2011年10月14日金曜日

ヒアアフター




きのう、「ヒアアフター」という映画を見た。「来世」という意味だそうだ。
臨死体験をしたり、あっちの人に繋がる人の話だった。

人は死を怖いと思う。なんでこわいのか。死んだらどーなるのか「知らない」からだ。亡くなった人ががばっとおきて
「おら、今あっちの世界見て来たど。あっちはなあ、こうなってああなって、こなってたど」と教えてくれるわけでもない。
中にはそうなって教えてくれた人もいるし、死者の言葉を自分の声を通してしゃべった人もいる。
しかしホントのところは、誰もそれを信じていない様子で、やっぱり「知らない」のだ。だからこわい。
わしらは、知らないことは怖いようだ。

だから何でも知りたがる。
「これは一体なんだ!?」
と発見したものがあると、得体が知れないから怖がる。すると誰かがやって来て、「これはこーゆーものです」というと、
「なんだ、そんなものなのか」と、ほっとしたり、
「これはこーゆーもので、おそろしーものです」というと、
「えーっ!そんなにおそろしーものなの!?」といってこわがる。
そしてその同じものを今度は
「使い方によっちゃあ、そんなにおそろしくないです」といってみたりする。「えー、そーなの?」
だんだんごちゃごちゃになる。

わしらは知りたがり、聞きたがり、やがてわけわからなくなる。安全と危険が入り乱れ混乱する。
すると結局「それ、わけわかんない」ということになって、やっぱりこわくなる。

わしらはこの世を知っている事で埋め尽くしたいようだ。なぜか。それが安心だとおもっているからだ。だけどホントに、この世に知っているものがあるんだろうか。自分の事だってわけわかんないのに。知って安心したいと思うのに、知りきれない事実があるのだ。だからいつまでたっても恐怖はすぐ自分の横にある。

でも人はどっかで恐ろしがりたがるところがある。
「死?ああ、しってるよ」
ってすでに死に対して解決ずみなら、誰も怪談話を聞いてぞぞ〜っとしないだろう。
「お化け?あんなの作り話でしょ」で終わるんじゃないか。
だけど、どこかで
「ホントかもしれない。。。」
とおもうから、背筋がぞぞぞ〜っとするのだ。
恐怖を取り除きたいのに、その恐怖を楽しんでいる。
君、バカじゃないの?
そうやってスリルとサスペンスを味わっているのが人生かもしれん。


さて、そもそも死後の世界というものがあるんだろうか。
ひょっとしたらそれは、わしらは死というものを知らないから、それは考えだされたアイディアなんじゃないだろうか。

死とは必ずやって来るもの。逃げたいのに逃げられない。どーする?
じゃあ、きっと死んだらその後があって、そこには天国や地獄があるにちがいない。だから天国にいくためには、生きているあいだにいいことをしなければいけない、という(人を恐怖によっておとなしくさせる)教え(おどし)も含めた、一石二鳥のグッドアイディアを生み出したんじゃないか。などとふとどきもののやまんばはおもう。

死後の世界を見た人はどーなる?
その人の背景が影響しないだろうか。クリスチャンだったり仏教の信者だったり、どこかで見たり聞いたり。。。本当に本当に誰からも何もそんなアイディアをもらっていない人はいるだろうか。わしらはみんな誰かに育てられているのだ。
死者とつながった人は?
その人の思いが伝わったのじゃないだろうか。死者を思う強い思いが、霊能者の心に響き、言葉を導きだした。そしてそれは、その人自身が深いところでそれを自分に伝えたくてやった事かもしれない。


絵:ラブロマンス表紙

5 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

でも、ぞぞーってホントに感じますよ。
しかも意外なところで・・・。

つくし さんのコメント...

ぞぞぞーって?
意外なところ。。。で?

まいうぅーパパ さんのコメント...

私が感じたのは、香港のDFSのトイレでした・・・。
たまに視線を感じることって、ないですか・・・?

まいうぅーパパ さんのコメント...

ちなみにビアアフターは二日酔いに決まってます。キリッ!!

つくし さんのコメント...

おお、遠くからごくろーさんです。
トイレでぞぞぞーはこわいです。うんちしているとき視線を感じたの?

ビアアフター、うまいっ!座布団一枚!