「私はいない」という言葉を10年ぐらい前に聞いた。
最初その言葉を聞いた時、
どこかホッとするような気分になった。
「こんなダメな私はいないんだ。。
ああ、良かった。。。」と。
でもどこか物寂しい、空虚感を感じていた。
それが悟りなのか。。。?
そういうこと。。。?
コースを学んでくると、その言葉が別な意味で捉えられ始めてきた。
私が抱いている「私」というアイデンティティ。
そのアイデンティティは、酸いも甘いも経験してきた私という人物像だ。
その酸いも甘いもは、この世界で味わってきた思い。
世界の法則、世界の法律、世界に対する思考、それにくっついてくる感情。
それら全部をひっくるめたものが私。
この物理的世界に翻弄されながら生きていると信じているけれど、
コースは、その苦悩は幻想なのだと言う。
「いやいや。こんなに苦労してきて、
それが単なる思い込みだっただなんて、
ありえないでしょう。
だって現にこんなに苦しんできて、、、、」
とブツブツ言って抵抗しながらも
自分の心を見る訓練をしていくと、
ある時「いや、確かにそうだわ、、、
え、マジで?マジでそうなん?」
という現象が時々起こり、
知識だけではなく、
体験を通してその言葉の意味がわかり始める。
するとそれまで自分の中にあった苦悩としてのアイデンティティが少しづつ落ちていき、
その苦悩があったところに愛が忍び込み始める。
わけもなく喜びがあふれたりする。
ヘラヘラ笑っていたりする。
自分の強さに気づいたりする。
例えば、20センチの物差しが私であるとする。(そんな無茶な)
その物差しの18センチぐらいが自分のアイデンティティで、
残りの2センチぐらいが、
なんか得体の知れない本来の私?神の子の私?みたいなものなんだろうと思っていた。
ほぼ苦悩体験の私。
でもある時気づいた。
その残り2センチだと思っていた神の子わたし(亀の子たわしみたいだな)は、
実は2センチどころか、地球一周するぐらいのものすごーーーーいデカイ私だったのだ!と。
で、その地球一周するぐらいのでかい私を無理矢理20センチの物差しにはめ込むと、
18センチもあった苦悩する私はナノレベル。(ナノより小さい単位は知らん笑)
鼻くそピン!ほどの代物だったのだ。
「私はいない」は、
「ダメな私」はいない。
だったのだ。
コースでいうなら、罪な私はいない。
そんなもん、親指と人差し指で「ピン!」とふっとばせるほどの「私」だったのだ。
本当の私は今ここにいる。
この地球いっぱい。
この宇宙いっぱい。
いないのは「ダメな私」。
思うんだ。
私の真のアイデンティティは、そのダメな私が抜け落ちたもの。
一人一人がそもそも持っている強烈なユニークさ。
その独自のユニークさがどんどん開花していくことが、
幸せな夢、実相世界を見始めることなんじゃないかと。



