2011年2月23日水曜日

鳩山由紀夫 似顔絵




仏教の教えの、チョト違うなあと思うところは、私たちが抱える思考の山や108つの煩悩など、頭にうごめく考えを、力で粉砕させようとしたところなんだな。

考えないことや、思考を止めるために、滝に打たれたり、同じ文句を言い続けたり、ひとつの文字を見つめたり、イメージを展開させたりするのが、思考を止める方法なんだけど、考えようとする人間の意識を、別のところに追いやろうという手段を使っているわけだ。もしそれが成功していたなら、もちょっとしあわせな気がするんだけどなあ。。。

ところが思考という奴は(心といってもいいけど)、押し付けたり、コントロールしようとしたりすればするほど、巨大になるのだ。その巨大化した思考をなんとか止めようと必死になって、なおのこと力づくで押さえ込もうとする。その繰り返しをしているような。。。。

たぶん私たちは今までその思考というものがどんな存在であるかということ、どんな特徴を持っているかということを、誰も真剣に考えて来なかったんじゃないかと思う。仏教では、とにかくそれはイケナイことだというだけで、そうしてしまう理由を追及して来なかった。

お釈迦様が生まれて2000年ほどたっても、ほとんど変わらないのは、それが方法論だけに終始してしまっているからではないか。ほんとは、もっと手前の、ころころと動いて、ぴょんぴょんと跳ねて、とらえどころのない心というものを理解することだったんじゃないかとおもうのだ。

たとえば、言うことを聞かないやんちゃな子供を力でねじ伏せても、やがていつかその子は爆発するでしょ?それをまたコントロールするために、もっと大きな力でねじ伏せる。そんなことばっかりしている気がする。
そんな方法論は世界中どこでもやっている。武力でねじ伏せることもそうだ。歴史はそれの繰り返し。

きっといい先生は、なんでその子は大人の言うことを聞かないのか?とその子の気持ちになって考えるはずだ。するとなんでやんちゃをするのかがわかる。きっと自分の中にある葛藤をどう処理していいか分らずに暴れるのだ。はたまた暴れることで大人が自分に注目してくれているということに執着しているのかもしれない。ゆっくりじっくり見ていると、どう対処すればいいかわかってくる。力で押さえつけることより、まずはその子の中に入って、その子をよくみることだ。

思考はねじ伏せても逃げ回る。巨大化する。しかし思考とは何か?どういった特徴を持っているのか?とそれ自体を観察し理解すると、それはふっと消えていく。

闇を見て、お化けがいるかもしれない、こわいこわいと背を向けてその闇を見ないようにすればするほど、恐怖は大きくなるが、勇気を持ってじっとその闇の中を見つめると、そこには何もないことを知る。するとその人の中から恐怖は消えているのだ。知ることが恐れをなくしていくことなのだ。

思考は絶えず恐怖と一体化している。漠然としたあらゆる恐怖をつねに感じながら、そこから逃げるために、四六時中非難と正当化を繰り返しているのだ。


今日のモンスターちゃんは、鳩山由紀夫ちゃん。
ちまたでは宇宙人とか言われているけど、どうもやまんばには「勘違いお貴族さま」という感じがぬぐえない。やまんば的には好きなお顔です。真面目に少女マンガに出てくる美男子にしてしまいたい衝動に駆られるが、でも遊んじゃいました。


絵:「モンスター列伝・第二幕/鳩山由紀夫」

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

菅さんより立派。だと思うのは、場違いな立場に固執しないから。

つくし さんのコメント...

ですよね。
引き際がわりとはやかったですよね。