2017年4月6日木曜日

やまんばの「花粉症治っちまった物語」



わたしの花粉症が治っていった経緯を書いてみるね。

これは誰にでも当てはまるもんではないだろうし、一般常識から言ったら、かけ離れている。だから単なる読み物として受け取ってほしい。そーゆーおばかな実験をやった、おばさんの一物語だ。

ひどい花粉症に悩まされて、夜もろくに寝られなかったわたしは、粘っこい強烈な粘膜質の鼻水が喉に詰まって、息ができなくなって、マジで死ぬかとおもったこともあった。無意識にかきむしられた喉は真っ赤にただれ、眼はかきむしり過ぎて、白目の部分が風船のように膨らんでしまい、まぶたが閉じられなくなるほど。

つねに首から上がとてつもない不快な存在感をもち、とにかく息をうまく吸うことだけを願い続けた約20年間だった。(幸いNY生活のあいだは、スギの木がなかったので、花粉症にはならなかった)
誕生日が3月で、春は好きな季節だったのに、社会人になってから花粉症と確定申告のせいで、春がくるのが恐ろしかった。

もちろんその間、ありとあらゆる方法を試みた。だがいっこうに良くなる気配もなく。。。


ある時、ひとつのブログに行き着いた。

それは「野人エッセイす」という変なオヤジが人生を謳歌しているブログだった。40年間、石けん、シャンプーリンス、歯磨き粉など、文明人が使うものなどいっさい見向きもせず、野人のごとく、野原と海を駆け回り、野原で野菜の種をはなさか爺のようにばらまき見事に育て、海にもぐってはうまい海の幸を、山に分け入ってはケモノの背中にまたがって(?)、うまい山の幸をゲットしてくる、すごいオヤジだった。

それに全く感化され、わたしは石けんなし生活を始める。
顔や全身に使っていた石けんをやめたことで、からだに感じていたかゆみはもちろん、お肌のかさかさはまったくなくなった。顔は水でばさばさっとあらうだけ。お湯が皮膚の油分を取り除いていたのだ。

一般的には、自然にでた油分をきたないものとして石けんで落とし、そしてその補いに化粧水やクリームをぬる。
油分をとって、油分を補うのだ(あほみたいじゃね?笑)。

だがその加工品のせいで、肌荒れをおこすしまつ。そして日夜「からだにあう」化粧水はないか、石けんはないか、と走り回るのである。なんのことはない。さっさとやめちまえば良かったのだ。

歯磨きも、歯磨き粉をやめて、ただブラッシングするだけによって、喉のかゆみや痛みが消えたのはもちろん、お通じが良くなった。風邪も引かなくなった。

シャンプーリンスを使わなくなると、フケもでなくなるし、抜け毛はなくなるし、毛も太くなった。
美容室では「相変わらず、多いわね。。。」と文句を言われながら、すいてもらっている。

そういう実験を通して、私たちのからだは、何かを足して補う必要がないことを知る。むしろ省いて行くことによって、私たちのからだの自然治癒力や叡智がいかされる。あれを補い、これを足すと言う「よけいなこと」をしなくなれば、かれらがすべて勝手にやってくれているのだということを身をもって知る。
その詳細はここに書いてあるので、興味のある方は読んでほしい。


そういう実験の最中に、それが花粉症の症状をぐっと軽くしていることに気がついた。
喉のかゆみはほとんど消え、鼻水もさらさらになった。
花粉症の症状は8割消えていた

だがまだ眼のかゆさや鼻水は残っていた。私は甜茶などを試して、からだの改善を試みていたが、それも決定的なものではなかった。そんなおり、ハッカ油の存在を知り、それに随分救われた。

ほんの少し、ハッカ油を小さくたたんだティッシュにつけ、それを直接肌に触れささないように裏返しにして、マスクの中に入れるのだ。スースーする心地よい空気が、息をするたびに鼻に入って来て、心と鼻の粘膜をやさしくしてくれる。随分このハッカ油には救われた。症状のきつさ緩和には、これがいい。

ただものすごいきついものだから、くれぐれも用心して使ってほしい。ちょっとハッカ油を触った手でまぶたにでも触れようもんなら、眼から火がでる(笑)。とんでもない苦痛を味わうので、そこんところ、よろしく。



さて、そういう何かの道具を使って、症状を緩和させるのは、わたしの哲学に反した。
何も足さないことが、わたしの主義。であるならば、その次は何か。

わたしは「現れる現象は、やがて消えていく」という思想を知る。仏教の「諸行無常」のことだ。
ん?現れるものはやがて消えていく?

ならば、この眼のかゆみはどうだ?
実験開始。

山をみていると、スギから、花粉が、ぱっふ~~んととんでいく。
その様子を見ているうちに、だんだん眼がかゆくなる。
う。。きた。。。
手が、首から上にいこうとする。
だめだ。。。かいてはいけない。。。。
かきむしろうとする衝動を抑えて、じっとその症状を観察する。

かゆみはじょじょに大きくなり、山場を向かえる。
くっくるしい。。。かっ、、かゆい。。。。
手が動こうとする。。。
それでもじっとたえる。
あるピーク点を向かえると、じょじょにかゆみがおさまって行く。
あれ?消えていく。。。消えていく。。。。あ、、、、完全に消えた。。。。

まさに、わたしの怒りについて実験した「いかり踊りじゃあ~~っ!」と同じことが起こったのだ!

現れる現象は、やがて消えていく。
現れるかゆみは、やがて消えていく。
現れる怒りは、やがて消えていく。

それからわたしはかゆみが起こるたびに、じっとその現象が消えていくことを見守った。
眼はかくから傷がつく。粘膜の表面はもっと敏感になる。敏感になればなるほど、かゆみはまして行く。そういう悪循環が起こっていることにも気がついた。

さて鼻水はどうだ。
ずるずる流れる鼻水を、わざとほおっておいた。マスクの中で鼻水が洪水になる。それでもほおっておいた。
鼻水がでると、それが気になるから鼻をかむ。すると鼻の中の粘膜にスギ花粉がつく。それに刺激され、また鼻水がでる、という悪循環が起こっていることに気がつく。
鼻水は、粘膜を潤わせて、外からやってくる異物から保護する役割をしてくれているんだと知る。

寝ている時に、鼻が詰まって口開けて寝ることで、かゆさが出てきて、かいてしまうことも、勝手にやってくれと、まかせた。
鼻水が喉に流れてたまってしまっても、口から出すことはせず、「ええい。ままよ!」と、ごっくんと飲み込んだ(笑)。するとどうだ。飲み込んだ方が、かえってかゆさが消えているではないか。鼻水は、喉の粘膜の刺激を和らげてくれるのだろうか。

とにかく起こってくる現象に「抵抗せず、受け入れる」ということを徹底した。
あらゆる症状は、からだを保護するために、その叡智によってことごとく起こっていることを、身をもって知った。
だから症状があるごとに、「イヤだ!」とか「ダメだ!」とかおもって、なきものにするんではなく、あえて、「おお、そうきたか」と、うけてたつぐらいの心構えでいるとおもしろいことが起こる。


今でもときどき、鼻水が垂れたり、くしゃみが止まらないこともある。けれどもその時は、汗をかいて冷えたりしたときのようだ。
その状態にいちいち「えっ?まだ治ってないの??」
と、過敏に反応するのをやめた。放っておけば、自然と消えている。

気がつけば、目の前を飛んでいる花粉を見ても、
「おお!大自然の営みだ!」
と、よろこんでいる自分がいた。

鼻をオッピロゲて、春の匂いをかぐ。
春がくるのが楽しみな自分にもどっていた。

長くなりました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
以上、やまんばの「花粉症治っちまった物語」でしたあ~~~。




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