話がつづき、
自分のいいたいことを言い合って、気がすんだらおわる。
そんなかんじなのも、無意識が心の中で競い合っているのかもしれない。




苦労は美徳。
そうおもってきたから、苦労自慢がしたくなる。しかし共感はしてもらえない。
だからつねに他人の共感欲求対してに
「そうだね。苦労したね。大変だったね。えらいね」と言い続けるだけだ。

ほんとに苦労は美徳なのだろうか。

もし私の中に苦労を美徳とおもわなくなったなら、他人の苦労話に何の苦痛も感じなくなるだろう。自分を苦労話で認めさせようとすることもしなくなるだろう。

そして苦労をしなければ、幸せになれないともおもわなくなるだろう。
それだけ私の心の深いところで、苦労はするべきだ、という観念が居座っていることに気づく。

昔、幼いころ手相見のひとが私の手を見て、
「まあ、この子はまだこんなにちっちゃいのに、こんなに苦労の相が出ている。かわいそうに。。。」
と言われたことを思いだす。

そのころから、私は苦労が好きになったのかもしれない。苦労をしてこそ一人前、みたいな。苦悩の血をにじませて、苦悩とともに歩くひと。。。そんなイメージを自分に持たせていたのかもしれない。
悲劇は文学になるぐらい美しく見えるのだから。
(え?ぜんぜんみえないって?)



苦労はしなくても、しあわせになれるんやとおもう。
苦労の土台なしで、しあわせになれるんやとおもう。
うん。だんだんそんな気になってきたぞ。


苦労は美徳と言う観念。
私にはもう必要ないなあ~。





絵:「苦労話」はすればするほど職場がよくなる/MF新書表紙イラスト
本の内容とま逆のことを言ってます。失礼しました。



2019年5月25日土曜日

業者さんに持っていってもらう




夜中に目が覚めてトイレにいくたびに、ふと頭をよぎる将来への不安。

「このままでいいんだろうか。。。このままこの生活を続けていていいんだろうか。。。なにかしなければいけないんじゃないだろうか。。。」

朝目が覚めたとたん、また心は言いはじめる。
「このままじゃいけない。何か手だてを考えなければ!」

ずっとこう考えてきた。毎夜毎夜、毎朝毎朝。。。
そしてふと。。。



『ひょっとして。この考えが私を苦しめているんじゃないのか?』
はじめてそう思った。


この考えに後押しされて、今までどれだけやってきたか。
自分が思いつくかぎりのことをやりつくした。地球の裏側にまで飛んでいってやってきた。それがいまはどうだ。このありさまだ。

するとまた心が言う。
「それがお前がやってきたことの結果だ。その程度の考えだからだめなんだ。それじゃ足りないんだ。もっともっと努力をして、もっともっと苦しんで、もっともっと手をつくす必要があるんだ!」



「そっ。。。そうだ。もっともっと考えなければ!
って。ちょっとまてよ。
そう言ってるあんた、だれ?」



はじめてその声を自分の声として聴いてない私がいた。
心の声と自己同一化してない瞬間だった。

へんなたとえだけど、二人羽織の後ろのひとに気がつく。そんな感じ。

そのときその声がどれだけ自分を怖れの池に突き落としてきたか、
どれだけ焦りの火花で走りまくってきたか、
どれだけ悲しみの森で迷いまくってきたかに気づく。

「もういらない。こんな考え、もう私には必要ない!!!」
こびりついていたこの考え、無意識に「利用価値がある」と思って握りしめていたこの考えが、心底いらない!とおもえた。

「もういりません!神さま、聖霊さま、捨てちゃってください!取り消してください!」


自分では消せないし、捨てられないのは、これまで心を見る訓練をしているあいだにわかってきた。
最初は考えを浄化することによって消せると思ってきた。
次にそれを直視することで消えると思ってきた。

だが直視しても浄化しても、そこに限界があるのに気づいた。
自分では何もできないことに。




いらなくなった考えはゴミみたいなもんだ。どうにかしてそれを捨てようと、隣の家に持っていってもおこられる。山に持っていっても不法投棄。
そのゴミはなぜかまた自分のところに帰ってくる。

ゴミは業者さんという別次元の存在に頼むしかないのだ。
自分の生活範囲内で消せるもんじゃない。
いらない観念は自我の次元ではなく、聖霊さんの次元で取り消してもらうしかないのであった。

だから「お願い!これ、持っていって、消しちゃってください!」って。
完全他力本願である(笑)。


ふしぎなことに、業者さんに頼んでも、すぐには来てもらえなかったりする。
「頼んだよね?消えてるよね?」と、結果を見てもそうは問屋が卸さない。
火曜日は可燃ゴミ、水曜日は不燃ゴミ、、、というように、業者さんのご都合がある。
それはすぐに消える時もあれば、忘れたころに「あれ?」って消えてる場合もある。
聖霊さん/業者さんのご都合は、こちらからは預かり知らぬところなのだ。


そうしてあるときトイレにたってふと気づく。
「あれ?そういえばあの考え。。。。出て来んよね。。。」

苦しみがひとつ消えたことを知る瞬間であった。


家の中のゴミは、「いらないから、全部持っていってください!」
と言っても持っていってはくれない。

ひとつひとつ意識的に「これ、いらないよなあ~」と気づき、
自分でそれを持ち出して、ビニール袋に入れて、玄関前に置く。
それがマナーだ。

「おねがいしま~~す」
と、敬意を込めておねがいをする。




そうやってすこしずつ家の中(心の中)に、
ゴミ(雑音)が消え、
静けさと平安が広がっていく。





絵/サントリーニ島


2019年5月19日日曜日

ザ・ニンゲンワールド




畑からの帰り道、私の作業ズボンの上で、
二匹のホソヘリカメムシが交尾しているのをみつけた。

「ありゃ。こんなところでエッチしているんかい」
お尻だけがくっついたカメムシを、伐採あとの倒れた杉の上に誘導する。


そこは先日杉林が伐採されたところ。ずっとうっそうとした森だったのに、30本ほどの杉が切り倒され、今は明るい景色が広がっている。
気持ちのよさに、その場で倒木に座ってのんびりする。

ふと自分の心が静かなのに気がついた。
すぐむこうには畑。作業の合間によく畑で寝そべる。空を見上げ、大地の感覚と草の感覚をかんじながらゆったりとする時間が好きだ。
その時の心情と、今の心がちがっていた。

「え?なんで?」


畑でのんびりしている時、本当は静かではなかった。今心が静かだからこそ、さっきの心模様が見えてくる。

畑では、つねに心がざわざわしていたのだ。

一見見晴らしがよく開けた場所で気持ちがよく、野趣あふれる場所とはいえ、そこは「私のエリア」。野菜の種蒔き、雑草の手入れ、管理、収穫の量の多さ少なさ、大きさ小ささ、味のうまさまずさ、、、。すべて「私」が関わる自然。心は無意識のうちにここに関与する。
心はどうしようもなく静かではいられないのだ。


ところが今は、たとえそこに人の手が加えられた杉が倒れていても、私のあずかりしらぬところ。むしろ景色が広がってくれてありがとうの意識だ。



「は~ん。なるほどねえ。こんなにも心がちがうんだ~」
「私」が関わった場所には、いろいろな観念がこびりついてる。静かであろうとしても、深いところであれやこれやと思考している。
畑だけでそれなのだ。家の中ではもっといろんな観念が渦巻いていることだろう。椅子、コーヒーカップ、冷蔵庫、換気扇、食器、パソコン、ああ、もう、どれだけそれぞれにいろんな思いがこびりついているのだ???

ああ、そういやこれもそうだ。
夜寝る前に窓を開けて夜の空気を感じながら瞑想したあと、窓をパタンと閉めたとたん、ザ・ニンゲンワールドに戻る不快さを感じている。
もし目の前に山でなく、自分が手がける畑が広がっていたなら、どこまでもニンゲンワールドで辛くなっていたに違いない。



高尾山に今日も人々がやって来る。


それは日頃のザ・ニンゲンワールドからはなれる瞬間を持ちたいと、
無意識に感じているからじゃないだろうか。




2019年5月15日水曜日

大橋通が消える?


夢を見た。

高知の台所である大橋通に私はいた。
いつもは活気にあふれているアーケードの中、すべてのお店のシャッターが閉まっている。買い物に来た私はとまどう。ほどなくして、そのアーケードの通りのまんなかに、市場のマーケットのように、野菜やお漬け物や焼き魚などが堆く積み上げられていった。

お店の人に「いつもとちがってますねえ、どうしたんですか?」
と聞くと、
「もうそろそろお店をやめるんで、店じまいをかねて、こうやって並べてます」
という。

小さい時からこの商店街が大好きで、いつもここをウロウロしていた私。
高知から京都、東京、そして遠くはなれてニューヨークくんだりに行っても、いつも心にあった大橋通。その、世界でいちばん私のお腹と心を最高に満たしてくれていたこの商店街が終る???

そこで野菜、お漬け物、焼き魚を買って、なぜかいつもとちがう家に持ち帰ったところで目が覚めた。



「私の高知が消えていく。。。。」
その言葉に自分でびっくりした。
私の過去が、消えはじめている。

記憶がこの世界を存続させている。
私という記憶、私は女性で私は日本人で私は58歳で。。。
という記憶にもとづいて私というアイデンティティができあがる。
そして高知は私の記憶の最大のものだ。甘いも辛いも一緒くたにいっぱい抱え込んでいる重い荷物。

コースの訓練によって、自我が持つ観念の消滅が徐々に起こりはじめているが、こんなふうに自分の過去が消滅していくのを実感したのははじめてだ。

私の記憶にある大橋通は、活気にあふれていた。しかし夢の中のご主人は言う。
お店をやめるんでと。
まるで私の記憶の中に存在していた大橋通の役者たちが、店じまいをはじめたかのよう。
「そろそろつくしの中にいる僕らは、主人(つくし)が必要としてないみたいなんで、店じまいでもしますか」というように。

過去にしがみつきたい私が言う。
「やめないで!大橋通!消えないで!高知!」

けれども、もうひとりの私が言う。

「さあて。どんどん軽くなっていこうか」





2019年5月6日月曜日

アメとムチの世界



怖れがこの世界をリアルにする。

自我の動きを見ていると、つねに問題を探している。
穏やかな気分でいる時、ふいに訪れる不安。
この不安はなんだろう?とさぐると、「あれがまだ出来てない」「こうしている場合ではない」などと、今自分がやっていないことを言ってくる。

それを聞いた私は、「ああ、そうだ、のんびりしている場合じゃない。あれやっとかなきゃ。。」と、心が焦り出す。

それをやり終えると、ほっとするのもつかのま、また「あれやってないじゃないか」と、心のささやきが聞こえてきて、それに突き動かされる。

すぐ出来ることならいいが、「母親のことはどうするんだ?」「老後のことは?」「仕事は?」
と、漠然としたことを言われると、ことはそう簡単じゃない。

「いや、そうはいっても。。。」「具体的にどうすればいいのかわからない。。。」
と、動くことも出来なければ、どうしていいのかもわからないときは、途方に暮れる。

さっきまで穏やかだった心が、おそれによって、この世界がリアルに迫ってくる。
老いは?死は?
情報はあらゆることを言ってくる。情報のほとんどは恐怖をあおり、その解決法はこれだとおせっかいをしてくる。
がぜんこの世界が具体的に立ち上がってくる。



自我はこの世界を維持したい。この世界があると私に思わせたい。だから私に怖れの言葉を投げかける。
「これでいいのか?まだ問題は山積みだぞ。。。」と。

怖れ→問題→解決
という流れで、この世界が実在するように見せかけている。

だが解決などこの世界にはない。一瞬そんな気になるだけだ。すぐにまた別の問題を持ち込んでくる。

怖れ=からだが凝縮する。
不快な気分になる=問題を発見する。
この不快をなんとかしなければと、その解決法を探す。

これがこの世で目の前にぶら下げられるニンジン。
ニンジンにかかわり続けるあいだ、ずっと怖れ/問題/解決の道を生き続ける。


怖れ99%、つかの間の幸せ1%
アメとムチ。

1%のアメのために、苦の中で生き続けるの、あきた。



心の中に浮かんだ怖れの感覚や言葉を
ただ風景のように眺め、
そっと脇に置く。

気がつけば、目の前に華やかな緑。
眺めているうちに、
さっきまでの怖れはどこかに消えている。


2019年4月16日火曜日

浅い夢とイルカ



浅い夢を見た。

あるビルの屋上に、大きな檻があった。その中に全身一点のしみもない、みごとなホワイトシェパードがいた。
そのビルの屋上が眺められる場所にいた私は、昔飼っていたユタに似たその犬を触りたいと屋上にやってきた。

「おいでダン。あなたを触らせて」
私はその犬の名前も、メスであることも知っていた。

ユタより一回り大きなダンは、私をじっと見るだけで、微動だにしない。檻は所々朽ちていて、ちょっと腕を伸ばすと鉄格子が開き、ダンのからだに触れられた。

やわらかな白い毛がユタを思いださせる。けして媚を売らず、ただ触るままにさせるダンの目は、深い眼差しを私に向けていた。
檻に入っていながら、檻の外にいる私を深い慈愛を込めて見ているようだった。

ベッドひとつない何もない広い檻で、ダンはくつろいでいた。彼女はなぜかその檻を自由に出入りできた。気がむくと檻からでてご主人のそばにそっと座る。ご主人が打つパソコンの横で、まるで一緒に文章を読んでいるかのようにみえた。



目が覚めて、先日高知に帰ったとき出会った、イルカのことを思いだした。
父の一周忌のあと、友人の車で高知から二時間かけて室戸のイルカを触りに連れて行ってもらったときのこと。

直径7、8メートルほどの水色の小さな丸い水槽の中に、イルカが二匹泳いでいた。
顔を近づけて、一匹のイルカと対面した。イルカをこんな近くで見たのは初めてだった。イルカはからだを直立させて、浮きあがったり、沈んだりしながら、じっと私の顔を見続けた。

そこから出て来るトーンは、いったいなんだろう?
この雰囲気、どこかで感じたことがある。。。

答えが見出せないまま、お触りコースが始まった。
インストラクターさんが、イルカの触り方をレクチャーしてくれる。イルカたちは、インストラクターさんが指示するまま、水槽の端で腕を伸ばした私たちに寄り添うように、プールの端っこをゆっくり泳いでくれた。初めて触れるイルカの肌。つるんとしてて、やっぱり哺乳類の肌だった。鯨に振れた記憶はないのに、鯨そっくりだとおもった。

インストラクターさんの指示する通り、ジャンプして、ふしぎな音を発して、私たちに触らせてくれて、そしてときどき海水シャワーを私たちに浴びせて遊んだ。

二匹のイルカは、その奥にあるもうひとつの丸いプールで住んでいた。
小さな二つのプールだけで生きている彼ら。そのプールから出ることは、大型台風のときなどの緊急なとき以外はないらしい。


ここで?ずっと?
あんな大海原にいるはずの彼らが、こんな小さな檻の中で生き続けるんだ。。。
そう思う私の心とは裏腹に、彼らのあの独特のトーンは、私に別の考えを芽生えさせていた。

彼らは、ここにいて、ここにいないのだと。
どんな小さな世界の中にいても、彼らの心は平安と遊び心に満ちていた。

私をじっと見つめる眼差しは、あの夢で見たダンが私を見つめる眼差しにそっくりだった。
檻の外にいる人間の私たちを、慈愛の気持ちを持ってながめていた。

私の視点からすれば、あんな小さなプールに、あんな檻の中にいて自由がなく気の毒に思う。
にもかかわらず、彼らの感覚はその真反対の、檻の外にいる私たちのほうを気の毒がっているように見えた。

檻の内と外が逆転したような。。。
檻の外とは、すなわち檻の中で、
檻の中とはすなわち、檻の外。。。。


インストラクターさんの思いも指示も、彼らにとっては、強制でも仕事でも義務でもない、大きな心の世界の中の一部。どんな小さな檻も、彼らの心を閉じ込める力はなかった。
今もあの小さな水色のプールの中で、心は宇宙にあるのだろう。平安と遊び心の中で。


帰りの車の中で、夕日を見ながら思いだした。
あのトーンはユタだった。
ユタとイルカは、そして夢のダンは、まったく同じトーンを私に向けていた。

人間の世界の中にまぎれて、とっくに忘れていた、別のもの。。。
その目で私を見つめてくれたのだ。

思いだして。思いだして。あなたはそこにいたでしょう?と。