「畑やらない?」
「え?まじっすか」
5年前に11年間やっていた畑仕事をやめた私に、降って湧いた話。
早速現場を見に行く。でかい!土がフカフカ!
最近までやっていた持ち主が亡くなられたので、
家族の人が手入れに困って私の知り合いにふってきたのだ。
それでも大きすぎるので、私にもやらないかと。
心がおどった。
まてよ。そもそもなんで畑を手放したんだろうか?
猿だ。
やってもやっても猿の集団がやってきて、片っぱしから取っていく。
その猿対策に明け暮れた。
そして最後はイノシシに檻を破られて、畑は壊滅的になった。
200坪以上あった土地を一人で切り盛りするには大きすぎ、
そして野生動物との戦いに精根尽き果てた。
その戦いが再開する?あそこに猿は来るのか?
いやいや。そこまでひどくはないだろう。
とりあえず、明日行ってもう一回様子を見てこよう。
だが一箇所気になったところがあった。
それは畑への出入り口だ。
畑へのアプローチの急な坂道を上がって車を停められるスペースはあっても
Uターンできる場所がない。
頭から突っ込んで、お尻で出るしかない。
しかし公道に出る時が危険すぎた。
山に遮られて後ろが全く見えない。
しかもその先はカーブしていて、後ろからやってくる車さえも見えないのだ。
土日は車の量も多い。
「あそこ、事故るよ」
ダンナに言われて、やっぱそうだよなぁと思った。
私が歩いて行ける距離ではない。畑の持ち主はすぐそばだから問題なかったのだろう。
自転車で行くことも考えたが、いろんなものを持って自転車で行くには無理すぎた。
どうしてここにきて畑の話が出てきたのだろうか。
出来事は私の中にあるものを解体するために出てきてくれるはずだ。
ここに何かある。
畑の話が持ち上がった時、頭の中がぐるぐるした。
「無農薬無肥料の健全な野菜」を育てるためにあれをやってこれをやってと、
あらゆる行動を考えさせた。
そう考え始めた時、心がどんどん、どーんと重くなっていった。
久しぶりにきた感覚だった。
野菜という結果を生み出すために、計画を立てている心は、
こんなにも私を重くさせていたのか。
いいものを作りたい、美味しいものを作りたい、
そして無肥料無農薬でもこんないいものができるんだと豪語したい思いもあった。
それは分離という違いを生む。
スーパーの野菜は良くない、無肥料無農薬で作られた野菜は良いという分離だ。
分離を自負するために行う行為は破壊に向かう。
違いに重きを置かれた行為は苦しみを生む。
あの時の苦しみが今再び浮上してきていた。
私はその思いを否定もせず、浮き上がるままにさせた。
ああ、やっぱり消えるためにこの想いが出てきてくれたんだな。
私の中にある「分離の美意識」を解体するために、
この畑の話が持ち上がったのだろう。
畑への出入り口問題は、
畑を再開する必要がないことを教えてくれていた。
これも抜け目がない。
出来事は私を解放するために、
みごとに完璧に起こってくれている。
山の緑がますます輝き始めた。
絵:「夏」
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