2019年11月12日火曜日

投影ってすごい!



投影。
この言葉は私たちを悩ます。

目の前の人に腹を立てているのに、それが自分の鏡だと?
ありえない!そんなわけない!

理屈ではわかる。
他人が他人にやっているのを見ると、
「なるほど。確かに投影や。ぐふふ」とか笑える。

そやのに自分のことになると、からきしわからん!

何であんなにボケかますAが、私の鏡なのよ~~~。
あたしはちゃんとしてる!あんなアホちゃう!

Aはぽかんとしたところがあって、こっちが注意してないと、とんでもないことしでかす。だから今日も見張ってる。ああ、またやらかした。。。
これだからほんとにあいつは~~~。。



庭で草刈りをしていた。
どうも草刈りをすると降りてくるらしい(ジョーダン)。

「あれ。。。?あれ。。。?え。。。?。。。
え~~~~~っ!!!!!
あたしやん!あれ、あたしやん!
そのまんま、あたしやん!!!
うわうわ。どないしょ~~~っ。
あいつのせいじゃないやん!いままで彼になにやってきたんや、あたし~~っ!」

自分がその「ボケかます張本人」だとおもっていたことに、
なんでかしらんが、
何の脈絡もないのに、いきなり気づかされた。


コースは言う。
自我は、投影という精神力動を使う。自分が罪悪を持っていることがきついので、他人にそれを押し付け、その罪は他人のせいだとして、とがめ続ける。
これこれ。そのまんまや。

自分はぼけっとして、へまばかりするから、それを見はってないといかん。。。
っていうのを、
Aはぼけっとして、へまばかりするから、私が見張ってないといかん。
となるわけだ!

そういう色眼鏡で彼を見ていた。
ほんとはそんな人ではない。
ただ私がそう見ていただけやった。。。

こっ、、、これが投影かあ~。。。
すごい。。。
こんなふうに、この世界を自我の視点が見せているのだな。
そしてあれこれ問題を見つけさせて、ずっとこの世界に取り込まれるようにしむけているんやな。。。



始まりは、私の両親からの罵倒だっただろう。
「なにをしよらあ~!あほか!」
「なにしゆうがぞね、つくし!」

その度ごとに、からだが縮み上がり、何を自分がしたのかもわからず、ただただおびえていた。そこから「私は何しでかすかわからない人物」と言うレッテルを自分に貼ったのだった。
そして絶えず自分を見張ってないと、何しでかして、たいへんなことが起こるかわからない。だからずっと見張っていようと。。。

それをそっくりそのまんま、Aに当てはめていたのだ。自分では持ちきれない罪の意識を彼に押し付けたのだ。見張ってさえいれば、たいへんなことは起こらないと。




その心の仕組みの謎がとけたとき、そんな自分をそっとゆるした。
もちろん彼もゆるす。。。
いや、ゆるすなんておこがましい。
そもそも、彼は何もしてない。
むしろこっちが「すまんかった!」やで!



今日もまた、ひとつの投影に気づいた。
わたしはきょうだいに救われていく。

ありがとう。

心でそっと感謝する。



絵:雨の杉林


2019年11月4日月曜日

恐れの花



フッと、小さな不安が心にあらわれる。

「あっ、、そうだ。あれやっとかなきゃ。。。」
心に浮かんだ不安なものに吸い寄せられる。

そこから次から次へと恐れが引きずり出されて、その不安を解決するために、私は奮闘する。

これが私に繰り返されて来た恐れだ。
私はその不安の種に気がついた。

小さな種がまかれる。
自我によって。

それに私が水をかければ、見る見るうちに芽を出し、育ち、花を咲かせる恐れの花。
私はその花に魅了された。
この花は保っておくべきだ。なぜならそれはとても魅力的だから。
なぜならそれは、この世を魅了させつづけるから。


恐れがこの世界を持続させる。
世界の目的は、怖れ/問題を保持することにある。




朝起きると、フッと小さな恐れの種があらわれる。
私はそれに水を掛けない。

現れては、水を掛けない。

それでも知らぬ間に水を掛け、芽を出させ、花を咲かさせる

恐れの中に埋没して、外に現れた問題を外で解決しようとして奮闘する。
しばらくたってそれに気がつく自分がいる。

それでもいい。

まだ心は赤ちゃんのままだ。
幼い子どもが、心の使い方を知らないだけだ。

これからじょじょに大人になっていこう。




絵:ほたるぶくろとどくだみ