2018年9月13日木曜日

手当て その2




一週間後、ハードなバイトのあとのへべれけになったからだに、三回目の施術がはじまった。

今回、彼女は鍼灸師という肩書きを捨てた。
友だちだから出来ることかもしれないが、彼女の臨機応変さ、あたまのやわらかさに脱帽する。

ベッドに仰向けに寝ると、彼女はわたしの丹田に手をあてた。
とたんにお腹が熱くなる。その熱が瞬時に右足に伝わった。だんだん背中が熱くなる。
針灸ではかすかにしか感じられなかった熱が、手をあてられているだけではっきりと現れる。

彼女は足元に場所を変えて、両足首に手を添えた。
からだの中の何かのエネルギーが、一気にあたまにかけのぼった。

今度は足首を離れてどこかに触れている。
両方の足の先が焼けるほどに熱い。
「ど、どこ触ってるの?」
おもわず不安になって聞く。
「ん?足先だよ~」
言って間もなく左半身に何かが走り、左の脳に痛みを感じる。

施術してもらっている間、私の中にずっとあるイメージが浮かんでいた。
それはからだの中が真っ暗で、何もないという感覚だ。
その真っ暗な空間を、かすかなエネルギーが移動している。あきらかに何かが起こっている。しかしそれがいったいなんなのかはわからない。

私たちのからだの中は、物理的にいろんな臓器が存在している。その臓器の変化に応じて治療を施すのが西洋医学。中医では、そこにツボや経絡といった、目に見えないものも存在し、それを前提として治療を施す。

しかし今わたしが見ていたものは、そんなものは存在しないと教えていた。
量子ーまさに本来の物質の姿、何もない世界。
彼女の手を通して、わたしは別の次元のからだの世界を見ていたのか。


彼女は位置を変えて、手をわたしの首の後ろにまわした。
じょじょに今までとはちがう感覚になる。
今度はからだの中ではなく、外にもう一人の自分がはみでた。

その表情はティチアーノが描く、マグダラのマリアのような恍惚な顔をして、私のからだの上でぐるぐると回転している。

なんじゃこりゃあ~~~?

その官能的な感覚と、めまいがするような回転に、ただただわたしはなすがままになっていた。


「はい。そのまましばらく横になっててね」

彼女は部屋から出て行った。
ひとりぽつねんと寝ている私。
戻ってくる彼女を待っていられなくて、勝手におき上がった。

「はあ~~~っ!よく寝たあ~~~~っ!」
と、口走っていた。
一睡もしていないのに、その寝起きの爽快感といったら!
(あれ?あのとき両腕をあげていたなあ。。。w)

その後は疲れなど飛んでしまい、晩ご飯も元気に作り、夜の散歩にも出かけた。
何というか、からだがひとつにまとまった。そんな感じだった。

中医はいたんだ箇所を直接治療するのではなく、まわりから責めるのだそう。
バラバラになったからだをひとつにまとめ統一し、元気にさせる。そうすることで、自分で治していくのだという。
彼女の手当ては、まさにそれをやってくれた。最初の針灸の治療があったからこそ、三度目の手当てが効いたのかもしれない。

ただ鍼という金属や、お灸という植物を通して触れられるよりも、何も介さず、直接手で触れてもらうほうが、私のからだはよろこんだ。そのあとのからだの調子がまるでちがっていたのだ。

「手を当ててる間、何を考えてるの?」とわたし。
「なーんも。ただぼーっとしてるだけだよ。手の感覚に集中してるだけ~」
手の感覚だけに入っていると、私のからだの変化がわかるようだ。
おそるべし。ハンドパワー。でも彼女にその自覚はないようだ(笑)。



その晩も相変わらず痛みで目が覚めた。
だけど何かがちがう。
どこかのんきな私がいた。
私が痛いのではない。
ただそこに「痛み」があるだけだ。
私と痛みをくっつけなくなった。

五十肩は一年ぐらいかかるとみんなが言う。
そのぐらいのスパンで付き合っていくんだな。
そう思うと、焦らなくなる。
痛みを悪者にしなくなる。邪見にしなくなる。

明け方、痛みの中で感じた。
ああ、痛みって、怒りなのかもしれない。。。
これは私の怒りだ。
私が自分に向けた怒りを、つまり自分を痛めつけたことを、自分で味わっているんだ。。

そう思うと、痛みも愛おしくなった。
ごめんよ、私。
今までいっぱい痛めつけたね。
そっと左腕に手をあてた。


手当て。
そっと手をあてる。
そのことがいかに人を癒すのかをじかに体験させてもらった。
それは人と人が互いに触れ合うことで交流する何かだ。
これはひとりでは出来ない。
ふたりいて、はじめて何かが動くことを教えてくれる。

癒しってすごいね。




絵:「ねこじゃらし」




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