2016年3月18日金曜日

私って親のコピー???


父の二度目の肝臓の手術で、高知に帰って来た。
83になっての大きな手術は体への負担がすごいのだろう。術後、色々幻覚を見て、心が落ち着かない様子。

「寝ゆうのに、起きあがっちゅうような感じがして、壁が地面になり、天井が壁になった。点滴は下に落ちるがやのうて、横に流れよった」とか、
「夜中に人がわんさか入って来て、トイレに隠れよった。」とか、
「寄せ木大工の中を入って行きよった」とか、色々教えてくれる。

普段見慣れないものを見ると、人は動揺する。
その点うちの母は、普段からへんなものを見るので、動揺しない。
母の車いすをつく私の声がうしろからするのに、
「つくしの顔が私の前にあった。しかも二つ横に並んじょった」
と、こともなげにいう。

父にその話をすると、
「わしの方がまだマシやな」といった。(笑)
術後の病人よりも、母の幻覚の方がひどいというのである。

二人は26年ほど前に離婚したので、高知に帰るとあっちこっちに顔を出さねばならず、アレコレと忙しい。父に母の近況報告をし、今度は母に父の近況報告をする。
それを聞いて、「そうか、そうか」と、それぞれが納得するのである。

離婚しても、二人のあいだに子どもがいれば、何かしら見えない糸でつながっているのかもしれぬ。あいだに入った子どもとしては、ややこしくもあり、複雑な気持ちになる。
心配し合うんなら別れななきゃいーのに、とも思うが、外から引いてみれば、「あの二人はムリだろう」と容易に察しがつく。

今回帰ってみて、いろんなことが見えた。
自分の心のクセが、父のこの部分をうけつぎ、母のあの部分を受け継ぎしているという新事実におどろく。

病院ベッドの横にいろんなものをすぐ手が届くように置きたがり、それが思うように行かないと動揺する。時間通りに事が進まないとイライラする。前もってあれをするにはまずこれをやって、それをやって、、、、、というふうに、段取りをふみたがる。病人のくせに、他人の昼飯はどこで食べる、何時に行く、と、人の段取りの心配までする。

母も母で、これからやることに段取りを考える。というより、心配をする。
あそこでこうなってああなって、と、前もってシュミレーションをするはいいが、その時に起こるかも知れない「最悪のケース」を思い描く。そしてその「最悪のケース」に動揺して、どこにも行きたくない、いやいや病が起こるのである。

父は、うまくこなせばうまく行くと信じて、段取りをする。
母は、うまくこなせなかったらどうしようという、心配の種を増やす。

一見父の方が上手にこなす人に見えるが、しかし実際、事がうまく運ばないと、怒り出すという固さを持っている。
しかし母は、最悪の状態をイメージしているせいか、そういうことが起こっても、柔軟に対処するという強さがあった。

この二つは、同時に私の中に入っていた。
私は私独自のオリジナルだとおもっていたものが、単に親から受け継いだものだったという単純な答えに、あぜんとした。
なにこれ?
私って親のコピー???

しかしそう思えると、自分の考えに責任を取らなくて済むとゆー、楽観もうまれてくる。
なーんだ。全部自分のせいじゃないんだあーーって(笑)。

そうおもえると、親たちのそれぞれの右往左往がおもしろおかしく見えてみたのだ。
きっと彼らもまた、その親たちからもらって来たクセをそのまんま演じているだけなのだ。

今回の帰省は、親の手術を通り越して「気が楽になる」ものだった。
わははー。とーちゃん、失礼w


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