2021年1月12日火曜日

ふわっとを選ぶ

 


夢を見た。


池の周りに張り巡らせた電気のコードに土をかぶせて隠す作業。地面から15センチくらい上にあるから、その上に土をかぶせるのは容易ではない。かぶせる土もだんだんなくなって、焦っていた。



そこで目を覚ます。

夢だったと気がつく。しかし土を探して心は焦ったままだ。

自分は今あったかい布団の中で横たわっている。池もないし、電気コードも土もない。なのに心はその焦ったまんまだ。

いやいや。夢だっただろ?何焦ってんだ?




昨日見た夢も思い出した。

一軒家を解体するので、そこに残っていた自分の服や本を処分しようとしている。

ビニール袋に詰めても詰めても作業が終わらない。いつまでたっても荷物が綺麗になくならないのだ。


どっちも焦って何かをしようとしている。


夢の中の私は、土をきっちりかぶせて作業を終わらせ、安心しようとしている。

もう一つもまた、きっちり処分して作業を終わらせ、安心しようとしている。




そしてまた、目が覚めても布団の中で、

何かをして心を安心させようとしている自分に気がついた。


今、何をする必要がある?寝ることだけじゃん。何一つする必要もない。

あえてあるとすれば「寝る」ことを「する」だけだ。

なのに心は、「何かをしなければ」という衝動が消えない。



欠乏感がある。

二つの夢は、足りてないものを足らせるために行動している。

綺麗に土をかぶせるとか、綺麗に処分するとか、そういう目先のことは枝葉にすぎない。


その根本に、何かしないと私は足りてないという思いがある。

たとえ土がうまくかぶせられたとしても、いっときの満足のそのすぐ後に、また足りない何かを探してきて、それを埋めようとするだろう。


私は自分が布団の中にいて何もする必要がないのに、その中でいてさえも何かしようとしている自分に驚いた。


目の前の必要に迫られて、動こうとしているのではないのだ。。。




何もする必要がないのに、しようとする衝動。

これが私を突き動かしているものだ。

そうやって私はこの具象の世界があるのだという信念を、また一歩深く信じることになる。


自我が私にしかけてくる瞬間、私をおびき出す考えには、必ず罪悪感が伴う。

罪悪感を植え付けて、

「ほら、これをやらないとあなたは落第生だよ」

と恐れを思い出させる。


そのささやきが何を意味しているのか、自我が何を意図してそうさせるのか知らない限り、そのまま行動をすることになる。そしていっときの満足ののち、また同じループに入っていく。


自我はこの世界を存続させ続けていたい。


存続させ続けていたいとは、実在していないからだ。

実在しないものを実在しているかのごとく思わせるために、自我は私たちにささやき続ける。

本当に実在しているものを隠すために。


布団の中でその正体に気付いた時、衝動は静かに消えていった。




ふと思いついた考え。

それは心をぎゅっとさせるもの?

それとも心をふわっと明るくするもの?


私はその考えがどちらに基づくものかを見る。


ぎゅっとさせるものは、分離を生む。

ふわっとさせるものは、明るく軽くなって、境界線が消えていく。


具象という、自と他が別れた分離したものは実在しない。

何一つ分け隔てのない、全てが一つになった抽象だけが実在している。



私はその明るく眩しい実在を選ぶ。






絵:絵本「ちかてつのおばけ」動画より




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