2011年2月20日日曜日
亀井静香 似顔絵
私ら人間は、思考は絶対的なもんだ、と信じて疑わない。ロケット飛ばすのも悟りを開くのも思考があってこそなのだ、と信じて疑わない。しかしその思考がこの世の悲惨も招いた。
暇なやまんばは、思考ってそこまで絶対的に必要なもんなのだろうか、と考える。
頭の中で思考すると、言葉で考えている。言葉はすでに知っている過去の産物だ。私たちは未来を考えたがる。ところが未来は私たちには何も想像できない。だってまだここにないんだもん。1分先が見えないことは怖い。で、私たちは、過去の経験を通して、「うん、1分後にはこうなるだろう」と予測をする。つまり、過去の経験を使って未来を予測するのだ。だがそもそも過去とか未来とか言う時間を作り上げたのも思考なのだ。
勝手に未来という概念を作り出して、「お先、まっくら」という恐怖も作り上げた。
犬見てると、「お先、まっくら」という顔をしていない。
「今があるだけですが、なにか?」
みたいな顔をしている。
人間だけが、あたまがぼーちょーしている。その原因は思考だ。私たちは思考というものを買いかぶりすぎている。世界の哲学も宗教も戦争もすべて思考が作り出した。思考だけが至高の営みなのだと思い込んでいる。(しゃれ)
ほんとにそーなのか。
思考があらゆる自然な流れをさまたげていないだろうか。こうやったらいい、ああやったらいい、あの人のようになりたい、こんな自分はイヤだ、そんな考えがいつも心の中にぐるぐるしている。何かになりたがるのは思考のなせるわざじゃないだろうか。
思考が作り出すのは「こうあるべき」であって、「あるがまま」ではない。私たちは今ある自分を見るのが怖い。それは思考が常に「こうあるべき」とそそのかしているからだ。それによって、実はものすごい労力を使い果たしているんじゃないだろうか。頭の中でぐるぐるする自分じゃない誰かのになろうとする努力。これほど無駄なことはないような気がするんだが。
今日のモンスターは亀井静香ちゃん。
転んでも絶対起き上がってくるダルマみたい。その根性を表現してみました。
しかし達磨大師もその思考と戦って座り続けたんだよな。。。足腐るまで戦うのはちと違うような気がする。思考と戦うもんではなくて、思考とはいったいどんな性質をしているかを理解することの方が、足腐らせずにすむような気がするんだが。。。
絵:「モンスター列伝・第二弾/亀井静香」オリジナル
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4 件のコメント:
私、あんましベンキョウしてないので良く判らないんですが、人間が進化してくって、男の発想でしょう?リスクを取らずに、生活するなら、移動しないで定住生活が正解!
男のDNAは・・・とにかく、広い範囲で種を撒きたい、そのために知らないとこに行きたい。川?渡っちゃえ!山?越えちゃえ!!
海?何かわかんないけど、何かあるべぇ・・、
行っちゃえ!行っちゃえ!!
って、人間が世界中に蔓延した結果・・・。
きっと皆、幸せなんじゃねえの??
でも、地球にとっては迷惑な話だよね。
種をまきたい本能が、山超え谷越え、はるば〜る〜と〜(古い歌だなあ)になっちゃうのは面白いよねえ。んでもって縄張り争いにも明け暮れる、とそこまでは動物の本能と一緒で、そこまででは地球に迷惑はかからないんだけど、問題はそこから先。
野生動物は縄張り争いで殺しあわないけど(相手の戦闘意欲を欠くだけ)、人間だけが、同じ種族どうしで殺しあうのよね。
それが「思考」が入り込んだ結果じゃないかと思うわけです。
いやいや、他の動物も争いますよ
ハトだって、犬だって。
ただ、参った。って素直に言えて、それで、参ったならそれでよし。参った方もその後は素直に従う。っていう仁義がないんじゃないんですかね。
犬もハトも「まいった」って素直に言えるんだろうね。
人間だけが、素直じゃない!
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