2016年3月25日金曜日

三つ子の心、百まで。


母は高知の地主の娘として産まれた。360度見渡す限り自分の土地。浜まで人の土地をふまずに行けたという。
それがどういう意味なのかは、彼女の話の断片で想像できる。

社会人になって県庁に勤め出すまで、「お金」という存在を知らなかった。空襲警報が鳴っている最中でさえも、彼女の母といっしょに洋品店のシャッターを開けさせ、ビロードのワンピースを買いに行ったほど。当然現金払いではなく、付けで払われたから、お金など見たこともなかったそうだ。

家には食料品でないものがなく、いつも大勢の人たちが出入りしていた。人がすっぽり入る大きな樽には、梅干しや、みそや、あらゆるものがつけ込まれていたし、乾物類は高級品が山のようにあり、新鮮な野菜は自分の畑で使用人が作る。たくさんいた山羊のお乳で、彼女の祖父は牛乳風呂に入っていた。

小さな彼女には、吾作とか佐吉とか言う、使用人がついた。歳のころなら今の私ぐらいだろうか、その使用人に向かって「佐吉!あれとってちょうだい!あれが欲しい!」と、命令口調で動かしていたというから、生意気なガキそのものであったろう。

母はいまでは見る影もないが、むかしは美しかった。彼女には2歳年上の姉がいる。二人で村を歩くと、村人みんなが振り向いたという。
「あんたらあ二人が歩くだけで、わしらしあわせになる」
そう声をかけてくる村人たちに、向けた心はどういうものであったか。

「いやでいやでたまらんかった」
「もう!あたしをみんといて!とおもうた」そうな。

そりゃ、無理な話だ。今のようにアスファルトもなく、土ぼこりが舞う村の道を、絹やビロードのワンピースを着てエナメルの靴にぴらぴらしたレースの靴下をはいた少女が二人歩くのだ。注目しないわけがない。

「いやでいやでたまらんかった」という思いは、今と全く同じではないか。三つ子の魂百までというが、まさに三つ子の心は、百まで同じってことだ。
母の中にある他人への嫌悪は、この頃に付けられたものだと思う。
下々のモノたち。
そういう感覚はお金持ちならではのものではないだろうか。



私は母のことを「蔵女」と呼ぶ。岸田劉生が描く『麗子嬢』そのものだ。
暗い蔵の中で、金襴緞子の帯絞めながら、鏡に映った自分をのぞく快感を味わい続けるひとりの少女。彼女はずっとその世界の中で生きているかのようだ。

蔵の外は下々のモノたちが住む世界。その外に一歩踏み出せば、つねに注目される。
好奇の目にさらされる自分。快感と拒絶の中で、歩く彼女。みっともない姿だけは見せたくない。。。。

「こけたらいかん。。。こけたらいかん。。。」は、そのみっともない姿へのアラームだ。
映画でよくあるシーン、「緊急事態発生!緊急事態発生!ビーッ、ビーッ、ビーッ!」というあの不快な音が、彼女のあたまの中で鳴り響いているのかも知れない。

彼女が一歩も外に出たがらないわけは、そこらへんにありそうだ。




2 件のコメント:

まいうぅーパパ さんのコメント...

久々寄らせて頂きました。
色々と大変だったのね・・・。
お二人とも、なんだかんだで、強いね・・・と思ってしまいます。

つくし さんのコメント...

おひさしぶり!
なんだかんだで、しぶとい二人ですw