2019年8月10日土曜日

ドラマにハマる


今の庭の様子。左、ズッキーニの葉っぱ、右奥、サトイモの葉っぱ


無料配信のドラマをよく見る。
「おっさんずラブ」は最高だった。

ドラマはその時代のムードを象徴しているといえるが、ほんとのところはその時代のムードを作っているんじゃないか?

マスメディアは時代の価値観を誘導する。それは意図的なのか、それともこの世界が無意識にそれを求めているがゆえに作らされているのか、それはわからないけど。

しかしドラマは人々の今の価値観に大きく影響を与えているのはたしかだ。


「おっさんずラブ」がここまでヒットしたのも、性別に関する偏見がだんだんなくなって来ているのが背景にある。

そんな中、最近でてくるのが空気を読まないキャラ。
「凪のおいとま」ももともと空気を読み過ぎる主人公が彼氏の言葉にショックを受けて過呼吸になり、それまでのすべての生活を捨てると言う、私的にはめっちゃハマる内容のドラマ。そこに出てくる空気読まないキャラもなかなかおもしろい。


突出しているキャラは、「ヘブン?ご苦楽レストラン」というドラマの中にいる。
その中に出てくる川合君というかわいいキャラがいい。

まったく空気を読まない。仕事もまったく出来ない。すべてがダメダメなのに、本人はまったく気にしない。ただただ幸せを感じている、世界一の幸せ野郎なのだ。この幸せ野郎はなぜか憎めない。まわりを勝手に幸せにしていく。
まわりの役柄が通常の私たちの反応。しかし川合君は逸脱している。
そんなキャラがじっさいこの世にいたら、たぶん普通の人とは思われないだろう。

それでもこのキャラがこの世界を変えていくんじゃないかとおもわせてくれる。もちろんそれを受けとめる伊賀君がいてこそなりたつのだが。
この世に布石を打った人々はだれもが逸脱していた。つぎつぎと常識を覆していくのだ。




んで今日も暑い。目の前の庭は植物全盛期だ。
「ウ。。。草刈りしないと。。。野菜も草に埋もれる。。。。」
心がうずく。

川合君ならこのうちの庭を見てどういうだろう。
「わあ~~!草がいっぱい!た~のし~なあ~!」
きっとでかいサトイモの葉っぱを見ておどろき、
オクラの花に「きれいだなあ~」と感動することだろう。

凡庸な私は問題点を見つけるのが得意だ。
ズッキーニ、育ってないとか、キュウリが出来てないとか、出来ていることよりも、出来てないことにフォーカスし悩む。しかしそこにあるのは不幸な気持ちだけだ。
わざわざそれを選ぶこたあないのに、やっぱりそっちを無意識に選んで心をうずかせる。
これこそ、自我のワナにガッつりハマってる。

一方川合君は、すてきなものを見つけるのが得意。
感動するものを見つけて大喜びする。

どっちを選択するかは、私しだい。






2019年8月7日水曜日

そのままにしておきなさい



畑のフェンスがすこし崩れていた。

このままにしていたら、そのうちイノシシが入ってくるだろうなあ。。。
ジャングル状態になった畑で、そっと心の中で聞く。
「どう、、すればいい、、、?」

即座に答えが返って来た。
「そのままにしておきなさい」

「え?そのままに?けど、、、あのままじゃ絶対イノシシがあ。。。。」

これ、自分で言ってない?
ウン。きっとめんどくさいから自分で自分に答えたんだ。。。
でも、そのまんまにした。


そしてきのう。
畑に行って、なにかが大きく変化しているのに気づく。
フェンスが破られている!

畑は巨大な穴ぼこだらけ、あんなにあったサトイモは、跡形もなく掘り返され、見事に消えていた。そこら中掘り返され、たくさん実っていたであろうミョウガも消えていた。キクイモのエリアはそこだけ台風が来たみたいに踏み倒され荒れ狂っていた。
みごとなイノシシたちの破壊力にグーの根もでない。



だが心はなぜか静かだった。
キュウリの支柱も倒され、砂まみれになっているキュウリを収穫しながら、心は穏やかだった。

なぜだろう。
こうなってくれることをどこかで望んでいた気がする。。。

この畑は山に接している。近所の畑よりももっとも山に近い場所に、人間のエリアとしてフェンスという境界線を作ったことに、わたしはどこかで抵抗を感じていた。

猿が来て、タヌキが来て、ハクビシンが来て、猫が来て、そしてイノシシが来る。
フェンスを作ることは、ここに城壁を建てるようなもんだ。
ここは人間さまのエリア、その他はお前たち野生のエリアと。
だがしかしそれをあざ笑うかのように野菜は猿に襲われる。年々ひどくなる。今とられない野菜は鷹の爪ぐらいなもんだ。

今回フェンスが壊され、畑をイノシシに壊滅的にやられたことで、畑に風が通った。
そんな気持ちになったのだ。
まるで風通しの悪い、締め切ったカビ臭い部屋に、爽やかな風が入ったように。

ここは山に還すべきだろうか。。。
おもいがよぎる。
ここが畑になったいきさつ、それにまつわるいろんな出来事、それぞれの思い。
なんといろんな過去を作ったものだ。


それと同時に、人間と自然とのかかわりもまた教えられている。
慣行農法、有機農法、無肥料栽培、不耕機栽培、自然農法と、だんだん自然に近い農法に移行しながら、
そもそも栽培するとはどういうことなのか。
自然とはなんなのか。
人間とはなんなのか。
生命とはなんなのか。
そんなところまで突きつめられる。
この畑を通して、たくさんの葛藤をあじわった。


ぼうせんと畑のすがたをおもいおこしていると、

「人間の視点に立たない。」

心に声が聞こえた。



2019年8月6日火曜日

カメのように





「いつ電話がかかってくる?こっちから電話しようか」
「だいじょうぶ。彼は絶対ほっといたりしない。そのうちかかってくるよ」

知り合いの業者さんから電話が来ないままだ。
自分では何も決めないでおこうと決めたものの、暑い毎日の中で、何もことが運ばないことにだんだん不安になってくる。



ずっと「自分で」この世界を乗り越えて来たと思っていた。だからなんでも「自分で」解決しなければいけないと思ってがんばって来た。

しかしだんだん「自分」ではどうしようもないものがある、と言うこともわかって来た。それは自分でなんとかして来れなかった膨大な量の挫折の日々が教えてくれている。

そしてついに、じつは「自分で」なんかやってこなかった、なにひとつ動かしてなかったんだ。。。。と言うことに気づきつつある今。
すべてを手放して、起こるままにすると言うことが意識的になりはじめている。



たとえばNYのピーターからスケッチの返事が来ないことへのいらだち。自分のいたらなさをなげき、反省し、どうにかして事を進めようと、あの手この手で挑んで来た。
しかしその虚しさに気がつき、今はそのままにしておくことができるようになった。

どこかで自分のせいでアートディレクターが苦心しているという思いにさいなまれ続けていた罪の意識。それが自分を苦しめていたのだった。

ある時、「ああ、これは私のせいではなかったんだ。。」とふとおもった。
その時から待てるようになった。果報は寝て待て。これは神の言葉だ。



こんどは神さまは次のレッスンをくれた。
クーラー壊れてからだを意識するというやつ!
からだのピンチは死と直結する。

パソコン開くと「熱中症」「死亡」というワードが目に入ってくる。
ますます恐怖のズンドコに。(それをゆうなら、どん底)
「こっ、、、このままだと死ぬ。。。!」
心がいかにからだに影響を与えているのか、自分の身体の変化に教えられる。
待つと言うことが出来なくなるのだ。

だから冒頭のダンナへの質問。
「ねえねえ、いつ?」




ピーターへのメールでもそうだ。
何をどうやっても動かないものは動かない。ただほっておくしかない。
でもどうしてもバタバタするのは、心の保険/安心が欲しいのだ。
なんかやっているほうが、何もしないよりもマシ的な(気休めだけど笑)。
どのみち、汗かいてヒーヒーバタバタやっているだけで、起こるときは起こる。動く時に動く。


私たちはウサギとカメみたいだ。
私はいつもウサギをやっていたのかもしれない。
ゆっくりと静かに進んでいけば、余分な体力も使わないまま、まっすぐゴールに着くだけなんじゃないか?



今朝、ピーターから返事が。

Hi Tsukushi,
They love the sketch, Please finish the cover with the following changes…..

数個の小さな変更があるのみで、ゴーサインがでた。



じぶんの人生を信じる。
たったこれだけのことが私たちにはできない。

私はカメの心になれるか。




追伸:これを書いたあと、コーヒーを飲んでいたら電話があった。
「今日クーラーが届いたら、夕方そっちにつけにいくよ。早い方がいいでしょ?」

果報は寝て待て。
(あ、コーヒー飲んで待て、か)





2019年8月4日日曜日

クーラーが壊れた



クーラーが突然動かなくなった。

「室外機のファンが回ってないよ」
外を見に行ったダンナが言う。
あー。こりゃ完全にアウトだな。
メーカーに電話。ちっともつながらない。一日待って電話。やっぱりつながらない。

ここにきて15年。毎年の夏をさほどクーラーを使わず過ごして来た。
使っても暑い午後の2、3時間だけ。日が傾くと消していたぐらいの必要性。暖房など使ったこともない。寒過ぎて効かないから。

その程度の関係性だったのに、いざ壊れて使えないとなると、がぜん苦しくなってくる。
どんだけ気分に左右されているんや私?
いつでも使えるからあ~んしんっ♥という保険をもらっていた、自分自身のそのあんちょこな精神にもハラが立つ。



やっとメーカーと電話がつながると、今度はあまりの修理の混みようでスケジュールが組めないから、営業所から直接電話させますと言う。ところがまたかかって来ない。ジリジリと暑い中電話を待つ。結局その日は電話がなく、翌日の午後電話がかかって来た。

しかしよろこぶのもつかの間、修理は5日後。それも時間もわからないと言う。
「ちなみにおいくらぐらいかかります。。?」
おそるおそる聞く。
「はい。。。少なく見積もって、5万円はかかるかと。。。」
「!」
ですよね~~。。。
とりあえずお願いして電話を切る。

ジリジリと責めてくる暑さに耐えられなくなる。今までどれだけ耐えていたんだ、私?
5日間この暑さ、耐えられるのか!?



心がどれだけからだに影響を与えているのか、手に取るようにわかる。
あるとおもっていたものがない。そう思ったとたん恐怖が襲いかかる。
怖れが全身に広がって、それまでの平安は跡形もなく消える。
こういう状況を意識的に与えられているのか。



すこし日が傾きかけた頃、さんぽに出かける。山の中は涼しい。川に手をつけてその冷たさを味わう。さっきまでの暑さが一気に消える。靴を脱いで足をつけた。この世が別世界に見える。川のせせらぎ、ヒグラシの声。山の声はなんて大きいのだ。大音響の中で自分というからだを忘れる。
からだを忘れた私に平安が戻る。山の懐にいだかれて、私も山も区別がつかなくなる。

明るいうちに夕飯を食べ、暗くなるまま電気をつけずに過ごす。山の稜線がくっきり現れはじめる。小さな星が見えた。開け放した窓からやわらかな風が川から遠慮しがちに上がってくる。弱にした扇風機が小さなリズムを刻む。
静かな心は暑さを忘れていた。



怖れは平安を消す。からだを意識し、熱を意識し、この世界が一気に存在感を増す。
心はここから早く逃れたい一心で必死で策を練る。未来の安心を買おうとする。

その後修理はキャンセル、知り合いに頼んで新しいのを買うことに。しかしそれもまだ未定だ。

心がいかに未来の安心を欲しがるのか見えてくる。
「いつ電話が来る?」
そう思うたびに、からだを感じ、かすかな怖れが起こり、暑さがやってくる。
このメカニズムをはっきり見ておこう。

今、午前9時27分。
今日はどんな一日になるのか。

自分では何も決めないでおこう。