2009年9月29日火曜日

秋の花粉症!




なんとまあ、わしゃ花粉症にかかってしまったのだ。
春の花粉症ならわかる。秋の花粉症になるなんて生まれてはじめてのことだ。勝手に石けんなし生活をはじめて「花粉症ついに克服だー!」ともろ手を上げてよろこんだのもつかの間、まさか秋にそのおとしまえをつけることに....?

あれは先日、例の「奇跡の畑」おばちゃんがやってきた時のことだ。
な、、、なんか鼻がむずむずする..。ヘーックション!ヘーックション!とでかいくしゃみ2発。ついでにだあだあと鼻水が滝のように流れはじめたのだ。かぜ...?おばちゃんが風邪持って来た...?いやそんなはずはない。おばちゃんとは10メートルは、離れている。それからは私は鼻水をすすりながらの会話だったのだ。
家に戻って一気に爆発。鼻水が止まらなくなった。心なしか身体がだるい。額に手を当てると微熱が...。かっ...風邪だあー!いやひょっとしたら恐怖のインフルエンザか?気持ちがドタバタしている間に、ふと畑のことを思い出す。
そーいやあ、おばちゃんが来る前にわたしゃ何をしていた?確かフェンスに陣取ったイガイガしたツタをかき取っていた。そんときぷわ〜っと粉みたいなもんが飛んでいたなあ....。その粉をわたしゃ、思いっきりかぶりながら作業していたのだ。

ネットで検索「花粉症 秋」
出た。こいつだ。カナムグラ!!!その名も憎たらしい「鉄(カナ)のつる(ムグラ)」!こいつは夏の間からみんなに嫌われていたツル科の植物。ちょっと油断している隙にばんばん大きくなって、草も野菜もなんのその、エンリョのカケラもなくどんどんその上におおいかぶさって自分の陣地を広げてくる。たぶんみんなどこかで見たことがあるはずだ。ちょっと朽ちはじめた家の庭先にはこいつがかならずいる。何がいやかって、あのトゲトゲイガイガした手触り。素手で触ると全身にビッチリハエそろっているするどいトゲにさされる。ところがそのトゲはちっこいもんだからバラの刺のように抜こうったって、どこにあるのかわからないくらいちっこい。抜けないもんだからいつまでたってもチクチクイガイガしたいやーな気分が残る。
神様は何をお考えになってこのような植物を作られたのか。おまけにその花粉まで人にイガイガさせるのかー!おそるべし、カナムグラ!

そんな嫌われもんのカナムグラですが、百人一首の有名な歌に出てくるそうな。

八重むぐら(カナムグラのことらしい) しげれる宿の さびしさに 人こそ見みえね 秋は来にけり 
恵慶法師

歌になるとなんかしみじみとしちゃうなあ〜。形もかわいいし。

とは言うものの、知らない間に草を敵としている私。いかんなあ。まだまだ修業がたりんのだ。
ところで花粉症はどーなるのか。その後の経過を見ることにする。


絵:「ハーバードビジネスレビュー」掲載「ヘンリーミンツバーグ」

2009年9月27日日曜日

奇跡の畑と呼んでください




「こんなんなっちゃって...。
ここまできたらどうしようもないわねえ....」

近所で畑をやっているおばちゃんが、久しぶりにうちの畑にやってきてつぶやいた。
おばちゃんの目に映る目の前の世界は、草がぼうぼうのどうしようも手のつけられなくなった最悪の畑に見えるらしい。

「草に栄養取られちゃうわよ」
「へえ、すんません。忙しいもんで...。まあこんなだらしない私ですが、ひとつ大目に見てやっておくんなまし」
と、わけのわからない江戸弁を使う私。

こんなんなっちゃって...じゃなくて、わざとこんなふうにしちゃったわけですが、おばちゃんは何年も何十年も野菜を育ててきた人。そのおばちゃんに「草、はやかしてマス」なんてじぇったい言えない。そうか、これが自然農や自然栽培をする人たちの苦悩なんだな。とりあえず、その場をごまかしてやりすごすしかない。だって、草を敵とする発想と、草を見方にする発想には決定的な違いがあるのだもん、その違いをそんじょそこらのガキの私がおばちゃんを説得させられるわけがない。離れ小島のようなところにある畑ですくわれた。これがみんなでいっしょに区画をわけてやる畑だと、とてもじゃないがまわりの軋轢に負けてしまうだろう。

「あら、ニンジンが出来てるじゃないの」
とおばちゃんはニンジンを草の中から見つけてくれた。
「ええ、ここにもキュウリ出来てます」と、すかさず私。
「あら!ちょうどいい大きさねえ」
「『(草の中でも野菜が育つ)奇跡の畑』とでも呼んでやってください」
というと、おばちゃんは笑ってくれた。

絵:coopけんぽ表紙「稲刈り」

2009年9月20日日曜日

すべては完璧




私は最近こう思う。まあ、私の勝手な思い込みですんで聞き流しておくんなまし。

この肉体というものは、本来完璧なものなのじゃないんだろーか。ほっておいたら、すべてが滞りなく循環しているものすごい叡智の塊で、すごいバランスでもって動いている完璧なコンピューター、いやコンピューターなんて言ってしまったら、どこかに欠陥がありそうに思えるので、「生き物」とでも言おうか。これは私たちがまったく関与できる次元のものではない、私たちの心や頭が動かしているものじゃないなにかのような気がする。だって、寝ている間でも心臓さんは動き、血液は循環して、消化も行う。細胞は生まれては死に生まれては死にをくり返す。これは私がまったくもってやっていることじゃない。

ところがここに私たちが関与できることがある。それは「壊す」ことだ。その完璧なバランスを崩したり、壊したりして、果ては病気というものにまで持っていくことが出来る。それはなにか。心だ。心と言う考えでもって身体を崩すことが出来るのだ。(あんまり名誉な関与じゃない。つーか、なさけない?)

インドのヨギがいう。
「ニンゲンが老いて死ぬのは、まわりに老いて死ぬものたちを見ているからだ」と。
つまり、人は自分のおばあちゃんやおじいちゃんが老いて死んでいくのを見ているものだから、単純に「ああ、人は老いて死ぬもんなんだな」と思っているだけだと。だからそのように自分もするだけのことなのだと思い込んでいるだけなのだといっている。
それは心と言う存在がそういうものだと思い込むことによって、その身体をそのように持っていくということだ、というのだ。それはそのおじいちゃんおばあちゃんもまたそのおじちゃんおばあちゃんの死を見てきたからなのだ。だから延々とその連鎖は続いているだけのことなのだ。
もしそれが本当なら、ニンゲンはすげー回り道をしている。

でもその言葉は畑をやっていても感じるんだな...。自然はそのままで完璧で、そこに種をまくのはニンゲン。そこで虫が葉っぱ食べたり、草でおおわれたりして「こりゃあたいへんじゃあ」と刈ったり薬蒔いたりする。するとそれまで完璧なバランスをとっていたその場所がだんだん崩れてくる。その崩れてくる様子を見て、またあわてて何らかの処置をする。そしてドミノ式に崩れていく。

野菜は肥料で育つと考えている。ほんとだろうか。
人は薬で治すと考えている。ほんとだろうか。

大きな視点に立ったら、野菜を虫に食われるのはその場所に馴染むための過程なのかもしれない。その種が持つ性質を、その場所に馴染ませるために必要なことなのかもしれない。自然は人間が作ったアンバランスを、その種がその地におろされた時点で、それがそこでいっしょに共存できるように調節してくれているのではないか。

最初にニンゲンが種をまく。そこに自然のバランスの崩れが始まる。
それは完璧であるニンゲンの肉体という大地に「心」という種がまかれることによって肉体のバランスが崩れはじめることに似ていないか。ニンゲンは老いて死ぬという考えの種が蒔かれることに。



その種を今もう一度考え直す時期が来ているように思うんだな。
じつは心だけがそのハーモニーを壊しているだけなんじゃないのだろうか。最近本当にそのことを考える。一体その種というアイディアはどこから来た?それは自分のウチ側からわいてきたアイディアではなく、どこかで聞きかじったアイディアじゃないのだろうか。

ニンゲンはそんなに小さなものじゃない。そんなに弱いものじゃない。もっと大きな存在だ。ただ誰かのアイディアで、お母さんに言われたことで、先生から習ったことで、もっと努力をしろとか、必死で働けとか、ニンゲンは弱いものなのだから守に守ってガードをして生きるのがいいのだとか、自分を小さくしろと思い込まされているだけだ。
だが自然と同じようにニンゲンの身体も臨機応変に変化するのだ。ニンゲンのおよびもしない叡智によって淡々とそしてダイナミックに生かされているのだ。
たとえ心の種によって身体のバランスが崩れても、また再生されるではないか。今そこにあなたも私も生きているように。なんちゃってねー。

絵;教科書「走れメロス」より

2009年9月19日土曜日

怒りのエネルギー




夜、私は何やらハラが立っていた。
私がハラがたつのはだいたいダンナとのことだ。相変わらず私の弱点にするどいツッコミいれてくれる。触れてほしくない部分なのに、そこをほじくられて、クローズアップされてイライラしていた。
そのままふとんに入ろうとするが落ち着かない。そこで、こりゃ感情のエネルギーを「観察」してみるいい機会だと実験に入った。

怒りの感情がそこにある。それでもっと膨らましてみようと
「もっと怒れ。ほれ、もっと怒りよ、大きくなれ!」と怒りをあおった。
するとどんどん小さくなっていく。
「おいおい、小さくなっている場合じゃないぜ。怒っていいって言ってんだから、怒れよー」
と、いううちにヒュルヒュルと怒りはいなくなってしまう。あれ?あっというまにいなくなってしまった。ついでにダンナへの感情もどこかに消えてしまった。何だ、それほどのものだったのか、とどこかでがっかりしながら眠りについた。

夜中....、突然のお腹の痛みに目がさめた。すごい痛さだ。瞬間にこれは寝る前の怒りの痛さだと感じた。ほら、怒ると「ハラがたつ」というではないか。ハラがたって痛みになったのか?あの時の怒りはお腹に来たのだ。なぜか頭に4、5個の痛みの渦がイメージにわいた。黄色と緑のぎざぎざした渦だった。

さて、ここからはおバカな妄想族がやっていることと思いお聞きください。

私はまず、その一つめの渦の痛みを感情を交えず、どこがどのように痛いのか観察をした。ぎゅるぎゅると音がする。エネルギーの渦だ。ジッと観察をしていると、一つ目の渦は消えていった。第二弾の痛みが襲ってきた。また観察を始める。すると今度は観察だけではおさまらない気がしたので、トイレに駆け込んだ。エネルギーが下に降りた瞬間ジャーッと○◯が出た。だいぶ痛みが治まったのでふとんに潜る。ところが今度は痛みではなく胸の奥にムカムカがはじまった。怒りもムカムカと言うではないか。吐いてしまおうかと思ったが、吐くのはきらい。しばらく抵抗する。でもおさまらない。意を決してまたトイレに。指を突っ込んで吐く。2回、3回...。もう胃液だけに変わってきたのでやめにする。ムカムカもおさまったし、痛みも消えていた。しかし完全に体力を消耗している。こりゃまずいとおもったので、最近編み出した手法を使う。題して回転数をあげる術〜。(バカでしょ?ほっといて〜)頭の上から足の下まで一本の直線を頭に描き、それを軸にした卵形の光をイメージする。その卵は三つ重なっていて、一つへ右回りにもう一つは左回りに、そしてもう一つは固定した状態で回転をさせるのだ。どんどん回転を速くしていく。光速よりも早く(の、つもり)回転させる。するとウチ側からエネルギーがわいてくるのがわかった。どこかでこれでよしと思える私がいていつのまにか眠ってしまっていた。
朝起きたら、どこも痛くなかった。ダンナにお腹いたくなかった?ときいたが、「別に」と言っていたので、食あたりではなさそうだ。

つまり私的感情のエネルギー論でいくとだ。
怒りはエネルギーの一種であるから、どこかで噴出しなくてはいけない。ところがそれが出るところがないと、どこかでたまる。それがお腹の消化の妨げになった。で、痛みとなってあらわれる。怒りのエネルギーをどこかで出してしまわないといけないからだ。たとえばそれを薬で痛み止めや下痢止めなどでおさえてしまうと、いつのまにかそれが蓄積して大きな病気となるのではないんだろうか。ガンは抑圧された感情がたまるとなるともいうではないか。

たぶん、夜ダンナに言われたことは、私のこと線に触れる何か重大なことだったに違いない。自分でも自覚しない深いところにあるわだかまり。そこにつんつんと針で突っつかれた気がしたのだろう。何とも言えない重たい怒りだったのだ。

んで、一体ダンナに何を言われたのか?

.....忘れちまった.....。

(あかんわ)

絵:ミステリーブックカバー

2009年9月18日金曜日

なんで生まれてきたんや?




「自然農なんて出来ん!」
そう豪語したのはみどりさん。彼女は、川口さんの元で2年間自然農を勉強された人だ。その人が言い放つ。自然農はむずかしい、と。

「あんなものはねえ、川口さんや福岡さんやから出来ることや。彼らはそれを広めるために生まれてきたんや。私ら自然農するために生まれてきたんちゃうやろ。あたしは古事記をする人なんや。つくしさんはなんで生まれてきたんや?自然農するために生まれてきたんちゃうやろ!」
彼女の言葉にはっとした。

畑はおもしろくっておもしろくって、毎日通っている。頭の中はいつも畑の映像が満載。「今度何植えよう。来月はああしよう」いつのまにか仕事のことは頭のスミに追いやられていた。そんな矢先、友達が大事にしていたスイカが全部見事になくなった。はたしてこれはサルが持っていったのか、イノシシが持っていったのか?心は動揺する。そのとき、これは私へのメッセージなんじゃなかろうか?...こりゃ畑ばっかりやっている場合じゃない。と、その思った一瞬のち、みどりさんからの電話。たたみかけるような冒頭の言葉。ヤバイ。本業に集中しないと!


みどりさんとはひょんなことで知り合った。沖縄で知り合った人が見せてくれた一冊の本「古事記のものがたり」。表紙がかわいいアメノウズメノミコトのダンスするイラストで飾られている。その本はむずかしい古事記の世界をわかりやすく楽しく書き綴った本だった。興味を引かれた私は彼女に会いにいく。よく笑う面白いことばっかり言う、しかし非常に頭のいいするどい直感を持った人だった。彼女は不思議ないきさつでこの古事記に取り組むようになったという。以来、古事記を広める人となった。今は日本中で講演会を開いている。彼女が言う。
「自然農はねえ、自分のやっていることに取り入れればいいんよ。あたしが畑で学んだことは一つやな。イザナギノミコトにイザナミノミコトが「あら、あなたいい男」と言って誘いをかけたら、ヒルコが生まれた。で、やり直しをする。今度は男の方から声をかけた。「あら、いい女」そうして生まれたのが、日本の国を始めとして、八百万の神々や、天照大神やツキヨミノミコトやスサノオたち。
ところが自然の世界もまるで同じ。最初に雌花が咲いても実がつかない。雄花が咲いて咲いて準備ができたところではじめて雌花がやって来る。そこではじめて実を結ぶんや。これはまるで古事記の神さんの話といっしょやろ?これがあたしが自然農やって勉強したことや。それだけでええんや」
古事記ってすごいね。ありがたい神々のお話ですよ〜と見せつつ、もひとつその後ろに宇宙の神髄まで解き明かしている。

彼女にははっきりと自分のみすえる場所が分かっている。「ぶれたらあかんで」そういって切った彼女の電話にきびしさと重さとあったかさを感じた。
は〜、ひさびさにヤラレちまったぜい。

その彼女が久しぶりに東京で講演会を開く。きっと面白い実になる時間をくれるはず。お時間のある方はぜひお越し下さい。

10月18日(日)
『古事記の物語』

みどりさんのホームページ

表の本:「古事記のものがたり」小林晴明・宮崎みどり著/サン・グリーン出版

2009年9月17日木曜日

キュウリは見つけるのが大変




「私は畑でキュウリを見つけるのが得意だ」
なんて自慢するやつはいない。

だが、草ぼうぼう畑ではこれが自慢の一つになる。トマトやナスならいざしらず、他の野菜たちはなぜか保護色。とくに地を這わしたままのキュウリなんか、草にまぎれてどこにいるのかわからない。「ここにいるよ〜」なんて声でもかけてくれればいいが、彼らはじーっとおし黙ったまま勝手に大きくなる。
かくして葉っぱの中で巨大化したキュウリが「げ!」という言葉とともに見つかってしまうのだ。
彼らも私があまりにも見つけるのが下手なせいか、「しょうがないなあ」と色をつけてみせてくれる。キュウリは熟すと黄色くなる。おとなり中国では、キュウリは「黄瓜」と書く。まさに黄色い瓜なのだ。やはり黄色くなるまで熟させて煮たり焼いたりして食べるらしい。きっと黄瓜/きうりが、なまってキュウリになったに違いない。勝手にそう信じている私。日本じゃまだ青ーいうちから食べるからなんで黄瓜なのかわからないだろうが、こうやってほったらかしにしてずぼらな私だから、この真実を知ることが出来る(自慢してどーする)。

それでもその葉っぱの間からちらっと顔をのぞかせているキュウリを発見すると、なんともいえないよろこびがわいてくる。このよろこびを写真に撮っても伝わらないだろう。ぜひ絵にしてみたいもんだが、私の絵の才能でどこまでこのよろこびが伝わるか。しょせん色の構成でしかないのだ。緑色の葉っぱの下に同じ緑色のキュウリ。「なんじゃそりゃ」ってかんじ。
でも実際目で見るとあきらかに何かが違う。それは触覚の違いを感じているのだろうか?いやたぶん、人は葉っぱが出す音と、キュウリの実が出す音の違いを感じているのだ。葉っぱが「ぱっぱらぱっぱっぱ〜」という音を出しているのにたいして、キュウリは「とっくん、とっくん、とっくん...」という音を出している(ホントか?)。

今、そのキュウリは、落花生とアンデスというジャガイモと一緒に育っている。
ナスもピーマンもこのところ急に寒くなったがますます日々大きくなる。肥料など一切あげていないのになんでこんなに育つのか。大自然はすごい。思わず一人感謝の踊りを畑に披露する。

天高く馬も私もこゆる秋であります。


絵:黄瓜ではありません、レモンです

2009年9月12日土曜日

「困ったらそのままにしておけ」



畑に植えた種の芽がでたはいいけど、その元気な双葉ちゃんを片っ端からコオロギが食べてくれる。壬生菜は8割がた食われた。白菜も大根のはっぱも食われた。先日有機農法の知り合いからもらった白菜の苗もこのまま畑に植え替えると、まず100%食われるな。
コオロギは庭で夜聞いている分には「いい声だなあ〜」なんてのんきなこといってられっけど、農家の人にしたらものすごくにくったらしいらしい。私も今そんな気分。どうも土の下にひそんでいて、夜になると出てきて柔らかい野菜の葉っぱをむしゃむしゃと。

「やっぱ、薬使うしかないよ」
と、白菜をくれた人はコオロギ退治の薬を教えてくれる。
でも私は虫も草も敵にしない(ほんとはにくったらしいけど)主義なので、じっとがまんする。

畑でジッと観察していると、たくさん食われたところと、そうでもないところがある。違いを見ると、草を多めにかけてあるところがなんとか保っている。つまりコオロギちゃんは野菜ばっかり狙っているんではなくて、そこらへんの柔らかい草なら何でも食べている模様。そこで恐る恐る草ぼうぼうの中に、あらたに白菜の種を入れてみる。または食われたあとの大根の畝に、新たに蒔き直しをしてその上にも草をぼうぼうとかけてみる。すべては実験だ。

自然農のおもしろいところは、ほとんど方法論がないところ。窒素を何%、カリを何%、堆肥をこのくらい混ぜて、その後何日にこれをやって....というメソッドがないのだ。その場所場所によって、環境によってすべて変わる、という前提に立っている。だからひたすらその場所を観察するしかないのだ。
そういうわけで、私は畑に行くと作業をするよりもぐるぐると歩いて観察している時間の方が長い。はたから見てたら「草ぼうぼうの中をぐるぐる歩く人」にしか見えないだろう。

自然農の川口さんはその著書の中で「困った時はそのままにしておけ」といっていた。ホントにそうだとこのごろ思う。

以前サルが来て食い荒らしたが、退治もせずそのままにしておいたらその後こなくなった。モロッコインゲンにヘソホリカメムシ(ホントはホソヘリカメムシ)が群がった時も「こりゃお手上げだ」と思ってほっといた。そしたら、今はほとんどいない。すごい量のインゲンが取れる。きっとインゲンとカメムシさんの間で何かの取引が行われたのだろう。ニンゲンの及びもしない所で何かが行われているに違いない。川口さんのいう言葉は深い。そのままにしておくのがいいのだ。

たぶん、何かが起こったとき、ニンゲンは「大変だー!」とパニクッちゃって、どうにかしなきゃいけないと思うんだろうな。だからあれを取り除き、これを取り除きする。だけど、それがくるのは何かしら理由があってくるのだ。もしそれをとりのぞいちゃったら、どっかで自然のバランスが狂うんじゃないかな。だからそれを補うために、また虫やら草やらがでてくる。そうするとまたニンゲンは「たっ...たいへんだー!」って、またそれを排除しようとする。


先日NHKで除草剤にびくともしないスーパー雑草がでてきたという番組があったらしい。私は見ていないけど、そういうこともあるんだろうなと思う。排除しようとした結果、「ほんならこうなっちゃうぞー」と草さんが本領を発揮した。この地球上で何十億年も君臨していた植物さん。私は彼らがこの地球上のトップに位置するんではないかと思う(あ、大地の方がトップか)。その何十億年という間に計り知れないくらいの環境の変化があったに違いない。その間をかいくぐって、そのときその場所に応じてどんどん適応してきた彼ら。たかだか最近でてきたあまちゃんのニンゲン種の浅知恵にそう簡単にやられるわけがない。
「植物、なめんなよー」と言われている気がする。


そのままにしておくという行為は、うけみでありながら、じつはおかれた状況を受け入れるというとても勇気のいる能動的な行為なのだと思う。
でもさ、そんなのんきなこと言ってられるのは、これを生業としてないからだと思う。お百姓さんたちは大変だ。

だもんで、今回もそっとしておくことにする。コオロギちゃんが納得いくまで。


絵「はなたれさきち」より

2009年9月10日木曜日

考えてどーする!その2




たぶん日本人はまじめすぎるんだろーな。(きのうの続き)
人に迷惑かけないようにとか、後ろ指さされないように生きなさいとかいう美徳というか美学がある。でもこれがかえって強迫観念のように自分を押しつぶしているのかもしれない。
アメリカ人なんかそーんなこと考えもしていない(ように見えるぞ)。

今、今度出版されるジャネット・イヴァノヴィッチ(今「あたしの手元は10000ボルト/集英社」が出版されています)の新作のゲラを読んでいるんだけど、ノリが私がいたブロンクスの住人たちそのままでおかしい。なんつーか、単純で、あっけらかんとしてて、ウラがなくて、いつもドタバタしている。ほんでもって深く考えている風でもなく、わたしが言った言葉のウラを読むでもなく、言われたまんまに受け取る彼ら。その彼らがとっても微笑ましかったりする。そんなあの時をなまなましく思い出させてくれるのだ。考えてみれば、あの時は人がどう考えているかなどと気をもんでみたりする必要もなかったなあ。言った通りに受け取れば良かったし。
「つくし!君はサイコーだよ!」なんて言われたままに受け取る快感。

逆に今日本の中でいると、「ちゃんとしなきゃ病」が発病してしまう。あの人は私のことをどう思っているのだろうとか、ああ言ってたけど本当のところはどう思っているのだろうとか、いらん詮索が始まってしまうのだ。すると言った言葉を素直に受け取れなくなってくる。だいたい、君はサイコーだよ!とは言ってくれんし...(なんじゃそりゃ)。

だから今読んでいるゲラが、アメリカ人のノリと日本人のノリのはっきりした違いを際立たせてくれ、また日本に戻ってきた時の、あのういういしかった頃を思い出させてくれる。

やっぱ、ちょっと考えすぎだよ、日本人。
いつのまにかそのノリに私も引きずられている。ぶちぶちぼにょぼにょと四六時中考えている。ちっとは、アメリカ人に見習おう。「Don't think! Feeeeeel!」



昨日ダンナがおもしろいことを言った。
「考えることは抵抗である。すべてを受け入れたら、無心になる」
深いやろ?(こりゃ、考えすぎる大魔王みたいなやつが言うから説得力があるってもんだ)

つまり、考えている(たとえばだれかのことを)という行為は、今その場、その人のおかれた状況や居場所にどこか文句があるのである。あんとき、ああ言った、こう言った、またはああでもない、こうでもないとぐるぐる考えてない?そこのあなた。(そりゃ、わしか)
もし、その状況に文句がなかったら、何も考えないのではないだろうか。満足していることをねほりはほり考えたりするだろうか。ねほりはほり(へんな言葉だな)考えてしまうのは、どっかが気に食わんから、ぶつぶつ考えるんじゃなかろうか。

じつは、気に食わんのはその相手が問題なのではなく、自分自身に何かしらの問題を抱えているからそれを見せてくれているらしいのだ。
「だれが?」
「えーっと、たぶん後ろにいる巨大な本当の自分...」
自分自身の問題は、自分自身ではなかなか気がつかない。だから、あるときぱ〜っと誰かが目の前に現われて、(本人の自覚なしに)あなたの問題を
「ほれ。このようにあなたには問題があるんですよ〜。どれ、今私がそれを演じてみせませう」と、やってくれているのだそうな。
だからその演じているやつが悪いわけではなくて、じつはその人はとっても親切で(本人の自覚なしに)やってくれているのだ。

ということは、考える→文句があるから→文句がある問題児→本当は問題児はあなた→自分の問題に文句を言っている→自分でその問題に気がつかないから解決のしようがない→延々と考える。という堂々巡りになってしまうのだ。

どうも、今ある状況に不服があると心が自動的に動いちゃうんだな。それは考えたらなんとかなるんじゃないか?とおもっているからだ。でもたいていは考えても泥沼に入るばかりだ。とくにこのご時世、あらゆる情報がつまっていてどれが良くてどれが悪いのかどれが真実なのかてんでわからない。探せば探すほど方向を見失うのが今なんじゃなかろうか。
だからこのさい、考えない。ゆだねる。うけいれる。必要があってこの状況がある。どんな状況であろうと、やがてこれは大いなる善に向かって進んでいる途中なのだ。誰一人にとって悪い話ではないのだ。後ろ指さされたっていいじゃないか。人様に迷惑かけたっていいじゃないか。自分の人生を信じる。自分の後ろのでっかい存在にまかせる。やって来たものを淡々と受け止めてやるはめになったことを淡々とやる。頭の中はいつでも上からふってくるアイディアのためにスキマを作っておく。
そうすりゃ、やがて芽が出る、花が咲くっとくりゃあ。

 
絵:「やる気がモリモリわいてくる本」表紙

2009年9月8日火曜日

考えてどーする!




「感情」というものは人の心を相当に振り回すもんのようである。
ついでに「考え」というものは感情とくっついているもののようである。

ダンナとケンカする。ハラ立てる。ソンでそこからいろんな考えが浮かぶ。
「あのやろう。こんなこと言いやがった。今度ああ言われたらこう言ってやろう」とか「あんなやつは、ぞうきんのようにしぼりきって、ふんずけて、そんでもって、ゴミ箱にポイだ」とか考えている。(え?あたしだけ?)

ヒマだとそんなことを考えて妄想にふけられるが、忙しいと考えてられない。いつのまにか忘れていたりする。しかしいつまでも忙しかったらいいが(なんでやねん)、忙しい合間にも、人の心は暇を持て余すようである。作業をしながら、また「あのやろう」と考えていたりする。しかし、その考えの果てにはあまりいいアイディアは浮かばない。たいていはネガティブの雲に包まれたままになっている。

身体の調子が悪いときもそうだ。「ああ、頭が痛い。どうしよう。これがガンだったら....」などと、妄想が膨らむ。この妄想はどうも決していい方向に進まない気がする。
まちがっても「ああ、頭が痛い...。どうしよう...。ガンだったら...。あっそうだ!これはきっとこれからいいことが起こる前兆に違いない!」などとポジティブに考える人なんかほとんどいない(と、おもう)。
たいていは、どこかで聞きかじった「知識」というものを押し入れから引っぱりだしてきて、ひょっとしたらこれは血液がどろどろになっていて、脳にたまり、ある日プチンと...!なんて思いついちゃって、その後の自分の姿などをイメージしてどんどん泥沼に入る。もんもんとしたまま、気がつけば夕方になり、夕飯はとーっても気の抜けたヘルシーな(あたりまえだ。気がちっているので)ご飯になっちゃったりする。んで、ダンナに「なんだこりゃ」なんていわれて、またムカついて.......。

ようするにだ。
ニンゲン考えるとろくなことに行きつかない、という結論に達する私であった。

仕事でアイディアが浮かばずもんもんとする。それこそ必死で考える。あれやこれや引っぱりだしてきて机の上は資料の山。で、もう頭がいっぱいになっちゃって、ぼーっとお山を見る。と、そのとき突然にそのアイディアが横に幽霊のように立っていたりするのだ。今までずっとそこにいたかのように。「びびび...びっくりするなあ。おどかすなよ。ずっとそこにいたの。なんで気がつかなかったのかしら。そうそう、これこれ!」みたいな。
そうすると、いままで力こぶ作って必死(「必ず死ぬ」と書く)で考えていたことがなんだったのーと力がゆけるほどになるのだ。


だいたい考えるときは、人は無意識に左の脳で考える。右の脳で考える人はいないかも。右の脳は直感とか本能をつかさどるからあたりまえなんだけど。だから「考える」という行為は、ロジックで、科学的で、よく人が考える、ついでに言うとテレビで脅かすところの内容の、わたしにいわせりゃ、「つまんない」アイディアの方向にしかいかないのだ。ところがぽっと浮かぶアイディアはトンでもなくハッピーだったりする。「えええ〜、なんでそんなことおもいついちゃうわけ?」と。

昔アリゾナを旅行してガイドしてくれたインディアンのデービットに言われた。西の空から雨雲がざーっとやって来たとき、「あ、雨がくる」と私が言うと、彼はさっと私に言った。
「考えるな!」と。
毒蛇がいっぱいいる河原に来た時も言った。
「考えるな。考えるとヘビがくるぞ」

デービッドはニンゲンの想念は、悪いものを呼び込む性質があるのを知っていたのだろう。

さて最近私はあまりにもつねに「考え」ている自分に気がついた。その考えは感情もくっついているものだ。なぜかというとその考えにはたいてい「解釈」がくっついているからだ。頭が痛い→悪いこと→いやだ。頭が痛いという考えに、「これは悪いことなんだ」という解釈がついたとたん「いやだ」という感情が動く。

じつは頭が痛いというものは、たんに現象があるだけなのだ。ところがそれに人は良い悪い、ソンするトクする、などと解釈をつけるのだ。これが人をネガティブにするはじまり。
もし、この世が「頭が痛いことは、これからいいことが起こる前兆なのよ」などと教えていたらどうなるだろうか。人は頭が痛くなる度に「ヤッホーッ!」っておおよろこびだ。そうであれば今の世はどんなにハッピーだったことか。
でもいかんせん、骨の髄まで頭が痛い=悪いこと、とつながってしまっているこの世のジョーシキだからおいそれとこの「解釈」をはずすことは出来ない。けれどもそれを「観察」することはできるのだ。

先日、私は猛烈にお腹が痛くなった。トイレでおもいっきりナニをだした。しかしまったくおさまる様子もない。七転八倒の苦しみだったが、そこではたと気がついた。これは痛い=悪いことという思いがよけい恐怖心をあおっているのだと。そこで私は痛みから感情を出来るだけ排除する。排除する手っ取り早い方法は、「観察」するのだ。私は強烈なお腹の痛みを観察した。
すると猛烈なエネルギーが、お腹の中で内臓がねじれるんではないか?と言うぐらいのたうちまわっていたのだ。そのエネルギーは音を立てんばかりの大きさで、小腸から大腸をゆっくりと回転しながら移動し、まっすぐ下に降りた。と、そのとたんビチャーッ(失礼)。
あとはまったく痛みが消えていた。

昨日耳かきするお店で働くお姉ちゃんが、お客に殺された事件をみた。かんちがいしたお客が耳かきのお姉ちゃんに無視されたのを恨んで、それを解決するには殺すしかないと思って殺したのだそうな。これなんかも考えが極端に行った事件なんだろうな。
最近よく耳にする言葉で「許せない」というのがある。その考えの果てには決してポジティブな結論は出ないだろう。

私も含めてほとんどの人が自分の「考え」の渦の中でもんもんとしているのではないだろうか。たぶん日本人が歴史始まって以来ぐらい一人一人がここまで考えている時代はなかったんじゃなかろうか。そういう意味では時代の犠牲者だ。たぶんどこかで、考えていないと不安なんだろうな。でも考えたってへみたいなアイディアしかでてこない。自分の人生、どこかでゆだねることかもしんない。


とりあえずニンゲン、やるはめになったことを淡々とやる。
どーしても人は考えちゃうけど、その考えと考えのスキマには、宇宙の真我に通じる道があると言う。私が考えすぎてお山をぼーっとみたとき、スキマが出来たのかもしれない。そのスキマからぽろっとアイディアがふってきた。

スキマスイッチというバンド名は最初ふざけた名前だと思っていたが、どうもすごーい深ーい名前かもしんない。


絵:coopけんぽ表紙「栗拾い」

2009年9月5日土曜日

「野菜の達人」を買う




きのう珍しく雑誌を買った。「野菜の達人」というムックだ。その特集が「自然農を始めませんか」というやつだったからだ。思わず購入。すると昔一度行ったことのある農家が出ていた。
メインになるのは、いつも覗き見している自然農の農園。表紙も中身も全面的に草だらけのシーンが(笑)。その草だらけの中で若者たちがこれまた満面の笑顔で写っている。

時代も変わったのー。その昔、農家と言えば、口を真一文字に結んで黙して語らない寡黙な人々というイメージだった。野菜作り=苦しい、大変、忍耐のはずだった。ところが、この人たちはたのしそーにやっている。おっしゃれーなデッキで、とりたての野菜をおっしゃれーな料理でいただく。子供たちが畑であそぶ。昔は神聖な場所だったから入っちゃ行けなかったはず。そんなタブーはここにはない。すべてがゆるゆるとあったかくって、何でも許されるような空気が流れている。
今までの農家=苦しさというイメージを、彼らは変えていくのかもしれない。ものは考えようだ。すべてはこうでなければいけないとの思い込みが生き方を苦しくさせていく。自給率40%以下の日本の農作物の時代、いっぺん、こうでなければいけないはずのものを解体する作業に入っているのかもしれない。ニコニコした彼らは、これから農業をやろうとする若者への間口を広げてくれるのかもしれない。
福岡さんや川口さんが何十年もやり続けてきたことが、今地道に広がっているということか。これが一過性のものでないことを祈ろう。

しかしこの雑誌、おもしろいのは、自然農の特集で「耕さない、草と虫は敵としない。」といいつつ、後ろの方では「虫をはねる」し、肥料もでてくる。おまけにホンダや三菱の耕耘機の広告が(笑)。
自然農のあり方は、化学農法や有機農法とははっきり一線を引く。とくに草を取らない農法は、有機とも化学からも絶対認められない方法だ。それが一つの雑誌で共存している。
大きな矛盾を抱えつつ、なんとなーくおっしゃれーな野菜作りの雑誌でした。


絵:「へるすあっぷ21」

2009年9月4日金曜日

ふすまの絵の恐怖




うちの母はみょうな能力をもっているから、私にとってお化けやオカルトにはなんの抵抗もなく過ごしてきた。私にもその能力があるかというとさだかではなく、ただ母がへんなことを言うのを「はあ、そういうこともあるか」と淡々と受け止めてきた。

そうはいっても子供というものは何かしら感じるものである。あれは私が幼稚園の頃だった。私は夜になると大泣きをする。ふとんのまん中に座って、「こわい〜」と泣くのだ。すると母は、
「どれどれ。どれがこわい?」とふすまを指して聞く。
「うんとね...。あれがこわいーっ」
「そう、この花瓶ちゃんがこわいのね。じゃあ、なくしましょう」
そういって、母は10センチ四方の白い和紙をもってきて、お米のノリで指差されたふすまに描かれている花瓶の絵の上に貼付けた。
「つぎはどれ?」
「これーっ」
私はひとしきり花瓶が消えると、落ち着くらしい。そのままコテンと寝てしまう。
そうやって、一晩に2、3個の花瓶の絵がふすまから消えていった。

それにしてもなんで花瓶の絵がこわかったのか。昔は何かしら絵柄はある程度限りがあった。花瓶の絵もどこかでいつも使われていた。昔のアルバムにも花瓶の絵があったようにおもう。昔の絵は色も今のように極彩色ではなく、どこか泥臭い。その泥臭い絵が、空間をぴょんぴょん飛び跳ねているのだ。それが不気味だったのか。それとも、そこの家に何かを感じていたのか。

あの家は私の子供時代の一番の拠点となる家だった。私が不思議大好きな少女になった原点はあそこにある。見えないのに何かしら存在を感じる原点となったところ...。

父に頼んで何十年かぶりにその地を踏んだ。
あの家は今はどうなっているのだろう。心おどらせながらむかう。そこは家一つないただの原っぱになっていた。
「ここにあったのか....」ぽつねんとその場にたつ。
何もない原っぱの一カ所に四角いコンクリートを見つける。井戸のあとだ。私は毎日その水で歯を磨いていたことを思い出した。
そのとき、からからと風が吹いて私の頭から何かが消えていった。

私は小学校だけで3回転校をした。引っ越した数は数えきれない。不思議なことに子供の頃私が住んでいた家はことごとく消えている。思い出に浸ろうとしてもその場所はもうない。ただ私の心の中にだけにあの頃の出来事がはっきりと残されているだけなのだ。
今は物理的にないからこそ、あの日々は心の中で永遠に生き続けるのかもしれない。

絵:coopけんぽ表紙
今はなきあの家。そしてまだ親子3人仲良しだった頃のシーン

2009年9月1日火曜日

日本人の顔



ニューヨークには世界中の顔がある。私のように似顔絵を描いていると、いやでも人の顔を見る。すると不思議なことがわかってくる。意外なことに日本人の顔がバラエティにとんでいるのかわかってくるのだ。ひさしぶりに他で掲載された文章をのっける。これは東京書籍eネットに掲載されたものだ。

『日本人の顔』

 人種の標本箱みたいなニューヨーク。
 街を歩けば世界中の顔がそこにある。人の似顔絵を描く私にとって、この標本箱は非常に興味深かった。
 ユニオンスクエアにあるバーンズアンドノーブルという本屋の二階のスターバックスで窓際に座る。フリーマーケットの日は人通りも多い。窓から道ゆく人々を観察する。
 「あれはロシア人だな。美しい黒人だあ。あれはたぶんベトナム人。頭に丸い布をかぶせてるからユダヤ人。あの人は韓国人で、あ、あれはまちがいなく日本人...」
 カプチーノをすすりながら、あの人はどういう人生を生きてきたのか、この人はどういう民族背景があるのか、などと一人妄想して楽しんだ。

 「あれ?たっちゃんがいる....」
 その人は地下鉄のホームに立っていた。カラフルなポンチョを羽織って「コンドルは飛んでいく」を演奏している。いや、そんなはずはない。たっちゃんは、築地でマグロの卸をやっている。こんな所でポンチョを着て演奏しているはずがない。まったくの別人。でもあまりにそっくりなので、近づいてマジマジと顔を見てしまった。眉毛が濃くてまん中でつながりそうなところ、目の色、鼻の形、肌の色、髪の毛の色、髪の長さまでそっくり。彼に出刃包丁を持たせたら、絶対たっちゃんだとおもいこむ。じつはよく見ると他のミュージシャンたちもたっちゃん顔をしてた。
 「そうか、たっちゃんはインカの顔してるんだ」
 それから「川崎さんだ」と思うとアラブ人だったり、「谷本さんだ」と思うとフランス人だったりと、どんどん友達顔の人種を見つけ始めてしまった。日本人の顔っておもしろい。

 ニューヨークでいろんな顔を見慣れると、どの国の人かだいたい分かる。アジアの中でも中国人の顔、韓国人の顔、タイ人の顔、ベトナム人の顔と、それぞれ特徴がある。その国々で、みな同じ系統の顔をしている。ところがなぜか日本人の顔だけ、バリエーションが豊富なのだ。ひとくくりにアジアの顔、とは言い切れないところがあるのだ。
 なぜ誰もそれに触れないのだろう。不思議でならない。なので、これは私一人の独断と偏見であるということを前提としていただきたい。ただ仕事上いろんな顔を見ているので、あたらずといえども遠からず、かも?
 この高尾にもユダヤ人顔の日本人がいる。目は大きくてくぼみ、彫りが深い。鼻は鷲鼻。彼が高尾でなくてニューヨークにいたら、まちがいなくユダヤ人だ。一体どこからそんな遺伝子を持ってくるのだろう?

 私は勝手に推測する。いろんな民族がシルクロードをはるばるやって来て、たどり着いてしまった日本。そこから先は太平洋。旅の終着点は、きっと心地よい安住の地になったのだろう。そこで民族は子孫を残し、ひと知れず歴史の中に埋もれていく。しかし世界中からやって来た人々の記憶は、日本人の血の中に深く浸透し、思わぬ所でちょこちょこと現われ出る。その顔のバリエーションも、忘れられた先祖からのメッセージなのかもしれない。世界の文化をアジアでいち早く取り入れて発展してきたのも、そんな先祖の記憶がなせるわざなのかもしれない。

などと、大それたことを妄想しては楽しんでいる私。そしてそんな私の顔はというと、どうみても中国は雲南省の顔だそうな。


エッセイ:東京書籍eネット掲載 
絵:起業人モンスター列伝シリーズ掲載「岩崎弥太郎」