2012年6月29日金曜日

『はりまや食堂』

ハイヤーを呼んだ。
「おんちゃん、はりまや橋のあたりのレストランいってくれる?○○ってゆう有名なケーキ屋さん知っちゅう?あそこのすぐちかく」
「ええ?そんな名前のケーキ屋さん、知らんぞね」
「ほいたら、住所ゆうでえ。はりまや橋1丁目。。。」
「ああ、もうめんどくさい。どこぞね。はようそこのレストランの名前いいや」
「これがねえ、よー言わんのよ。。ら。。ゔぇゔぇ。。。ぷ。。ぷ。。。」
「ああ。プリプリかえ。はよう言わんか。そこなら知っちゅう知っちゅう」
「プ、プリプリ?ちがうちがう。そんな名前やないきに」
「わかっちょらあえ。あのおっしゃれ〜なレストランやろ?はりまや橋の」

おんちゃんは知っていた。
何でも最近そこへの客の送り迎えが多いそうだ。だがこのハイヤー会社社員一同、そのレストランの正式名称をだれも言えん。だから「プリプリ」という名前で呼ばれているらしい。おんちゃんはその店の名前について、怒濤のごとくわたしに説教を始めた。(なんでやねん)

「だいたいやねえ。だーれも呼べんような名前つけるがあがおかーしい。高知県人がそんなおっしゃれ〜な名前言えるか?高知のおんちゃんでも言える名前にせんといかん。『はりまや食堂』とか」
「『はりまや食堂』?おんちゃん、ここイタリアンやで」
「ほいたら、、、洋風、、、うん。『洋風はりまや食堂』じゃ」
洋風はりまや食堂。。。ぷぷぷ。。。

「何でもそこの店はえらい繁盛らしいやんか。そんなええ店は長続きしてもらわんといかん。ほいたらみんなあが気軽に呼べる名前じゃないといかんのじゃ。はりまや食堂やと、みんなあが言えるやろ?『おんちゃん、はりまや食堂行ってや』ゆうてな」
「おんちゃん、洋風はりまや食堂や」
「ああ、そやそや。洋風はりまや食堂」


このハイヤーのおんちゃんの説教を、私はそのまま店の男の子に伝えた。店が終わる頃、その話は出ただろうか。どんな顔をしてみんなは聞いたのだろうか。
あのとっても感じの良かった男の子は、楽しそうに私の話を聞いてくれたのだった。

季節の有機野菜、その日に捕れた魚介類、イタリアンとフレンチと、そして高知の味をうまくミックスさせた本当においしいひとときだった。あんな店が末永く続いて欲しいと心から願う。そのためには改名が必要?

きっと今頃、あのハイヤーの隠語は「プリプリ」から「はりまや食堂」に変わっているのだ。。。

いや、きっとこうだ。
「あ、○○ハイヤーさんですか?こちら『洋風はりまや食堂』です。車一台おねがします」
「『洋風はりまや食堂』さま。いつもご利用ありがとうございま〜すっ。すぐにまいりま〜すっ!」

2012年6月26日火曜日

ミミズが増えた!いーことなの?わるいことなの?

今年の畑は、ミミズが爆発的に増えた。
野菜の苗の足下の草を引き抜くたびに、にゅる〜っと顔を出す。畝間の草引き抜くたびにごろんと現れる。でっかくてまるまる太ったフトミミズ(たぶん)がうじゃうじゃいる。。。。
え”〜〜〜〜〜っ。

自然農の川口さんは言う。
「山にミミズはいないだろ?本来は畑にミミズはそんなにいないもんなのだ」

たんじゅん農法の林さんは言う。
「ミミズ自慢は恥じ自慢」

なんで?
去年までは本当にミミズが少なかった。年々減っていってた。だが、今年はどうだ?これで商売(ミミズ売ってもーけるのだ!)できるぞ。

やまんばは複雑だ。
だって。。。。まさにたんじゅん農法やってからミミズが増えたのだ。
剪定チップを入れ、草をすき込み、落ち葉をいれる。。。いままでとなにがちがうかというと、それをやってから何かが変わったのだ。それをやってミミズが増えたとしか考えられない。それとも雨が多いせいなのかなあ。

有機農法の人に言わせれば、「ミミズ!さいこー!」ってなるのだ。
もーなにがなんだかわかんない。なにがどーいいのか、なにがどーわるいのか、わかんなくなった。


あるヒトのブログでこう書いてあった。
「ミミズは、よく肥料によってくると言うけれど、本当は別の所に理由があるのではないか?」

人間が考えついたアイディアで、ミミズさんの出現理由を作っているけれど、本当の所はだれもわからない。ミミズさんに「あなたはどういう理由でここにいるんですか?」と直接インタビューしたわけではないから。

ということは、肥料によってくると人間が勝手に思っているだけなのだ。
ミミズがいるという事は、肥料があるからだという仮説に基づいているものだから「肥料につくのは良い事」(有機農法)と「肥料につくから、その土は肥毒を持っているからだめなのだ」(自然農、たんじゅん農法など)という考え方に終始してしまう。だけど、ほんとは肥料とカンケーなく動いているのなら、いる事の意味はもっと別の所にあるのだ。

人間はなんでも「いい」「わるい」と区別する。
そのいいこととは、結局人間さまのご都合主義なのだ。もっと太らせて食うのだ〜という欲から来ている基準なのだ。有機農法だって、自然農だって、自然栽培だって、たんじゅん農法だって、み〜んな、うまいもんを食うための「いい」「わるい」なのだ。

ミミズさんは、人間の欲が渦巻く世界にカンケーなく、ひたひたとご自分のお仕事をなさっておいでなのだ。
やまんばはそのまま受け止めて、ことのなりゆきをたのしむことにする。

2012年6月23日土曜日

お通じにいい思考停止

ちょっとお下品ですが、高知から帰ってきてからうんちの出が3日に2回になった。高知でいたときは、毎日出た(あんたの便の話など、ききとーない)。

理屈で考えれば、高尾にいるときは、玄米食で畑の野菜食っていつもの生活だから快便なはずで、高知にいるときは、かあちゃんちだし、外食ばっかりだったし、玄米食わないし、食べてるとしたら、魚、魚、魚、ちょい野菜(魚のつまのようなキュウリやレタスちょっぴり)、白米。
これではとーぜん便秘なはず。
ところが事実は全くの逆。いったいどーゆーことか。

なにが違ったかとゆーと、かあちゃんちでは、なーんもやることがないのだ。いや便所の掃除、部屋の掃除、朝ご飯や昼ご飯の用意、やることはいろいろあった。でもなんつーか、心の中が忙しくなかったのだ。

かあちゃんちの部屋をながめるに、私に関するものはナーンにもなく、あるのはかあちゃんのものばかり。もちろんコンピューターもない。ネットも見れない。
すると心の中は、からっぽになっちまって、なんにも考えてなかったのだ。思考停止状態。たたんだ布団を背もたれにして、ほげーっと座る。目で追いかけるのは、かあちゃんのよたよたした歩き方。
こんなに自分の心が静かだったことがあっただろうか。

帰ってみると、こりゃまたかあちゃんちと違って、自分に関するものだらけ。
庭見りゃ草ボーボーに罪悪感が騒ぎだす。『ああ、草刈りしなきゃ』
台所見りゃ、『ああ、きたない』
スケッチブック見りゃ、『ああ、仕事しなきゃ』
コンピューターみりゃ、『ああ、ブログ書かなきゃ』。。。

一気に思考が動き出した!ついでに便の出もわるくなった。

つまりこーゆーことか?
人間の身体そのものは、そのまま完璧であって、粛々と消化や吸収がおこなわれて健全である。ところがいっぺん、思考が動き出して、ああじゃない、こうじゃない、と心が言い出すと、その粛々ととりおこなわれていた身体の動きにアンバランスを生み出し、滞りがちになる(!)ということなんじゃないか。

人間考えたら何とかなる、と思い信じてきたこの世なのだが、その結果はどうだ?考えて考えて健康になったか?ますます病気は増えていき、精神は悪化する。

世界中を旅して一人踊ってたマット君のビデオが今年も出た。
いつのまにか世界中で、大勢の人と踊っている。なんだか涙が出る。それはこの地球上の人々がみんな同じおもいで生きているから感銘するんじゃないだろうか。単純な踊りなのに、みんなとっても楽しそうだ。そんなものになんで感動するのか。ホントはみんな踊りたいのだ。みんな一緒になってあそびたいのだ。

でもあの踊った人々はそれが終わったあと、またいつもの自分の生活に戻り、心は不安と不満で渦巻く日々になる。そして不満の心がいっぱいになってくるとまた、あのときの感動を取り戻したいと、同じような事をする。
だが、それでは今までと同じなのだ。今までの繰り返しでしかない。

あのみんな楽しく踊ったあの姿は、そのまま人間のエネルギーの姿そのもので、それが本来の姿で、それを日常の中に降ろして来るのは、自分の思考の使い方ひとつなのだということだ。
会社で成績が悪ければ、上司とその場で踊っちゃうのだ。


高知のことわざがある。(そんなのあったかいな)
「お日さん、西西」
色々あっても、台風で家飛んでも、お日さんは必ず西に沈む。考えても無駄無駄という、ふか〜い教え。

お通じにいい思考停止。
やまんばの経験でした。

2012年6月20日水曜日

帰高は皿鉢料理

いや〜、昨日は地球のエネルギーを感じました。
え?こわくなかったかって?
ごわがっただあ〜。
家が飛ばされるかと思った。

10時頃びびりながら就寝。(早過ぎ)
怖さの中で夢にうなされて、ハッと気がつけば、シンとした静けさ。11時にはいつもの空気に戻っていました。
窓を開けると、さっきまでびゅんびゅん首を振っていた樹々たちが、なにごともなかったかのようにヘーゼンとしている。
足下には蛍が静かな光を放ちながら飛び交っている。カジカもいつものように鳴き始めていた。
むんっとする植物の甘い匂い。あの巨大なエネルギーに振り回されて、生きるエネルギーを取り戻したかのようだった。

朝7時頃畑に行く。
無惨に飛ばされたトマト用のビニール、たおれまくった支柱の数々。。。黙々と片付ける畑歴4年目のやまんばであった。


しばらくブログ更新おこたってました。高知に帰ってたのです〜。いや〜、盛りだくさんの、内容濃過ぎる、さながら皿鉢料理のような怒濤の帰高でありました。

懐かしい友に会い、お互い全然かわっちょらんねえ〜と「確認」しあい(主観で言い合っているので、ほんとかどーかはともかく)、ウン十年来の友だちが、見た事も聞いた事もないような、チョーど田舎に生まれ育っていた事実を目撃し、チョー有名なデザイナーさんとお会いする事が出来、ほんでもって、チョーうまいものばっかし食わせてもらった(皿鉢料理も!)日々でありました。
みなさん、すいましぇんねえ〜。高知は世界一うまい所でおます。

ほんとはばばあちゃんの最後の法事と、かあちゃんの様子をみに行くっちゅうのんがメインだったのでありました。
何年かぶりに親戚一同に会ってみれば、はあ、こりゃまた、たいへん。みーんなよいよい。身体は動かんが、口はご達者なご様子で。何よりでございました(笑)。

帰ったら、メールがてんこもり。畑は草がてんこもり。ありがたいこっちゃ。
日々野良仕事と、仕事にボットーしております。(どっちがメインやねん)

高知のみんな、ありがとねー!

2012年6月5日火曜日

見たくない「自分」

なんで見たくないんだろうね、自分って。
それは、誰よりもわるい自分のクセを知っているから?ほんとは誰よりもいやらしーんだってことを知っているから?ほんとは誰よりも恥ずかしー部分をもっているから?
でもみーんなもってんだな、いやらしー部分も、ワルな部分も、はずかしーことも。

ところが、他人の心ん中は覗けないから、自分しか知らない。だもんでこーんな恥ずかしーことをもっている自分はイケナイ人、というレッテルを自分に貼る。こーんなワルなことをする自分は世界に一人だけで、これはとーってもイケナイっ!とおもう。すると罪悪感がうずき、いいことをしたくなる。いいことをしてその影の部分を埋めようとする。そしてワルなことをする人を罵倒する。これも自分のイケナイ部分を埋めようとする手段のひとつだ。
人を罵倒して、人にいいことをする。

だけどさ、みーんなもってんのよ、悪い部分も恥ずかしー部分も。自分だけがもっているって思ってるから自分が許せなくなったり、他人の悪い部分を許せなくなる。だけどみんなが共有しているものだったら、自分の、自分の、って思っているのはばかばかしくならんかい?自分の影の部分が巨大にならんのじゃないかい?そこまで自分を責めることないんじゃないかえ?

そもそもなんで感情的になるんだろうね。その感情的になっている自分は、ナニに対して感情的になっている?よく見ると、だいたい同じことに感情的になっているのがわかる。人はそれぞれ個別に感情的に反応するパターンをもっているようなのだ。

それは例えば、誰かに何かを言われたとき、ピキーンと反応するパターンだったり、自分と他人を比べることで「うふふ、私って素敵」って優越感にひたるパターンだったり、その反対に「ゲゲー、私って最悪」って嫌悪感にひたるパターンだったり、誰かがその場の空気を読まないことをを許せないパターンだったり、人が百人いれば、百通りのパターンがある。じっさいは、そのひとりひとりの中に、これまた組み合わせ自由ないくつかのパターンがある。状況にあわせて、その都度組み合わせをかえて、お楽しみをしているようだ。これだから人生はやめられないのかもしれぬ。

どうも人間は、つねに何かに反応しているようなのだ。
反応?
そんなのあたりまえじゃん。
とおもうでしょ?
ところが、その「反応する」という事が、全てのカギを握っているようなのだ。

2012年6月4日月曜日

いやーなことの原因は、外にある。

わたしたちは、いやーなことの原因は、なんとなーくみーんな外にあるもの、とおもってる。
いやーなことの原因は、そもそもうちのだんななのよ!
いやーなことの原因は、セーフがだらしないからよ!
いやーなことの原因は、遺伝子のせいなのよ!
いやーなことの原因は、波動が低いからなのよ!
いやーなことの原因は、みんながイライラしているからなのよ!
いやーなことの原因は、裏でトカゲが操っているからなのよ!

そのいやーなことを解消するために、外に解決法をさがす。
南にいい薬があるといってはネットでそれを買い求め、○○に効く食材があると聞いてはスーパーに走り、北にいい救世主がいるといっては、走って会いに行く。

さて、世の中にこれほどいい薬や、食品や、本や、宗教や、情報にあふれているが、そのいやーなことは、解決されたのだろうか。理屈で考えりゃ、これだけ親切に解決法を提示してくれているのだ。さぞかし時代はハッピーにちがいない。

ネットじゃ、炎上している。
あいつは悪だ、敵だ。あいつをやっつけろ。セーフを叩きのめせ。
だれかがちょいとわるいことをする。するとみんなでよってたかって、そいつを罵倒する。そんなちょいワル、そこまで言われることないのに。と思うことまでよってたかって叩きのめす。
大義名分は「悪いことをする人を注意している善良な市民」なのだ。

どこがや?単にいじめてるだけにみえる。
解決法にあふれていて、みんなハッピーなはずなんだが、なんか日頃の腹いせを誰かを標的にして、うっぷんばらしをしているように見える。


そのいやーなことの原因は、ほんとはべつのところにあるんではないか?
その解決法は、もっと身近にあるんではないか?
いつまでも外に原因と解決法を求めていても、ぐるぐるまわって徒労に終わるんではないか?
いままでだってそうやってきたではないか。必死で相手のことを考えて、必死でセーフのことを考えて、行動してきたではないか。それなのに、ピクリともあっちを動かすことは出来なかったんではないかい?それは一番誰かさんがよく知っている。
そろそろ他に見なきゃいけないもんがあるんじゃないか。

それは一番見たくないもの。自分。

2012年6月2日土曜日

種取りする?



畑で今とれるのは、スナップエンドウと絹さやだけ。あとはレタスのちっこいのんがちょろころでているのを横取りするだけである。

セマコい畑の中で種取りをする。アブラナ科はむちゃだとわかっているけど、やってみたいではないか。どーせ交配しまくっている。

今とろうとしているのは、源の助大根。
これは、
1:畑に植えたもの、
2:勝手に他の畝から出てきたもの、
そして3:フェンスの外で大きくなったもの、がある。
どれをとろうか。
一番野性味のあるのが、3のフェンスの外大根である。草ぼーぼーの場所をイノちゃんがほっくり返した所から、一気に出てきたならず者である。こいつはチャンスを逃さないDNAがある。種取りは、こうした強いものを選べという鉄則があるらしい。だが2の勝手に他の畝から出てきた大根も捨てがたい。連作に強い大根なのだ。こうなってくると、1の大根は、いい場所を与えられて、ホックリ育ったいい所の坊ちゃんである。あれ?いや、こいつはたしか、フェンス近くで勝手に育った形のいいのを種取り用にこの畝に移し替えたものだった。。。という事は、環境の変化にも強いやつということになる。。。
うー。種取りの選択はむずかしーのー。

問題のアブラナ科は、みやまこかぶ、壬生菜、水菜、キャベツ、小松菜、信州高菜、白菜。みんなすぐ近くにいるううう。えーい、ぜんぶとってしまえ!

今回種取りで成功したのは、スナップエンドウだった。去年ここで取れた種は、最初は育ちが悪かったが、その後ぐんぐん育って、今はたわわに実を付けている。近所で買った交配種よりもはるかに成績がいい。絹さやも今度は固定種を買って育ててみることにする。しかしその中に絹さやに似たものがあった。やはり豆でも交配するんだなあ。

ハーブでは、ルッコラとコリャナンダー。
どっちも植えてもいないのに勝手に巨大に出てきたならず者である。乞うご期待。

絵:「腹だけ痩せる技術」MF新書表紙
あんがい簡単ですっ!