2018年4月18日水曜日

父の葬儀その2



父は葬儀場から、お金の準備まで用意してくれていた。

私といえば、会場のお花選び、棺選び、骨壺選びなどのもろもろの葬儀のための道具の選択、父のスナップ写真、新聞広告に出す内容のチェック、お香典返しに添える言葉、弔電を読む人の選択や順番、香典の管理、その他いろいろの細かい作業を葬儀社の方にうながされるままにやっていただけだった。

亡くなってから葬式会場を探す人たちから比べれば、はるかに楽な作業にちがいない。どこまで行っても、父の手際の良さに感心、ほれぼれする。




こんな人だったっけ?
と子供心に思う。

幼かった私にとって、父はあまりにもしつけの厳し過ぎる、恐ろしい人だった。

お膳の上の箸がそろっていない、新聞を足で踏むなどの私の失敗を見つけると、間髪入れず父の鉄拳が飛んで来た。固いグーの手が私の顔面にめりこむ。岩のような父の圧倒的な破壊力に、幼い私は後ろに吹っ飛んだ。よけようものなら、倍になってよけいに殴られる。よけられないと思った私は、父が向かってくるその様子をただじっと受けとめ続けた。

お酒を飲んで帰ってくると家で暴れる。投げたり壊したりしたので、電化製品はどこかがかならずへこんでいる。
照明器具をバットで殴って、ガラスがバラバラと布団の上に落ちる様子を見ながら、母は私をかばいこう言った。
「お父さんは、あんなことするけれど、本当はいい人なのよ」
目の前で展開する彼の行為と、母のいい人だという言葉が、私の中で分裂した。


しかしそういう父もよくよく見ていると、ただ寂しかったのだと言うことがわかってくる。

私はよく父の晩酌の相手をした。そうすると、とても機嫌が良いのに気がつく。
父は父として、自身の人生にたくさんの苦悩をかかえていた。それを受け止めてくれる誰かを必要としていただけなのだ。

通夜の夜、父の親戚の人たちと話をした。父の幼年期の話しもまた壮絶なものだった。
父はただ祖父からもらった激しいしつけをやっただけだ。

だが残念なことに、受ける側がもらう傷は深い。
私の中に残ったトラウマは父に謝ってもらって取れるものではない。これは自分自身で解消していくものだ。そう簡単にはいかないだろう。

しかしこうやって受け継がれていくその家のやり方も、私の代で消えていく。
それがゆいいつの救いだ。


今回、お通夜や葬式に来てくれる人々が、口々に私に言う。
「お父さまには、本当にお世話になった」と。
父がどれだけたくさんの人の面倒を見、真摯になって相談に乗っていたかを知ることになった。

私は娘の視点からでしか、父を見ていなかった。父と一緒に生活をした18年間で味わったものでしか、父を判断して来なかった。

それがだんだん溶けはじめたのは、父の死が近づいてきはじめてからだ。

何度かの手術の度ごとに帰って、父と会話をする。回を重ねるごとに、私の中で何かが溶けはじめる。それは一個一個、音もなく自然に溶けはじめるなにかだ。
病気や手術や入院することは縁起でもないことなのだけれども、そのおかげで私は父に近づいていった。

いつのまにか、殴られたことも恨みにも怒りにもなっていなかった。
あのとき、どうしようもなくそうなったこと、そしてそれはすでに過去ものであること。父を責める気持ちもなにもなかった。
病床にいる父に
「とーちゃん、わたしはつらかったよ」
と、伝える必要も感じなかった。
時には冗談を言い合って、時にはただじっと2人だけで、何も言わずにただいる時間がすてきだった。

そして今、こうして父とかかわりのあった人々に触れて、葬儀の準備をしている。
それは二度とやって来ない貴重な時間だとしずかに受けとめていた。



写真:父と5ヶ月の私。





父の葬儀その1




「お父さんが、息があらいきねえ。はよう帰って来てや」
そう母から電話があり、あわてて飛行機の手配をして電話をかけなおす。

「最終便しかとれんかった。まにあうやろか?」
「うん。もう大丈夫。さっき息を引き取ったぞね」
おもわず、
「はやっ!」と、言ってしまった。

その四日前に高知に帰って来た所だった。その時の父の様子で、もう先はないなと感じていた。亡くなる直前まで血圧もなにもかもが正常だったと言う。しかし母が電話を切って、数分もしない内に息をしなくなったらしい。
父らしい、あっぱれな行き方だった。

きっと私が飛行機の手配やら、仕事の手配やら、バタバタしているのを近くでにやにやしながら見ていたんじゃないだろうか。
「何をあわてよらあ、おれはもう逝ったぞ」とかいいながら(笑)。


最終便で戻ると、父がベッドにいた。
すぐに目を開けそうな、でも、もうここにはいないような、どっちとも言えない不思議な父がそこにいた。

「今日はここでお父さんと一緒に寝よ」
父が私の母と離婚して、一度も泊まったことのない父の家。はじめてのお泊まりは、死んだ父と、再婚相手の義母と、狭い布団の中で川の字になって寝ることだった。

緊張してなかなか寝られない。そのうち小さな揺れに気がつく。「あ、地震が来る」と思った直後に揺れが。高知は震度3だった。
いろんなことが起こるなあ。。。
これからやってくる未知の体験に、ハラをくくらされた瞬間だった。

父プロジュースの元(笑)、喪主としての仕事が始まった。と言っても、葬儀社の方にやっていただく内容を次々に選択していくということのようだ。

父のカラダは死後硬直が始まっていた。納棺師さんがこられて、身体から出る液体を吸い上げていく。死後変化していく父を告別式までもたせなければならない。あいにくこの時期火葬場が込み合っていて、予定より一日ずれ込んだ。なによりもまずは火葬場ありきで予定が組まれていく。

父の肉体の変化に応じて、いろんな処置をしている納棺師さん。
父の家は二階がメイン。玄関までの階段は狭く急で、二度折れ曲がる。
膨れて重くなったからだを降ろすのは、出来るだけ早い方が中のいろんなものが出なくて済む、、、などのリアルな話しを聞きながら、
「じゃあ、早いとこ葬儀社さんの方に連れて行ってもらっていいですか?」
と、父を早めに運んでもらうことに。
長い闘病生活のために、肉体に水がすごくたまっていた。最後は足が自分でもち上げられないほどに。

父の身体は、男性6人によって無事会場に運ばれた。


注:写真は、父がまだ母と結婚する前のもの。
押し入れの中から古いアルバムをみつけた。
立ちポーズが決まっている(笑)。

2018年4月5日木曜日

父、自分の葬式をプロジュースする


「葬式のことで話しがあるから、帰って来い」
父からの電話で高知に戻った。

自分の葬式にはあれを置いて、これを納骨して、名簿はこのように。。。
と、色々注文をしてくる父。
はいはいとメモっているうちに、なんだかおかしくなってくる。

「とーちゃんさあ。今、自分の葬式のプロジュースしてるじゃん。それって、覚悟出来てるってことなん?」

何度ものがんの手術に耐え、抗がん剤治療も全部受け、今は全身にがんが転移している。そしてついに何の抗がん剤治療も行なわれなくなった。
父はそれを見て、自分の死を身近に感じたようだった。

父は私の言葉にちょっと考えて答えた。
「出来てない」
素直な父の言葉におもわず笑った。

離れて暮らして40年たつが、今になって父がどんな努力家だったかみる。
術後の回復力はすさまじいもんだった。日々のリハビリでみるみるうちに回復していく。人がみていないあいだにひそかに訓練して、杖をつかないで歩ける姿を見せて、医者や看護士さんたちをあっと驚かせるお茶目な所もある。
目標を持って、一歩一歩確実に前進していく人だった。

それが今は、何の努力もいらないと言われることになる。

「起きたいのに、起き上がるなと言われる。。。歩きたいのに、危ないから歩くなと言われる。。。なんちゃあできんじゃいか。。。。」
自分が情けないというような、泣きそうな顔をする。

日々後退していくカラダの状態。
トイレに行こうとしてこけると、もうおしめにしようと言われる。
今度はベッドで起き上がって後ろに倒れ込むと、もう起き上がってはいけないと言われる。

だんだん自分では何もしてはいけないと言われていく。努力の人が、もう努力はせんでええと言われる。努力こそが、彼のアイデンティティだったのだ。看護して下さる方々にご苦労をかけてまでの、その無念な気持ちは彼にしかわからないだろう。

人は何かを「する」ことで安心を買う。その何かを「する」ことさえも出来なくなると、彼の安心はどこで買うのだ?

「とーちゃんは、ほんとに努力の人やでねえ。すごいわ。でもねえ。ときにはなんちゃあせんでもええときがあるがよ。人生、決して悪いようにはならん。安心して起こることに身をまかせてみたら?」

レースのカーテンから漏れる薄明かりの中で、父はどこかホッとしたような顔になり、そのまますーっと寝てしまった。

私が生まれて来て、最初に出会った存在、父と母。
かれらを通してこの世のルールを知り、そしてまたかれらを通して人間の生き様をみせてもらっている。


高知の山は、今、緑がムンムンし始めた。



2018年3月18日日曜日

山を感じる


近所の高台から、高尾山脈が見渡せる場所がある。

満開の梅林の向こうに、すこし霞んだ高尾山脈。
見上げるでもなく、見下げるでもないちょうどいい位置に向かい合える。

ぼーっと立って、目の前の山を全身で感じる。
山を身近に感じる。
かといってお友だち感覚ではない。圧倒的にあっちの方が優位。威厳と風格と知性と微動だにしない安定感で、圧倒される。

腕と胸とカラダがジーンとする。

大きいって、なんてすごいんだ。。。などとおもいながら、
圏央道の橋の下をくぐった。
その橋も大きい。

「大きいって、なんてすごいんだ。。。」
と、さっきの山のように感じようとした。

しかし、それは頭だけだった。
頭が「これは大きい」というだけで、
カラダも腕もジーンとこない。
ましてや胸のあたりに、えもいわれぬ感動が襲って来ない。

自然がもつ圧倒的な力と、
人工物がもつ力の違いを見た気がした。



2018年3月14日水曜日

ずっとずっと誰かに言い訳していた


ずっとずっと、誰かに言い訳してた。

これじゃないからね、私の実力はこんなもんじゃないからね。
次!そう、この次だよ!
この次に作る作品が最高!
だから待ってて、今、作るから!
だから待ってて、次、作るから!
だから待ってて、こんど作るから!
だから待ってて、いつか作るから!


これは、今私がもっているすべてを否定することになるんじゃないか?
過去のやって来たすべての作品を「あれはもう終わったこと。ゴミ。」と言わんばかりに。

「ごめんなさい!ごめんなさい!もうしません!もうしませんから許して~~!」
夜、家から放り出されて、雨戸も玄関も閉められ、裸足で家のまわりを走り回って許しを乞うていた幼い私を思いだす。

過去はごめんなさい。
未来にがんばるから許して。

過去の作品はごめんなさい。
未来にすごいのを作るから許して。

作品作りに過去の幼いときの記憶がだぶることにぞっとする。
こんな所にも無意識に過去の法則の中でしばられていた私。

今ここにないものを、次作ることによって許されると思い続けていた。
それはすでにもっているものをなきものにしてしまうまでの自己否定。



これが自我/思考の動きだ。
自我は今ここにあるものを否定する。
ここじゃないどこかに行こうとする。
これじゃない何かを常に求め続けている。

私の場合は、制作にその渇望が現れていた。一見その衝動は、建設的な動きのようにみえるが、その実、心の中はほとんど破壊的といってもいいほどに強いものだ。

これじゃない!それでもない!ちがう!ちがう!もっと!もっと!
自我によって、その衝動は止められない。



知識で知っていても、それを自分自身に応用するのはむずかしい。
それが自分に浸透するまでに時間もかかるようだ。

そしてあるときその自分自身の自我の構造/クセに気がついた。つねに「次の作品」ばかり意識がむいて、前のめりになっている自分に気がついた。そのとき何かが入って来た。



もう、私はすでにもっているじゃないか。
ここに。

どこにも行かなくていい。次の作品を探さなくていい。作らなくていい。
ただここにいるだけで、すべてはある。

ここにいることに満ちる。

私のバックに、私のまわりに、私の存在に、そのすべてが満ちている。
私はそれとともにいる。
ただ何もしないでいるだけで、そこにあふれている。



過去を嫌い、未来に恋してばかりいた私は、

今に恋をし始めている。







2018年3月10日土曜日

山が好きだ



私は山が好きだ。
だからといって、登山もしないし、山に分け入って山遊びもしない。

目の前の高尾山に向かって「山は眺めるものだ」とかいって、仁王立ちして腕を組んで、エラそーに眺めているだけだ。


そんな私でも人と違うことをひそかにやっている。
それは山と一体になること(笑)。


以前近所に住んでる女の子が「山の声」を聞くのを驚きと尊敬の眼差しで見た。
あれから12年。山の声を聞いていたあの子は、今はガンガンに化粧をして、ガンガンにお洒落をして、とても大地に座り込んで山の声を聞いた本人だとは想像もできない。

「あんた、ちっちゃいとき山の声聴いてたやん」
と言っても、怪しいおばさんを見るような目で私を見る。

きっと世の大人たちは、昔自分がやっていた事をかけらも思いださないのだろう。


だが私は今でも昔の感覚を覚えている。
しかし昔のようにはいかない自分も知っている。
あの開放される感覚、すべてが一体になる感覚は、何度トライしてみてもできない。そんな自分を嘆くことしか出来なかった。


ところが最近、その感覚が戻って来たのだ。
私の思い描く山は、低山。富士山とかエベレスト山とかそんなりっぱなものではない。きっとちっちゃい頃見ていた禿げ山だ。だから目の前の高尾山はちょうどいい。
しかも山は見ていなくてもいい。ただ浮かんでくる山と一体となるのだ。


その時の心の安心感と安らぎと至福はなんともいえない。
山がもつ安定感。その上に豊かに生きる植物や、動物や、昆虫や、名もなき存在たちを、がーっとぜーん部ひっくるめて抱きかかえている山。すべてが自分の上や中にあっていいと許している。何万年と言う長ーい時間を「ふおっふおっふお。。。」とか、笑いながら受けとめるおおらかさ。
それがこのちっこい私のカラダにしみ込んでくる。

私は山の上を駆け巡る風となり、
大地の下をぬける素粒子となり、
転がり、飛び出し、
天狗のような気分になり、
ものでなくなり、
やがてすべてとなる。


その時、私は一個の人ではなくなる。
ただそこにある、なにか、になる。

それはどこかずーっと奥にひそんでいて、
「いつでもここにいるよ」と、告げているなにか。

ちっちゃい頃の私はいつもそれとともにいた。
そしてそれは、今もここにあるのを感じている。





2018年3月4日日曜日

オルゴールの中にいる私


自分の中にわき起こる思考をじーっと観察していると、あることに気づいた。
同じ言葉しかしゃべっていないのだ。

朝ふと目が覚めて、あたまが言い出す言葉。
ストーブがスイッチオンになる時に、感じる感情。
布団をあげる時に、言いはじめる言葉。
起き上がってトイレに入った時にいう言葉。
仕事している時に出てくる言葉。
買い物に出かけた時にいう言葉。
レジでお金を支払いながら出てくる感情。
晩ご飯の用意を考えている言葉。
風呂に入った時に言う言葉。
寝る前に言う言葉。
夜中にトイレに起きた時出てくる言葉。
そして朝目が覚めた時に、言いはじめる言葉。。。。

まるでオルゴールか、カセットテープが自動的に動き出すみたいに、
まったく同じ言葉を呟いている私がいた。

さらに聞いていると、一言一言はまったく同じなのだ。

がくぜんとした。
いやいや。私は曲がりなりにもクリエイターだぜ。新しいものを生み出す仕事の人が、同じ言葉しかしゃべってないだなんて。
どっかで新しいことを言っているはずだ。新しい、聞いた事もないような内容を、日々の中で発見しているはずだ。。。

しかし意識的に聞けば聞くほど、クリエイティブのひとつもない。
いつも同じ言葉を吐き、それを聞いたら、同じ感情をわき上がらせ、いつも同じ結末を憂う自分を見ただけだった。。。




心と見ている世界は同じものだ。なので、同じ考えの中にいては、同じ世界しか見れない。たとえ場所を変えて新しい所に出かけてみたところで、見たものに同じように反応するので、またおなじようなモノを見る事になる。
いわば、ひとつの箱の中で、ぐるぐるぐるぐるまわっているだけ。角度を変えてみたって、結局の所、同じ箱の中でしかない。


思考に乗らない、思考と同一化しないとは、こういうことだったのか。
理屈では判っていたし、だからこそ思考観察をつづけていたが、ここに来て、どうしてそうなのかと言うことを、別の視点から見たような気がした。




あたまが言うことをそのまんま聞く、鵜呑みにすると、わたしはいつまでたっても箱の中だ。その箱の中は、同じ思考で出来ているからだ。そしてずっと同じ世界を見続ける。

思考はある種、みえない牢獄の壁なのかもしれない。限られた思考の中で、限られた世界を見続けさせられる、透明な牢獄。。。

それは歳をおうごとに、固くなっていく。
世間はこういうもの、人はこういうもの、年がいったらああしなければいけないもの、こうでなければいけないもの。

歳がいくほどに、そういう言葉を友だちから聞きはじめる。そうやって、頭もカラダも固くなっていくのか。
お年寄りがどこか頑ななのは、「そうあるべき」が沢山増えて、かれらの見る世界は、より固く、狭くなっているのかもしれない。透明な壁は、ますます頑丈でびくともしないのかもしれない。


自分で自分を牢獄にはめている。
小さなオルゴールの箱の中で、同じ声を聞き、
それを鵜呑みにして同じ世界を見ている自分。
ここから出たい!と思いながら、
そのオルゴールの音に耳を傾け続けている自分。

小さなおとぎ話の中にいる私をみた瞬間だった。


2018年2月24日土曜日

なーんもコントロールできんわーい


十何年ぶりに、寝込み系の風邪を引いた。

何で引いたかわからない。でも引くもんは引く。どんなに気をつけてたって、どんなに万全の体制であっても、引くもんは引く。

しかしいざ引いてみると、布団の中で、あーしたのが悪かったのか、こーすれば良かったのかと、後悔と懺悔のオンパレード。
思考炸裂、感情炸裂、カラダの痛み炸裂、自我の大騒ぎに翻弄されまくる。日頃の非二元の訓練(どんな訓練や)はどっかにすっとんでしまう。

こんなとき、とことん「人生は何一つコントロールできない」と、思い知らされる。
指一本自分で動かせない。勝手に動いているのを見ているだけになる。思考のひとつさえコントロールできない。感情も、感覚も。

やっとマシになって来たかと思ったら、今度はダンナにウツしてしまった。さらに険悪なムードに。看病するのも触るのも拒絶される。ハアハア言ってる相手をただおろおろ見ているしかない。色々気をもんでも空回りするだけで、相手の機嫌はもっと悪くなる一方。


絶望的な気分の中で、ゆいいつの風穴が、久しぶりの営業だった。

病み上がりのカラダをおして冷たい雨が降る中、大きな作品をもって歩く。いったい何十年やって来たのだろうか。35年か。。。新しい作品が出来てはこうやって見せに行って来たが、よる歳なみごとに、直接会ってはもらえなくなる。そんな中の貴重なチャンスだった。

担当の方は、私の最近の作品をとても楽しそう見にてくださった。直接仕事にはむすびつかなかったが、すこしだけ手応えはかんじた。とてもありがたかった。



家に帰り着いた。
何も変わってない。

そのとき、自分の心の状態に気がついた。
わたしは未来に希望を託していたのだ。

今ある現状から逃れるために、営業と言う風穴を開けていた。あっちから、いつかいい風が吹いてくるはずだ、、、と。
それは今おかれている自分の状態から目を背けるための手段に過ぎなかった。

「営業」は、私の心の保険であったのだ。
営業さえやっていれば、いつか、どこかで、ここから脱出できる。。!
逆に言えば、何もしていないとは、ここから脱出は出来ない!と。
だから私は無意識に営業という行為に賭けていたのだ。

それは何をかくそう、「ここ」がいやなのだ。
「ここ」をなんとかしよう、「これ」をなんとかかえて、他の何かになろうなろうとしていた。

自分が今ある感情や思考と向き合うことをさんざんやってきたくせに、こんな所に落とし穴があった。
現実の苦しさから逃れよう逃れようとしている自分がそこにいた。

このゆいいつの希望さえもが、逃げであったのか。


抵抗が苦悩を生むことを知っていた。ありとあらゆる抵抗に気がつき、それと向かい合うことをやって来た。私たちがもっているありとあらゆる抵抗。それと正直に向かい合う、ジミーな作業。それでも成果があった。心の中はだんだんと静かになっていった。
そしてそこにはいろんな理解が生まれる。ああ、こういうことだったのか、そういうことか、と。

そんな中で秘密も知る。

やった!これだ!私は秘密を知ったぞ!
もうここから先は苦しみはない!と一瞬の開放が訪れる。

だがそれもつかのま。
また苦悩がやって来る。

この世は固定された方法論など提示してくれない。一瞬一瞬が前回とちがう姿で現れてくる。対応が同じではまったく歯が立たない。

それがこの世界。
何一つ同じものはない。



苦しさは、どうやっても逃れられない。
ゆいいつ、その絶望的な苦しさの中で、癒される。



2018年2月12日月曜日

探求の衝動


気がつくと、ネットサーフィンしていた。

さんざん見て来た非二元の動画をまた見返している。
どこかに新たな考えをもったお人がいないか。

これも見た、
このひとも知ってる、
このひとはちょっといやだ、
このひとはここまでしかわかってない、
もっと、なにか、すとんと落ちるようなことを言ってくれる人は。。?

あ。。
クリックし続ける手が止まった。
何探しているんだろう。。
そのとき、ある動画の女性が言った。

「じっとしていられないのよ。
今ここに、ただいることがとっても居心地が悪いの。
常に、次へ次へと行こうとしている衝動があるの」

それ、わたしじゃーん。

だからクリックし続ける。
次の何か、次の発見をさがして。

これが無意味なことは百も承知だ。
外には探すものなどないと知識ですでに知っている。
外に答えなどない。

マウスをもった手をそっと離す。カラダが何かを探して振動しているのを感じる。
椅子から立ち上がり、キッチンでインスタントコーヒーを入れた。
裸足で庭に出て、石の上に座る。
目の前にある一枚の木の葉っぱを見た。

だめだ。
じっと見てられない。
カラダはじっとしていられない。目を一点に集中させることも出来ない。
探している。次の何かを。。。

地面に視線を落とし、全身を感じる。胸のあたりがざわざわする。
く、、、、苦痛だ。。。
それでもじっとその苦痛の中にいた。


ふと、これもエネルギーなのではないか?と気づく。
エネルギーが揺らめいている。エネルギーが波打っている。

それを私は、「衝動」ととらえた。
それを私は、「探求」ととらえた。

自我はあらゆるものに「名前」をつけた。
このエネルギーは「怒り」
このエネルギーは「悲しみ」
このエネルギーは「恐怖」
このエネルギーは「コーヒー」
このエネルギーは「椅子」
このエネルギーは「パソコン」
このエネルギーは「人間」。。。

そして、今のこのエネルギーの波に、
「探求の衝動」と名付けたのだ。。。

それに気づくと、その「衝動」は一気に冷めた。
さっきまであった落ち着かなさは消えた。
目の前の一枚の葉っぱを、静かに見ていられる私がいた。



「Mayhem & Mass」ミステリーシリーズ表紙イラスト



2018年2月10日土曜日

うほ♥



ふと「○○をやってみたい」と浮かぶ。

「うほ♥」と、心がウキッとする。
未来に起こることにドキドキワクワクする。

んが。
その直後、それとは正反対の言葉があふれてくる。
「それやって、どーするの」
「またあんなことになるんじゃないの」
「それ、意味なくね?」

とたんに、浮かんだことが、膨らんだ風船の栓をぬくように、しゅるしゅるしゅる~~~っとしぼんでいく。

過去起こったかなしー出来事が走馬灯のように一瞬で広がる。

「そうだそうだ。ジェッタイそうだ。何考えたんだろ。あほじゃね?あたし」
「あーバカバカし。さっさとやること終らせよ」
といって、またいつもの変わらぬ日常にもどる。

こういうあたまの中のやりとりが日常的に起こっている。



若いときは経験がないので、やりたいと思ったことをすぐ実行した。
しかし段々経験が増えていくと、「経験」という場所から判断やジャッジが始まって、インスピレーションは、ただの「妄想」に片付けられていく。


自我は過去を追いかける。
「今度はティラノザウルスにおそわれないよーに、身を隠すのだ」
という肉体的に傷つくリアルな肉体的保持のために利用できる道具だ。

と同時に、心が傷つくというものにまで肉体保持をしようとする。
どうも自我は肉体的に傷がつく体験と、心が傷つく体験の区別がつかないらしい。どっちもリアルな体験として保護をしようとするようだ。


であるから、何か新しいことをしようとすると、過去の経験を持ち出し、
「それはあぶない」といってくるのだ。

新しいことは未知だ。過去の経験が通用しない。
なのに過去の経験を引っ張り出して来て、最悪の状態を思い起こさせ、未知の中に入っていくことをとどめようとする。

年がいけばいくほど、未知に入りたがらないのはそこだ。経験がいっぱいあるからだ。自分自身の経験、他人から聞いた経験、メディアが教えてくれる経験。

そうやっていつもの場所におさまりたがる。
「あ~~、いつものここで、あ~んしん♥」と。



だが、どこかで沸々と心が騒ぐ。
「ここじゃないどこか。。。」
「なにかが欠けている感覚。。。」
「あるべき姿。。。」


ある時ふと浮かぶ、今までになかったインスピレーション。
「あ!うほ♥」とワクワク。

その直後、自我は言う。
「それ、意味なくね?」

「ああ、そうやそうや。やってなんになる?」
と過去の失敗を思いだす。

で、「あ~やっぱ、ここで、あーんしん♥」
と、ほっこりする。

の、繰り返し。



そういう心の繰り返しに気がつくのはおもしろい。
そうやって、心があっちゃこっちゃしているのに気がつくのはおもしろい。
その時、あなたは無意識の自動反応の中にない。
否定もせず、ただ見ている。

そのときあなたは、外にいる。







2018年2月6日火曜日

「それがある」と意識した時から、それがある。


「それがある」
と意識したときから、それはある。

先日畑からの帰り、雪の重みで倒れた竹の枝が額に引っかかった。
「いて」と思ったが、まったく忘れていた。


ある日、トイレの鏡で、自分の額に一本の赤い筋が入っているのを発見。
「あ。あんときの竹の枝で引っ掻いたんだ。。」
と気がついた。

それからすぐに、
「なにそれ!どうしたん!?」とか、
「えらい傷があるけど、猫でもいるんですか!?」
と、皆ビックリしながら言ってくる。

自分でみえないから、傷の自覚なし。
化粧もしないし、クリームも塗らないので、鏡を見る習慣がない。
だから自分の顔がどうなっているのか、2、3日まったく知らなかった。

おもしろいなあとおもう。
それまでだーれもその傷に気がつかなかった。
トイレで私自身がそれに気がつくまで。

「私の額には傷がある」
と意識した瞬間から、それは存在し、皆に見つけられるのだ。

2018年2月5日月曜日

恐怖はこの世をリアルにする


恐怖って、この世をめちゃくちゃリアルにするんです。

先日、雪の降る日にダンナと都心に出る予定があった。その日は飲んべの日なので楽しいはずが、ある一点だけ気がかりなことが。。。
ダンナは車で都心に出ようとしていた。ノーマルタイヤで。

「状況を見て、その時決めよう」
と言う話しだったが、当日雪はどんどん降り続いた。

「こりゃ、絶対車じゃ無理だな」とおもいつつも、
「でも。。。あいつのことだから、無理やりにでも車で行こうとするかもしれない。。。」
と思いはじめたら、恐怖が止まらなくなった。


日頃の非二元訓練(どんな訓練や)で、鍛えているはずの私。
恐怖のひとつや二つ、軽く乗りこなせるはず。。。。

恐怖を感じている自分にオッケーを出す。
「おお、怖いんだね。怖いって思ってるんだねー。いいよー」
すると、
「ハイ。おっしゃるとおり怖がってます。では、また怖がることにします」
と、また恐怖が襲ってくる。

いかんいかん。
そうだ。これは未来のことばかりを考えているぞ。
今だ!今にあればいーんだ。
「今!今!今~!」
と、頭で言い続ける。
そればかり言い続けて疲れてくると、
今度は高速道路でスリップして横転するイメージ、他の車に激突するイメージ、なぜか私だけ死んでしまうイメージなど、怒濤のようにイメージが襲ってくる!

ギャーーーっ!恐怖がとまんなーい!!!

カラダはメチャクチャ忙しく動き回っているのに、頭だけがまったくちがうことで恐怖を感じ暴走している。
カラダも心もヘロヘロになった。

雪道に足をとられながら歩いていると、
「あ。。。恐怖って、この世をリアルにするんだ。。。」
と、気がついた。

何の問題もないと、人は何となくほわ~んと生きてる。
ところが問題を見つけると、いきなりこの世はガッチガチにリアル感満載になるのだ。

ダンナと自分というはっきりとした分離が生まれ、車と高速道路という分離が生まれ、生と死という分離が生まれ、物質が確固とした物質としてリアルに立ち上がり、イメージまで膨らませて、臨場感ターップリになるのだ。


家に帰り着くと、車のやねに10センチほど雪が積もっていた。
「ムリムリ」と言いながら、家に入る。
ヘロヘロなカラダをコタツに滑り込ませて30分ほど寝る。

目が覚めると、なぜか作業着に着替えて、スコップをもって外に出る。
「いやいや。何やってんねん。私」
と、心は言う。
心とは裏腹に、スコップで車のまわりの雪かきをはじめた。

30分ほどで、まわりの雪かき終了。
家に入りながら、車の屋根の雪を見つける。
「いやいや。これやったら、本気で車で行くことになっちゃうでしょー」
と、ひとりツッコミをしながら、家に入る。
ヘロヘロがますますヘロヘロになって、コタツに滑り込む。


ところが、ダンナが帰るちょい前に、カラダは勝手にコタツから這い出て、倉庫からほうきを持ち出し、ちゃんちゃんこのままで、屋根の雪下ろしをしはじめる始末。。。

またコタツでカタツムリしていると、ダンナが帰って来た。

「どーすんの?」
「車で行くさー」
「はあ。。そーですか。。」

そのまま車に乗って都心に向かう。
なーんの問題もなく、スイスイ。
都心に雪などなかった。

そしてとーっても楽しい飲んべの時間を過ごし、スイスイ帰ってきましたとさ。
ちゃんちゃん。


って、あのものすごい恐怖感は、いったいなんだったんだあ~~~!

「はい。リア充、感じさせていただきました」


「カリスマ社長の大失敗」/MF新書表紙イラスト

2018年1月31日水曜日

はーるよこい。


大雪ふってから、畑にはしばらく顔出してなかった(飲み屋か)。

畑に向かう北の斜面がいつも吹きだまりになってて残り雪もすごいので、シャベルをもって出かける。

「どこいくんでい」
「畑」
「雪残ってるんかあ?」
「わからん」

道すがら、隣の町会長さんや、宅急便のお兄さんから声をかけられる。
おばさんがショベルをもって、道を歩いてるのが不思議なんか。

それにしても、シャベルなんか、ショベルなんか、よおわからん。スコップとも言うらしい。
名前ってのはほんとに面倒くさい。

まあいいや。
んで、畑に行くと、思ったほど雪は残っていなかった。

ウチの農法は、この時期何もすることがない(と、勝ってに思っているだけだが)。普通は石灰をまいたり、耕したり、春の種蒔きのためにあらかじめ肥料を仕込んで準備をするらしい。

そういう作業は全部すっとばかすのが、やまんば流。
これからろーじん大国突入。何事も楽にできる方法を探すに限る。

やまんば流は、種蒔きする時にちょこっとホックリ返して、種ぱらぱら、ハイおしまい。追肥などもしない、成長途中で手をかけたりもしない。あとは種さんが勝手に気のむくまま芽を出し、気のむくまま大きくなったりならなかったり(笑)してくれる「種さんの気分次第」な農法なのであーる。

もっともやまんばは、最初はそれなりに計画性をもって望んでいたのであった。しかし、長年この畑と関わるうちに、計画性とは、とても人間的なものなのだなとおもいはじめる。

というのも、人の計画無視して野生動物は季節構わずやって来て畑を襲撃していくわ、季節は毎年同じようにやさしくやって来ないわ、植物は毎年同じように生えて来ないわで、とてもじゃないが人間様の計画通りには事は進んでくれぬと言うことをいろいろ痛感したのであった。

そもそも、毎年同じように事が進んでくれる上での計画ではないか。それこそ人間の机上の計画。。。。
こうあるべきをいつも裏切ってくれるのが人生。こうじゃないとこまる~~!というのを、スコーンと裏切ってくれるのが畑だった。

だったらこっちも無計画だ!と、気のむくまま動くことに方針を変えた。
人生の方も、もう無計画だ!と、気のむくまま動くことに方針を変えた。



菊芋を掘り起こしてると、枯れ草の中から去年仕込んでおいたオブジェがみえた。

ゴボウをラクチンに掘り起こせるナイスなシステム。
米10キロ用のビニール袋の上下に穴を開け、4本の支柱でそれを立たせ、その中に土を入れる。土が入った筒状のオブジェのてっぺんにゴボウの種を仕込み、ゴボウの根が出来た暁には、そのビニールをタテにシャーーーッと裂いて、土の下に埋もれたゴボウを根こそぎゲットするという画期的なシステムだった。

しかし種を間違えて、去年はうんともすんとも芽が出なかったのだ。それでそのオブジェはそのまんま放置されたまんまだった。

やまんばは、ビニール袋のてっぺんに生えた草をとりのぞき、去年そこらに勝手に生えて来たゴボウの種を新たに仕込んだ。
今ゴボウの種蒔きする時期ではないが、蒔いてはいけない法律はない。自然界は勝手に好きな時に芽を出す。その力にまかせた。
ゴボウさんも気がむきゃ、育ってくれるだろう。

作業のあと、畑で大の字になって寝る。
もちろん長靴はぬいでアーシング。
青い空が春がくるのを告げていた。