2010年9月10日金曜日
しあわせ感
人が一番求めるもんは、つまるところしあわせなんではないだろうか。お金がどんだけあっても、どんだけ健康であっても、どんだけ権力握れようと、どんだけ子だくさんであっても、どんだけ仕事がいっぱいあっても、どんだけ畑で野菜がとれようとも、つまるところは、その人が感じる「しあわせ感」なんじゃないだろうか。
んで、そのしあわせ感は、どこにもころがっていないし、どんな高い山の上にもないし、銀行の中にもないし、デパートでも売ってないし、つまるところ(しつこいなあ)、自分のこの、ちっこい胸(貧乳の意味じゃない)の中だけにあるもんではないだろうか。
人は何かと「もっとお金があったら、、、」「もっと健康になったら、、、」「ダンナがもっと家のことしてくれたら、、、」「もっと友だちが出来たら、、、」「あいつさえいなけりゃ、、、」。。。
「なんだかしらないが、そーなってくれると、あたしは幸せになれるんだよお、このばかやろー!」っておもってる。しあわせになれる方法は、外の何かが変化をしてくれたら、あたしは幸せになれるんだと思っているふしがある。
でも世の中には、腐るほどお金を持っている人もいれば、天まで届くくらい地位の高い人もいる。死ぬほど子だくさんの人もいるのに、それほどしあわせそーなひとはこの世に見当たらないのはなぜ?
たとえば、お金が一銭もないとき、ここに100円があったら、コロッケ買えるのになあ~とおもう。んで目の前に100円が落っこちてたとする。すかざずコロッケを買う。(交番に届けるあんたはえらい)コロッケ食ってしまうと、パン食いたいなあ。とおもう。パンが落ちてたとする(食うなよ~)。すかざず食う(食っちまうんかい!)。パン食っちまうと、コーラが飲みたいなあ~とおもう。コーラが落ちている。(落ちてるわけないだろ)コーラも飲む(飲んじまうんかい!)。
と、このように人はあったらいいながどんどんひろがっちまうわけだ(え?やまんばだけか?)。その心理は、これでない、あれ。
つまりいつも心は満足しないのだ。いつも不安を抱えている。100万円あったらいいなと思っていた人は、その100万円をもった瞬間、そのしあわせはどっかにふっとんでしまい、次の不安が始まる。もしこれがなくなったら、、、と。
人って不安の材料をつねに探してないか?
ひとつの心配事がおさまると、別の心配事を探している。その心理はここでないどこかであり、これじゃないなにか。未来のことを案じて今何か策を練らなければとんでもないことになると、心の深いところでその恐怖におびえている。だからとりあえず、100万円手に入ったら、「さ、次の心配どこ?今のうちに手を打っておかないととんでもないことになるからね~」と心が言う。すると、テレビで「今の保険で大丈夫ですか~?今ならこれだけの金額で一生涯保険!」と聞こえて来る。万が一のために、何かあった時のために、とさそわれる。んで、その不安を解消するためにその100万円をほいっと渡してしまうのだ。CMはそういうニンゲンの心理をうまく利用することを知っている。私たちはその不安をネタにおどらされている。
さて安心が買えた100万円がなくなってしまうと、心はまた
「100万円あったらいいなあ~」とはじまるのだ。
しあわせ求めてネバーエンディングストーリーだ。
絵:アジアを旅するガイドブック/台湾
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2 件のコメント:
幸せ満腹中枢欠陥症ですな・・。
焼酎1升お渡ししますので、毎晩食中に、
1合づつお飲みください。
要は胃袋小さくなれば良いんです!!
幸せの胃袋、小さくすれば、ちっとの事で
幸せになれるのぢゃぁ!!
しあわせ満腹中枢欠陥症とは言い得て妙だ〜。
だからみんな延々としあわせを求めるのだ〜。
たぶん、胃袋がどんだけおっきいのか、知らないんかもね。自覚のない胃袋のでかさ。みんな一度、自分の胃袋の大きさをレントゲンでみるといいんだよ。たぶん、地球規模にでかいはずだ。
え?レントゲンではしあわせ胃袋見えないって?
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