夢を見た。
池の周りに張り巡らせた電気のコードに土をかぶせて隠す作業。地面から15センチくらい上にあるから、その上に土をかぶせるのは容易ではない。かぶせる土もだんだんなくなって、焦っていた。
そこで目を覚ます。
夢だったと気がつく。しかし土を探して心は焦ったままだ。
自分は今あったかい布団の中で横たわっている。池もないし、電気コードも土もない。なのに心はその焦ったまんまだ。
いやいや。夢だっただろ?何焦ってんだ?
昨日見た夢も思い出した。
一軒家を解体するので、そこに残っていた自分の服や本を処分しようとしている。
ビニール袋に詰めても詰めても作業が終わらない。いつまでたっても荷物が綺麗になくならないのだ。
どっちも焦って何かをしようとしている。
夢の中の私は、土をきっちりかぶせて作業を終わらせ、安心しようとしている。
もう一つもまた、きっちり処分して作業を終わらせ、安心しようとしている。
そしてまた、目が覚めても布団の中で、
何かをして心を安心させようとしている自分に気がついた。
今、何をする必要がある?寝ることだけじゃん。何一つする必要もない。
あえてあるとすれば「寝る」ことを「する」だけだ。
なのに心は、「何かをしなければ」という衝動が消えない。
欠乏感がある。
二つの夢は、足りてないものを足らせるために行動している。
綺麗に土をかぶせるとか、綺麗に処分するとか、そういう目先のことは枝葉にすぎない。
その根本に、何かしないと私は足りてないという思いがある。
たとえ土がうまくかぶせられたとしても、いっときの満足のそのすぐ後に、また足りない何かを探してきて、それを埋めようとするだろう。
私は自分が布団の中にいて何もする必要がないのに、その中でいてさえも何かしようとしている自分に驚いた。
目の前の必要に迫られて、動こうとしているのではないのだ。。。
何もする必要がないのに、しようとする衝動。
これが私を突き動かしているものだ。
そうやって私はこの具象の世界があるのだという信念を、また一歩深く信じることになる。
自我が私にしかけてくる瞬間、私をおびき出す考えには、必ず罪悪感が伴う。
罪悪感を植え付けて、
「ほら、これをやらないとあなたは落第生だよ」
と恐れを思い出させる。
そのささやきが何を意味しているのか、自我が何を意図してそうさせるのか知らない限り、そのまま行動をすることになる。そしていっときの満足ののち、また同じループに入っていく。
自我はこの世界を存続させ続けていたい。
存続させ続けていたいとは、実在していないからだ。
実在しないものを実在しているかのごとく思わせるために、自我は私たちにささやき続ける。
本当に実在しているものを隠すために。
布団の中でその正体に気付いた時、衝動は静かに消えていった。
ふと思いついた考え。
それは心をぎゅっとさせるもの?
それとも心をふわっと明るくするもの?
私はその考えがどちらに基づくものかを見る。
ぎゅっとさせるものは、分離を生む。
ふわっとさせるものは、明るく軽くなって、境界線が消えていく。
具象という、自と他が別れた分離したものは実在しない。
何一つ分け隔てのない、全てが一つになった抽象だけが実在している。
私はその明るく眩しい実在を選ぶ。
絵:絵本「ちかてつのおばけ」動画より
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