五十肩、その後。
友だちの鍼灸師さんに治療してもらったり、
自分でマッサージしまくったり、
痛いのこらえながら、少しずつ運動したりしながら、
おかげさまで、だいぶ稼働率は上がった。
しかし夜が痛い。
夜中何度も目をさまし、そのつど「イッテエなあ~。。。」
と言いながら、布団の上に出ている腕を布団の中にしまい込む。
が、また「イッテエなあ~。。。」と、目が覚めれば腕は布団の上。
の、繰り返し。
そのうち、手がしびれていることに気がついた。手がグローブのように大きくなっているかんじ。手の感覚もない。右手だったり、左手だったり。指を動かすと、あっというまにもとの感覚にもどるが、なんとも言えないはじめての経験に恐怖を覚えた。
これはお酒のせい。。。。?
と思ってやめようとしてみたが、やめられない自分に驚く。アル中か!?と疑う日々。
必死でやめてみるも、たいして影響はなかった。
このはなしは、先日細かく書いた。
ある日の明け方、相変わらず傷みで目が覚める。
「イッテエなあ~。。。」
いつものように腕をさすりながら、ふと、私は肉体に意識を向け過ぎてないか?と思った。
普段の私たちは、肉体をあまり意識しない。しかし病気などでカラダに症状が出ると、とたんに肉体を意識する。不快な症状に意識を向けて、この不快をなんとかとりのぞこうとあの手この手を考える。
痛い思いをする人々は、
医者に行こう、
薬を飲もう、
民間療法を考えよう、
整体師さんに治療してもらおう、
もう酒はヤメだ!もっといい食生活をしよう、
あれやめよう、これしよう、、、、云々。
あるいはワラにもすがる思いで、
「霊がついているかもしれない、お祓いしてもらおう!」
と、なるかもしれない。
医者に行こう、
薬を飲もう、
民間療法を考えよう、
整体師さんに治療してもらおう、
もう酒はヤメだ!もっといい食生活をしよう、
あれやめよう、これしよう、、、、云々。
あるいはワラにもすがる思いで、
「霊がついているかもしれない、お祓いしてもらおう!」
と、なるかもしれない。
私=肉体というふうに、ビッタリと自分の肉体にがんがんにくっついている自分に気がついた。いや、むしろ肉体に支配されている!肉体にふりまわされている自分に気がついた。
まるで、肉体が主人で、私は家来。主人(肉体)のご機嫌の悪さに、あの手この手でなだめようとする家来な気分だった。
これ、ちがうだろ!
本来私が持っているはずのパワーを、肉体に完全に明け渡していた。
なんだこれ。主人は私だろ!
おいおい、何であんたにパワーを渡さなきゃいけないんだよお〜。
まるで好きなように走り回る子供にふりまわされる親のように、痛みで暴れる肉体にふりまわされている自分に気がついたのだ。
「もう、しらん!あんたなんかにふりまわされない!」
痛みもそっちのけで、寒い早朝にも関わらず腕も布団に入れないまま、
ほったらかしてふて寝した。
ほったらかしてふて寝した。
気がついたら遅い朝だった。
手がグローブのように膨れてしびれていたことが、ウソのように消えていた。
つづく。
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