2025年7月24日木曜日

あなたは自分で自分にこれを行なっている


 

あなたのことを口うるさく言ってくる人はいないだろうか。


あれが良くない。

そういうところがダメなんだ。

いつまで同じことを言わせるんだ。


それを聞くたびに私の心は震え、ああやっちまった!

やばい!なんとかこの悪い癖を直さなきゃ!


そう言って自分を正そうとする反面、

心の底に、あのやろう。このクソ野郎。死にやがれ。


という思いも潜んでいる。


私を「正しい方向」に導いてくれる人に対して、

それをやろうとする心と、それに反発する心が同時にある。


私はこの思いの中でずっと生きてきた。

あの人の言う通りにやらなきゃ!

でもできない。。。

ああ、私ってダメな人間。。。

。。死んでしまえ。。

でもあいつも死んでしまえ。。。


もうぐちゃぐちゃ(笑)



苦しみの中でふと気がつく。


あれ?

これ私が自分に言ってる言葉なんじゃないか。。。?




コースのテキスト最後の方に出てくる言葉がある。


”救いの秘密は「あなたが自分で自分にこれを行なっている」

と言うことだけである。

攻撃の形の如何にかかわらず、依然としてこれが事実である。”


これと同じ内容の言葉が、ここで4回も続けて書かれている。


自作自演。。。

これが依然として事実である。。。


私はこの言葉に惹きつけられる。何度も読み返す。

そして最後にこう締めくくる。


”聖霊は、あなたに痛みをもたらす苦しみの形にかかわりなく、

解放についてのこの包括的なレッスンを、

それが学ばれるまで繰り返す。”


うわー、それが学ばれるまで繰り返されるんだ。。。




冒頭の口うるさく言ってくる人の言葉、

「あれが良くない。

そういうところがダメなんだ。」


これ、自分が思っていることだからじゃないか?


自分は罪深いと思っている。

だからこそ、その罪深さを証明してくれる人を置いたのだ。。。!


え!?

そ、、、そういうこと。。。?


振り返ってみれば、思い当たる。

あいつはずっと私に「罪」を意識させてくれた張本人だ。


シナリオは私が書いた。


ドラマは主人公が罪深いことを演出するために、

周りに被害者を配置する。

「お前のせいで俺は不幸なんだ!」と。


世界は自分の心の中が投影されているのであれば、

自分の周りは私の思う通りになっている。

自分には罪があると思っていれば、

その罪を証ししてくれているだけなのだ。


原因に立ち返る。

原因はどこに?

私の心だ。


罪はあって欲しいのか?

自分が有罪でありたいのか?

否!


だったら、その自分の罪を証明する役者に

その役割を降りてもらうのがいいんじゃないか?

だって私がシナリオライターなのだから。



人に「お前は罪深い」というとき、

この世に「罪」というものがあると証明することだから、

その人もまた知らない間に罪を背負うことになる。


だが「お前は罪人である」と証明する役を降りてもらうと、

その人の心にも罪というものが消える。

どちらにも背負うものがなくなるのである。


どちらも解放される。

この道理が体験されることになる。


あの時からその人物は私の罪を証ししなくなった。










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