やまんばは、自然のすがたでできる野菜作りをやりたいとおもっている。
それを自然農や自然栽培や無肥料無農薬栽培とかいう。
そして石けんなし生活もしている。
どっちも、できるだけ自然な姿を生かしたいと持っているんだな。野菜と言う植物も、ニンゲンと言う大自然の体も。
でも、それが正しいと言う気はないんだ。
理屈で考えたら、シャンプーリンスを海に流すのはよくないとか、体に悪影響を及ぼすからよくないとかいうこともできる。でもそれを言ってやめさせることとは、ちと違う気がするんだな。
野菜作りも、農薬がダメだからとか、有機肥料は体によくないから、だから自然栽培なんだっていうのとも、ちとちがうんだな。
人はどうしても自分がやっていることが正しいって思いたがる。
農薬より有機肥料。有機肥料より無肥料。だからそれが正しい!と。
やまんばも初めのうちはそう思ってた。だけどそう思えば思うほど、生きづらくなってくるし、心はかたくなっていく。
でもそれって、せっかくの自然の神秘が消えちゃう気がするんだ。
自然って、ニンゲンがおしはかれるレベルにいない気がするんだな。全く違う世界を生きている。だからどうがんばったって、ニンゲンさまのおつむじゃわかりきれないとおもうんだ。
石けんやシャンプーだってそうだ。自然を破壊するからダメだ。リンスはおかあさんの子宮にたまるからダメだ。だからそれをやめる石けんなし生活は正しい!というのもちがうとおもうんだな。
これはスローガンをかかげてやるもんではないとおもう。運動にすることでもないとおもう。運動にすれば、必ずいざこざがおこる。派閥も出来る。最初のピュアな気持ちがゆがみはじめる。それは宗教だって同じじゃないか。
根源的なことだからこそ、とても見えずらく、繊細なんだ。概念的なうたい文句を必要としないところなんだと思うんだ。
ただ一人一人がじんわりと、それがだんだん好きになっていく。
それでいいとおもうんだ。
やまんばはそれが好きだからやっている。
ただそれだけなのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿