2016年3月27日日曜日

可能性の中でほこほこする


「一日15分歩いたらえいがよね。よっしゃ、わかった」
と、母は言う。
娘や医者のアドバイスをすんなり受け入れる、なかなかいい母だ。
んで、それをやったことがない(笑)。

「嫌われる勇気」に出てくるアドラーの言葉を借りると、「もしも何々だったら、と可能性のなかで生きているうちは、変わることなどできない」である。
母流で行くと、
「もしも一日15分だけ歩いたら、私は歩けるようになるがよね。わーい」という可能性の中で、ほこほこしているだけである。

人のことは言えない。私もはずかしいよーな妄想、「いつかわたしも何々になるんだ。。。」という可能性の中で、ほこほこしているだけだもの。
夢というのは、なかなか罪深いもんである。

いつか。。。と言う夢は、そのときはいい気分にさせてくれる。今の状況ではない、何かスペシャルな自分を心に描いて、「ほんとうはこんなわたしじゃないんだ。。。」と、シンデレラみたいなことを50過ぎのおばさんは妄想するのである。母は80過ぎで妄想してほこほこしている。
そのうち夢は、「いつか外を歩く」から、「いつか1日15分歩けたら。。。」に変わって行く。いつのまにか目標のハードルは、ドンドン低くなっていく。


人は皆、今ある状況に不満足である。不満足だから目標を立てる。その目標のための手段を計画する。
一日こうするとか、あの日までにあれを達成すると言う計画がうまくこなせれば良い。しかしそうはいかないことが多い。

そのうち、目標のための手段である「あれをする」ことが目標に変わり、それもかなわないと、あれができるかも知れない可能性にほこほこするだけになる。
そしてそこに行き着かない自分を、今度は「もう若くないから」という大義名分で、うまいこと自分を納得させる。

母の場合は、「目標!一日15分歩く!」と決めて、いざ体を動かそうとすると、思考が騒ぎ出す。
「こけたらいかんぜよ。。。。こけたらどうする?こけたらみっともないぜよ。こけたら体がこわれるぜよ。こけたら、人に迷惑かけるで。。。」
「ああ、そや!いかんいかん。こけたらいかん!」
「けんど歩く練習せんと歩けんなるがで?」
「いやいや、歩いてて、こけたらどーするが?」
云々。。。

そういう会話が頭でなされているに違いない(笑)。
彼女はこけた後、人々に背負われて、病院連れて行かれるみっともない自分を想像する。絵描きの彼女は想像力は人一倍強い。

その一人会話の中にドンドン巻き込まれて、体が硬直しはじめる。カッチカチになった体と心は、動こうとすることに拒絶しはじめる。
そして「いやでいやでたまらん」なるのであーる。

なに一人芝居やっとるねん。


2016年3月25日金曜日

三つ子の心、百まで。


母は高知の地主の娘として産まれた。360度見渡す限り自分の土地。浜まで人の土地をふまずに行けたという。
それがどういう意味なのかは、彼女の話の断片で想像できる。

社会人になって県庁に勤め出すまで、「お金」という存在を知らなかった。空襲警報が鳴っている最中でさえも、彼女の母といっしょに洋品店のシャッターを開けさせ、ビロードのワンピースを買いに行ったほど。当然現金払いではなく、付けで払われたから、お金など見たこともなかったそうだ。

家には食料品でないものがなく、いつも大勢の人たちが出入りしていた。人がすっぽり入る大きな樽には、梅干しや、みそや、あらゆるものがつけ込まれていたし、乾物類は高級品が山のようにあり、新鮮な野菜は自分の畑で使用人が作る。たくさんいた山羊のお乳で、彼女の祖父は牛乳風呂に入っていた。

小さな彼女には、吾作とか佐吉とか言う、使用人がついた。歳のころなら今の私ぐらいだろうか、その使用人に向かって「佐吉!あれとってちょうだい!あれが欲しい!」と、命令口調で動かしていたというから、生意気なガキそのものであったろう。

母はいまでは見る影もないが、むかしは美しかった。彼女には2歳年上の姉がいる。二人で村を歩くと、村人みんなが振り向いたという。
「あんたらあ二人が歩くだけで、わしらしあわせになる」
そう声をかけてくる村人たちに、向けた心はどういうものであったか。

「いやでいやでたまらんかった」
「もう!あたしをみんといて!とおもうた」そうな。

そりゃ、無理な話だ。今のようにアスファルトもなく、土ぼこりが舞う村の道を、絹やビロードのワンピースを着てエナメルの靴にぴらぴらしたレースの靴下をはいた少女が二人歩くのだ。注目しないわけがない。

「いやでいやでたまらんかった」という思いは、今と全く同じではないか。三つ子の魂百までというが、まさに三つ子の心は、百まで同じってことだ。
母の中にある他人への嫌悪は、この頃に付けられたものだと思う。
下々のモノたち。
そういう感覚はお金持ちならではのものではないだろうか。



私は母のことを「蔵女」と呼ぶ。岸田劉生が描く『麗子嬢』そのものだ。
暗い蔵の中で、金襴緞子の帯絞めながら、鏡に映った自分をのぞく快感を味わい続けるひとりの少女。彼女はずっとその世界の中で生きているかのようだ。

蔵の外は下々のモノたちが住む世界。その外に一歩踏み出せば、つねに注目される。
好奇の目にさらされる自分。快感と拒絶の中で、歩く彼女。みっともない姿だけは見せたくない。。。。

「こけたらいかん。。。こけたらいかん。。。」は、そのみっともない姿へのアラームだ。
映画でよくあるシーン、「緊急事態発生!緊急事態発生!ビーッ、ビーッ、ビーッ!」というあの不快な音が、彼女のあたまの中で鳴り響いているのかも知れない。

彼女が一歩も外に出たがらないわけは、そこらへんにありそうだ。




2016年3月23日水曜日

母のイヤイヤが消えた


「どんなふうに?」
「イヤイヤがない」
「イヤイヤて?え!まだあったの?」
「うん」
「いつまであったの?」
「ずーーっと」
「ずーーっとって、あんた。。。『行く』ってゆうてからも?」
「うん」
「ほな病院でも?」
「うん」
「え、ひょっとして、牧野植物園でも?」
「うん!」

なんと言う母だ。
あんなふうに「あ~~これてよかった~~」なんていってたくせに、あのときでさえも、「いやでいやでたまらんかった」というのだ。
これだから彼女の言葉は信用ならん。

「ほんなら、今の今まで、いやいややったん?」
「違う。途中で消えた」
「どこで?」
じーっと思いだす母。

「あそこで待ちゆうとき。あのとき、長ーいこと待たされて、いやでいやでたまらんかったがやけんど、そばのトサミズキ見よった時に、変わったんや。。。」
「へえ。。。」
「なんというかねえ。すうーーっとしたかんじ。あのイヤイヤはどこへいったんやろ、すっごくへん。全然違う。なんやろ、今のこの感じ、すっごく軽い」
とうれしそうだ。


人の感情ってなんだろう。いやいやだらけの感情の中にいても、何かの瞬間にふっと消えてしまう、これってなに?

あんな場所にひとりぽつねんと取り残されて、彼女はさぞかしイライラしたに違いない。ましてやイヤイヤな気持ちをずっと押し殺して来たのだ。その感情たるや頂点に達していたであろう。
だがそんな時、ふと目に止まったトサミズキの瑞々しさに心奪われた。
それまであたまの中で渦巻いていた考えが、花へと移行したとき、彼女の焦点が、あたまの中から、外のものに向けられた。
「ああ。なんてきれいなの。。。」
そのとき、心に充満していた思いの雲の中に、サーッと風が吹いたのかも知れない。


トサミズキが彼女を癒したのだと言うことも言えるかも知れないが、でもそれまでに彼女は何度もトサミズキをながめていた。だったら、そのとき変化があってもいいじゃないか。しかしそうはならなかった。
彼女の心に一種のあきらめのようなものが起こって、頭に充満していた考えが消えた。そのときはじめてトサミズキの存在に触れたのかも知れない。




感情とは、いとも簡単に変化する。だが人はその感情にふりまわされる。
何一つ変わってない状況下にいても、心の変化がその場を変える。なら状況は、心しだいだということだ。

彼女の心の中は、いつもあれがイヤだこれがイヤだと言い続けているようだ。しかしどうしてもやらなければいけないことがあるとき、いやいやを押し殺して、無理矢理行動する。
行動しているあいだは、「こけたらいかん、こけたらいかん。。。」を繰り返して唱えているらしい。

自分の身に起こるかどうかもわからない最悪のケースをイメージし、それに対処しようと策を練る。だがそれは必要以上にその思いに巻き込まれて行くことになる。そしてまたその怖れの中でまた別の怖れを産み育てるという連鎖反応がおこる。。。。
これは底なし沼だ。考えれば考えるほど、恐怖はさらに恐怖をあおりつづける。

「ずっと考えよった。出かけたときのことをずっとシュミレーションしよった。ほんなら、怖くなった。ドンドン出て行くのがイヤになった」



2016年3月21日月曜日

母を連れて植物園に行ってみた


さて、昨日のつづき。
ゆっくりゆっくり事は進み、例の問題の坂も母の背中をやさしくささえながら、無事診察にまでこぎつけた。
先生に、母の血液検査の結果が完璧で、非の打ち所がないとほめられ、薬を受け取り、タクシーに乗って、牧野植物園へ向かった。

植物園の入り口のベンチに座り、
「あ~~~、これて良かった~~~。気持ちええわあ~~~」
と、うれしそうな母。
青空に山の景色が溶け込んで美しい。連れてこれて良かったと安堵する。
すると、
「もう、ここでええわ」と一言(笑)。

「え?中入ろうや」
「えい!もうここで十分!」
ようするに、歩きたくないのである。彼女の心の中に、「もしこけたら。。。。」というアイディアがまた浮かんだか。

牧野富太郎記念館は五台山という山の中腹にある。自然の中に入りながら、ちゃんと舗装された道も完備してある。せっかくなのだから歩行機つかって歩こうや、とうながす。
またもや目がロンパリ、口がへの字。しばしの沈黙。。。
「行く。」

途中で何度かベンチに座り、ハッパかけながら、記念館の建物までなんとかこぎつけた。
そこで車いすを借りる。
車いすを押し館内をいろいろまわり、お茶を飲み、トサミズキやキブシやマンサクを愛でながら母と話す。

建物から出た所で、開けた場所があった。高知の街が一望できる。少し段差があったが、そこに行ってみた。
さて戻ろうとしたとき、問題が発生。たった1センチの段差を越えられなくなった。
車いすの使い方も良くわからないまま、何度かふんばってみたが、65キロの母を少しももち上げられない。
後ろにはフェエンスもない。母が車いすをへたに動かしでもすれば、崖に落ちる。
車いすにロックをかけて
「ぜったい動かんといてよ!」
といいはなち、母をその場に残して人を呼びに走った。

ところが平日のせいか、誰もいない。一組いたが、皆お年寄りでとても母の車いすをもち上げられそうにもない。あっちこっちの建物や展示室を走って廻りながら、これは何かあるんやろうな、と思った。やっと見つけた人影はカフェのお姉ちゃんひとり。
「ごめん!母の車いすが1センチの段差で動かんなった。手伝おて!」

やっと母の所に戻ったとき、ぽつねんとそこにいる母のすがたを見た。なんと心もとないろころにおいて来たのだ。バックに広がる高知の風景。はかない一瞬のうつくしさとやるせなさ。
「せーの!」
カフェのお姉ちゃんと息を合わせて車いすを持ち上げた。

カフェのお姉ちゃんにだいじな情報をもらった。そのまま下まで降りてくには、もっと大変な坂を延々と下らんといかん。もと来た道に戻った方がいいと。
帰り道はちょっときつかった。ほんのわずかな上り坂は、母の体重を十分に感じさせてくれた。

帰りはタクシーまで車いすを使い、母が歩行器を使ったのは、タクシーを降りて家までだった。

家に帰り着いて、さすがにちょっと疲れて休んでいると、母が言う。
「あれ?なんかちがう。。。」
母を見ると、出かける前と同じ姿勢でソファに座っている。
「ここにこうして、おなじポーズで座っちゅうがやに、心が軽い。。。
なにこれ?さっきとぜんぜんちがう。。。。」
独り言のようにつぶやく。

母に何が起ったのか。

つづく。

2016年3月20日日曜日

母を連れて外に出てみた


今回、高知に帰って、母の心の中を観ることが出来たのは、おもしろい体験だった。

母は5年前に小脳が小さくなって行く進行性の難病を言い渡された。
それは急激に体の機能を衰えさせて行く病いだと言う。
1年後には車いすになり、2年後には、自分で筋肉も動かすことが出来なくなり、4、5年後にはいろうになると診断されていた。

5年経った現在、家の中で歩行器を使い、なんとか歩いているし、自分で料理も作るが、いろうにはなってはいない。
買い物はヘルパーさんにたのみ、週に一回リハビリに連れて行ってもらっている。
とにかく運動することがだいじ。体を出来るだけ動かすように言われている母である。


滅多に家から出ないが、自然が好きな母を、病院へいくついでに「牧野植物園」へ連れて行くことになった。

ところが、いざ家を出ようとすると、
「いや。行きとおない」
というのである。
午前中父の病院に行き、昼前にもどり、母とお昼を食べてのち出発予定だったのに、頑として動こうとしない。お化粧も終わり、着替えているにもかかわらず、ソファに座ったまま、行かないの一点張りw。

はは~ん。きたな。とおもった。
「どうして行きたくないの?」
「いややもん」
私は牧野植物園への道中がしんどいからだとおもったので、
「じゃあ、病院だけにしよか」というと、
「病院に行きとおない。牧野さんところへは行きたい」というのである。

そっち?とおもわず吹き出しそうになる。
「なんで病院行きたくないん?何か問題でも?」
「あそこの坂がいや」
母の病院の入り口に、長さは3メートルほどのほんの少し緩やかな坂がある。母はその坂を上がるのがイヤだと言う。

母はいつもシュミレーションをする。それは、今座っているソファから立ち上がる所から始まる。
立ち上がり、家の中を歩行器で移動し、靴を履いて、廊下を歩き、階段の手すりにしがみつきながら降り、タクシーを待ち、タクシーに乗り、病院に行き、タクシーを降りて、歩行器にすがりながら、病院の坂を上がる。。。。。そこで、心がつまずいた。
最悪の状況を思い描いたのだ。そこでこけたらどうしよう。。。。もしこけたらひどいことが起こる。そんなことが起こるんなら、行かんがまし。。。

「それって、ホンマに起こるんかな。こけるかどうかは今の段階じゃわからんやろ?ほんとはこけんかも知れんやん」と私。
じーーーっと考える母。しばしの沈黙。
目がロンパリになってる。口がへの字に曲がってる。意志力でなんとかしようとしている時の彼女のいつもの顔だ。
「行く。」と一言。
彼女の意志は決まったらしい(笑)。


さて、母とむすめの珍道中。これからどうなりますことやら。

続きは明日。



2016年3月18日金曜日

私って親のコピー???


父の二度目の肝臓の手術で、高知に帰って来た。
83になっての大きな手術は体への負担がすごいのだろう。術後、色々幻覚を見て、心が落ち着かない様子。

「寝ゆうのに、起きあがっちゅうような感じがして、壁が地面になり、天井が壁になった。点滴は下に落ちるがやのうて、横に流れよった」とか、
「夜中に人がわんさか入って来て、トイレに隠れよった。」とか、
「寄せ木大工の中を入って行きよった」とか、色々教えてくれる。

普段見慣れないものを見ると、人は動揺する。
その点うちの母は、普段からへんなものを見るので、動揺しない。
母の車いすをつく私の声がうしろからするのに、
「つくしの顔が私の前にあった。しかも二つ横に並んじょった」
と、こともなげにいう。

父にその話をすると、
「わしの方がまだマシやな」といった。(笑)
術後の病人よりも、母の幻覚の方がひどいというのである。

二人は26年ほど前に離婚したので、高知に帰るとあっちこっちに顔を出さねばならず、アレコレと忙しい。父に母の近況報告をし、今度は母に父の近況報告をする。
それを聞いて、「そうか、そうか」と、それぞれが納得するのである。

離婚しても、二人のあいだに子どもがいれば、何かしら見えない糸でつながっているのかもしれぬ。あいだに入った子どもとしては、ややこしくもあり、複雑な気持ちになる。
心配し合うんなら別れななきゃいーのに、とも思うが、外から引いてみれば、「あの二人はムリだろう」と容易に察しがつく。

今回帰ってみて、いろんなことが見えた。
自分の心のクセが、父のこの部分をうけつぎ、母のあの部分を受け継ぎしているという新事実におどろく。

病院ベッドの横にいろんなものをすぐ手が届くように置きたがり、それが思うように行かないと動揺する。時間通りに事が進まないとイライラする。前もってあれをするにはまずこれをやって、それをやって、、、、、というふうに、段取りをふみたがる。病人のくせに、他人の昼飯はどこで食べる、何時に行く、と、人の段取りの心配までする。

母も母で、これからやることに段取りを考える。というより、心配をする。
あそこでこうなってああなって、と、前もってシュミレーションをするはいいが、その時に起こるかも知れない「最悪のケース」を思い描く。そしてその「最悪のケース」に動揺して、どこにも行きたくない、いやいや病が起こるのである。

父は、うまくこなせばうまく行くと信じて、段取りをする。
母は、うまくこなせなかったらどうしようという、心配の種を増やす。

一見父の方が上手にこなす人に見えるが、しかし実際、事がうまく運ばないと、怒り出すという固さを持っている。
しかし母は、最悪の状態をイメージしているせいか、そういうことが起こっても、柔軟に対処するという強さがあった。

この二つは、同時に私の中に入っていた。
私は私独自のオリジナルだとおもっていたものが、単に親から受け継いだものだったという単純な答えに、あぜんとした。
なにこれ?
私って親のコピー???

しかしそう思えると、自分の考えに責任を取らなくて済むとゆー、楽観もうまれてくる。
なーんだ。全部自分のせいじゃないんだあーーって(笑)。

そうおもえると、親たちのそれぞれの右往左往がおもしろおかしく見えてみたのだ。
きっと彼らもまた、その親たちからもらって来たクセをそのまんま演じているだけなのだ。

今回の帰省は、親の手術を通り越して「気が楽になる」ものだった。
わははー。とーちゃん、失礼w


2016年3月8日火曜日

花粉症、その後


まわりの風景がかすんでいる。
みなさまお待ちかねの黄色い花粉到来の季節です。

やまんば、石けんなし生活5年目に入り、ひどい花粉症はどーなったか?とゆーと、ほぼ消えている。
こまかくゆーと、時々思いだしたよーにくしゃみをする。
思いだしたよーに、鼻水が足れる。
思いだしたかのよーに、目がかゆくなる。
思いだしたかのよーにのどがかゆくなる。
とゆー、いたって楽な状態。

じつは、ある法則に気がついたのだ。
それは、『症状はいっときだけである』ってこと。

目が無性にかゆくなる。
このときたいていかきむしってしまう。でも、そのかきむしったせいで、なおのことかゆみが増し、そして白目の部分が水ぶくれになって、まぶたも閉められなくなるほどひどくなり、そしてもっとしんどい状態になるという連鎖が起こっていた。

だからやまんばは、目がかゆくなったとき、その症状を見る、という事をやった。
「ふんふん。目がかゆい。それはどんなかんじ?」と。
おもしろいことに、かゆさは、いっとき、ぐわ~~~っ!とひどくなるが、ある一定の時間を過ぎると、急に収縮する。これ。これがポイント。
いっときは山場を向かえる。しかし、その後収縮する。
それがわかると、目のかゆみが来ても、「あーきたきた。」といって、放っておけるのだ。するとまもなくかゆみは消え、どっかいってしまう。

鼻水もそうだ。
ずる~~~~っとでてくる。
それを出るがままにほっておく。
それなはぜかとゆーと、鼻の中の鼻水は、いわば、鼻の粘膜を刺激する花粉の出入りをシャットアウト、または、潤滑油になってくれているからだ。
へたに「ぐしゅーん!」とかいでしまうと、せっかくの潤滑油もフタも消えてしまう。
すると敏感な粘膜に、刺激的なスギ花粉がまたまたやってきて、ますますじゅるじゅる~~~~~~~になるのだ。
だから出るままにほっておこう。。。といっても、大人はちと恥ずかしーから、
見えない程度に、鼻の中にためておこう(笑)。

ま、よーするに、抵抗しないってことやな。
起こってくる症状を、
「ひえ~~、またきた!」と、びびらないで、
「うん、そのうち消える」といって、そのままにしておく。
すると消えていくのだ。


これ、お釈迦さんも言ってるらしいっす。
色は無常である。原因や条件によって生じたものは、あくまで実体のない一時的な現象に過ぎない。

それがいつまでも続くのは、心が続かせている(こじらせているw)だけってことみたい。