2013年5月6日月曜日

おばちゃんガンバってる感



近所のおばちゃんたちと会話。
「あたしなんかねえ、ここから2時間もかかるところに毎日通ってたんだから!それも1年半も!」
するととなりのおばちゃん。
「あたしなんかねえ、1日10時間も働いてたわよ!娘の弁当も作って、家のことぜーんぶやって、それで10時間よ!」
「すんごいねえ」と私。
「そりゃあもお、たいへんだったんだから!」
「すんごいねえ。。。」
そのあとはおばちゃん二人のガンバッタ自慢がえんえんとつづく。


近所のおばちゃんたちの会話にはパターンがある。
1:自分がどれだけがんばってるか。
2:自分がどれだけ身体の調子が悪いか。
だいたいこれに終始する。

1の方は、付録がついている。
「それなのに、ウチのダンナったら。」
「あたしがこんだけ頑張ってるのに、うちの子たちはな~んにもしないのよ」
「それなのに町内会のひとったら」など。
すると、だいたい次は2に移行する。
「だからこんなにカラダの調子が悪いのよ~」
あとは薬の量自慢。

彼らは「わたし、わたし、こんなんにがんばってるんですう!だから認めてよ!」っていってるようにみえる。
なんでこんな若造に、あなたの「ガンバってる感」を?

むむむむむう~。
認めてっていわれたって。。。認めてるよ。おもいっきり。
だけど、いつまでたってもその会話のパターンは変わらない。

人が頑張るのは、ときどき人に認めてもらいたくて頑張っちゃったりするけど、「だから認めてるよお~」って何度言ったところで、「やっぱし認めてくれてない!」っておもっているようだ。
きっとダンナだって何度も言ってるにちがいない。
でもけっきょく自分で自分を認めないかぎり、これはやめられないんじゃないだろか。


やまんばは、人は年がいったら、ふんべつのあるいい大人になり、人格者になるとおもっていた。
だけど実際きんじょのおばちゃんたちをみていると、精神年齢はあの若かりしころの、ロマンチックで夢見る乙女のままで止まっているんではないだろうかとおもう。
そのうちカラダはどんどん衰えてきて、その「ガンバっている感」をどこで主張するかと言うと、今度は老化と戦って頑張っていることを主張する。

ホントに死ぬまで「がんばらなきゃ、がんばらなきゃ」っておもっているようだ。

物質文明を豊かにするために頑張ってきたわたしたちだけど、それによって精神はずっと後ろの方に回されてきたような気がする。しかし年がいっても精神はこんな状態で、どこが「豊かな文明」なのだろうか。
あふれる高尾の豊かな自然の中に住みながら、心は自分を認めてもらうことに終始する。

わしらはあまりに心の中が忙し過ぎる。

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