ひさしぶりに紙を切っている。
ニューヨークで制作していた頃までは、ずっと色がついた紙ファンシーペーパーを切って貼ってしてイラストを作ってきた。だけど時代の流れとともに、デジタルが主流になり、私もデジタルの仕事が多くなった。日本に帰ってきてからは、紙の仕事はいっさいやめていた。
去年11月に大阪で個展を開かせてもらって、
「あ、久しぶりに東京で個展をやろう!」
と思った。それで5月に原宿で個展を開く事になった。
そしたら、なんだかきゅうに紙が切りたくなって、今展覧会のために紙を切って制作している。
むかしニューヨークのアートディレクターにいわれたことがある。
「人物のまつげの一本一本まで紙で切っている。つくし、あなたはクレイジーだ。」
前のような神業的な切り方はもうできない。老眼だし。
だけど今ぎこちない切り方をする自分がおもしろい。
だけど今ぎこちない切り方をする自分がおもしろい。
そして自分に規律を作り、ストイックにファンシーペーパー一本でやってきたやり方を変えた。塗ったり、描いたり、ちぎったり、そして和紙を使ったり、色々挑戦している。いわゆる「よごし」を取り入れて、絵を作っている。絵に深みが出て来るのがおもしろい。
コンピューターを使い初めの頃、デジタルのなんとも手応えのない抽象的な制作に戸惑った。ああ、私は触覚の人間だったって気がついたんだ。あれから15年ぐらいたって、再び紙に戻ると、あらためて紙の可能性をかんじる。これはデジタルを経験したからこその感じ方じゃないかな。
コンピューターを使い初めの頃、デジタルのなんとも手応えのない抽象的な制作に戸惑った。ああ、私は触覚の人間だったって気がついたんだ。あれから15年ぐらいたって、再び紙に戻ると、あらためて紙の可能性をかんじる。これはデジタルを経験したからこその感じ方じゃないかな。
そして何を描くでもなく、描く事の自由さを味わっているなあ。
仕事では、「○○を描いてください」という依頼のもとに、つねに「何か」を描かなければいけなかった。もう30年もそんなやり方をやっていると、制作する時は「何を描こうか」と考えてしまう。でもそれが自分にプレッシャーを与えて、なかなかやる気を出させなかったなあって気がついた。
だから、「何を描くか」ではなく、「何が出て来るか?」にまかせたんだ。
だから、「何を描くか」ではなく、「何が出て来るか?」にまかせたんだ。
若さゆえの大胆さやいきおいは、54才の大胆さやいきおいに変わっている。
5月8日から13日まで、原宿の「ペーターズギャラリー」で個展やります。
近くなったら、案内を出しま〜す。
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