ある時、心にいっぱい怒りが溢れてきて、
もうどうしようもなくなった。
今までは、そういう怒りがあるということは
私の中にこれこれの信念があるためだ。
その信念のせいで私は怒り苦しむ。
だからその信念を聖霊に渡して訂正をお願いしてきた。
だけど、もう無理だと思った。
そして思いを相手にぶつけた。
当然相手は反論しようとする。
だけど「黙って聞いて!」とそれを制した。
そして自分がどれだけ傷ついてきたかを話した。
香港さんがある時、コンババ上司に正直に自分の思いをぶつけたように。
話しながら、心が落ち着いてくるのがわかった。
正直に話すことは、当然相手を怒らせることになるし、空気が悪くなる。
これから先どんな対応をされるかわからない。
その点、自分の心を見つめ、何に反応しているのかに気づき、
それを赦していく訓練は、相手に知られないまま行うことができ、自分も穏やかになっていく。
しかしあの時は、それも限界だった。
言わずにはいられない私がいた。
でも実は言うことで状況を悪化させることを恐れていたのだ。
起こることは計画されている。
どんな悪い状況に見えることであっても、それは私を解放へと導く出来事なのだった。
そしてAKIさんが言うように、私たちのあらゆる苦悩は、
神様の光に照らされて、消えていくために現れている。
私の怒りは消えるために現れてくれたのだ。
通常私たちは、自分の中に怒りや恐れが出てくると、
「ああ、怒るなんて私は心の訓練が足りてない、まだまだだ。。。」
と、自分を責める方に向かう。
そうではなかった。
消えるために出てくる。
怒りも、恐れも、悲しみも、嫉妬も、
心に現れてきたとき、
それは消えていくために出てきてくれたんだ。
自我はこれを
「修行が足りていないからまだお前の中にあるんだ!
お前はもっと頑張らなければいけないのだ!」
と責めることで、私たちを焦らせ、意気消沈させ、
自分を欠陥のある存在というレッテルを張らせ、さらにこの世界に没入させる。
しかし真実は、闇を光のもとにさらし、消えていくためだけなのだった。
だから怒りが出てきたり、恐れが出てくると、
「出てきてくれて、ありがとう」なのだ。
怒りが出ることは悪いことじゃない。
恐れが出ることも悪いことじゃない。
出てきた闇に感謝しよう。
小さな泡がぷくぷくと上に向かって浮上し、
やがて光になって消えていく。
そんなイメージで私はそれを見る。
絵:「夜の山」
0 件のコメント:
コメントを投稿