2008年12月5日金曜日
母の背骨その3
私は、母ができるんだから、骨というものは集まって出来上がるものだと思っていた。でもどうも一般常識ではありえないらしいのだ。
その看護士さんに言わせると、一般的には彼女のようなケースは、全身麻痺で寝たきり...(!)になるしか道はないというのだ。彼女は一体何をしたのだ?
それからよくよくテレビを見ていると、腰椎がずれただけで、下半身が動かなくなった人とか、首の骨の一がチョットずれただけで、全身が麻痺して動けなくなった人の話とか、ごろごろとでてくる。背骨はいろんな神経や内臓とくっついているから、一個でも損傷があると、とてつもなくからだ中に支障を来すらしい。調べりゃ調べるほど、えらい複雑な仕組みになっていた。それが木っ端みじんに吹っ飛んでいたのだ。ずれる、とかのレベルではない。
彼女は体が弱く、私の小さい時からの記憶は、いつもふとんで寝ていたか、げろを吐いていた。
頭は四六時中割れるように痛く、ノーシン、バッファリン、セデスと頭痛薬を浴びるように飲んでいた。そんな彼女が薬漬けの日々を止めたのは、60代に入ってから。植物の力を借りるようになった。昔の本をひもといて、ありとあらゆる民間療法を勉強した。それからというもの、彼女の体は調子がいい。
今回も昼間はタマネギ、ショウガ、ケール、ニンジン、ゆずやはちみつなどを駆使して、カラダの調整を計っていたのだ。ドクダミのお風呂に入り、そして夜はちょこっと呪文をとなえる。
でもそんなことだけなら、誰でも出来るはずだ。一体何が違うのだ?
私はあの看護士さんのコトバに引っかかる。
母が骨は治るのかと聞いた時、「骨は、ねえ〜....」とだけ言った。
あの先には、「なかなか治らんきねえ〜..」と続いていたはずだ。
ところがその時、なぜかその先は言わなかった。
もし、なかなか治らんきねえ〜と言うコトバを母が聞いていたなら、母の心に骨はなかなか治らない、とインプットされたはずだ。
でもその『知識』は、彼女の耳には入らなかった。だから、勝手に骨は治るもんだと思い込んでいたのだ。
信じるものは救われる...ってこういうことをいうのか?
知識とは武器になるものでもあるが、同時にそれを持つ事によって、自然に治ろうとするモノをさえぎってしまうこともあるんではないだろうか。
最近はテレビでよく「ほんとは怖い.....」とか「これが危ない...」とかいって、肩こり一つでも死に至る病いの印だとかいっている。早く見つけないとたいへんなことになる!とうったえる。そのうちくしゃみ一つでウイルス感染を疑うかもしれない。それを聞いた視聴者はどう思うか。当然、体のあらゆる部分を心配するに違いない。肩こり一つで死ぬかもしれないのだ。きっと不安でいっぱいになるにちがいない。だって、誰でも肩こりやくしゃみの一つくらいあるはずだもの。
知識、知識と言うが、こんな知識は単に不安をあおるだけの単なる情報ではないのか。これは一種の洗脳なのでは?しかもテレビは『早く医者に行け、早く、早く!』という。ところが今は医者不足。ニュースではたらい回しのケースが叫ばれる。そんなものを毎日見させられ、右往左往させられたら、『ああ、この世はひどい!』という気分になるにきまっている。しかも番組の間には、健康保険に入れと言うコマーシャルが目白押し。矛盾だらけじゃないか!
私はこんなテレビを見てだんだん腹が立ってくる。
昔は「テレビを見たらアホになる!」と、母に言われてしぶしぶテレビを消したのに、いつのまにか、「テレビが言うことなら本当だ」ということになってきている。いつからそうなってしまったのだ?
しかもテレビを作っている人が
「おら、みんながテレビを信じていることに信じられなかった。あんなにいい加減なものを...」と言っていたの知っている。
もう一回テレビを疑ってみた方がいい。
は...話がまた飛んじゃった...。
ニンゲンのからだってそんなに軟弱な仕組みなのだろうか。そんな軟弱な仕組みの人類が、こんなに長く地球に繁栄できただろうか。先日見つけた江戸時代のお墓には、『永眠70歳』と彫ってあった。ちゃんと長生きをしていらっしゃったのだ。昔は病院なんてモノはなかったというのに。
昔の人は自然に治る自分のカラダの力を知っていたのではないだろうか。
まず、自分のカラダが自然に治っていくという叡智を知ることなんじゃないだろうか。背骨一本一本にくっついた神経や内臓の細胞一個一個が、それぞれの意志をもって、私たちの及び知らない所で活躍してくれている。臓器の一個一個が私たちの中でものすごいバランスでもって動いてくれているのだ。
母は、その叡智をどこかで感じていた。だから心は余計なことは考えず、ただ純粋に『骨よ、集まれ、集まれ』といったのだ。だから骨は集まって来た。そこにもし『骨なんか集まるわけないじゃないの』という思いがあったなら、何一つ集まってこなかっただろう。
先日、私が全身に痛みが走ったものが一日で治ったのも、そういうもののおかげなのだと思う。
私は生姜湯をたっぷり4回飲んだ。ショウガは炎症を抑えてくれるし、ひえをとってくれる。そしてひたすら寝た。するとカラダは自然にもとの姿に戻ってくれるのだ。これを宇宙の叡智と言わずして何と言おう。それのお手伝いをしてくれるのが植物の力ではないだろうか。
もし私が病院に行っていたら、もう少し治るのに時間がかかったかもしれない。痛み止めや、筋肉弛緩剤やそのための胃薬をもらって......。
ニンゲンはただそこにいるだけで、すでに叡智のかたまりなのではないだろうか。それを母の背骨事件が見事に証明してくれているような気がする。そこにニンゲンのエゴや、不安や、恐怖や、今の時代の知識がフクザツに組み合わさると、せっかく自然に治ろうとする力をさえぎってしまうのではないだろうか。
こんな不安な時代だからこそ、自分の中にある本来の力を見つけていくことが重要なんじゃないだろうか。それにはまず、わあわあとうるさい、テレビを消すことかも(笑)。
絵:『T&R』イラスト掲載
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2 件のコメント:
あれあれ?コメントいれたつもりが…
母殿、すばらしい~!
信じるものは騙されると思っている私は…見習いたいです!
あたしも骨折の折には、必ず呪文を唱えます。笑
コメントいれたつもりが....?
『信じるものは騙される』って、笑える〜。
今の時代を象徴しているようだ。
この話、本人がすると、誰も信じないようだ(笑)。だから誰にもしていない様子。
でも私がしたら、半分くらいは信じてくれる。なんでや?
本人から直接聞くことは、どこか恐怖が走るのか?
とにかく、ニンゲンって摩訶不思議やろ?
何かのおりには、呪文をどうぞ。
ちちんぷいぷい〜。
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