じーっとして、内側をながめても、心の中に苦しさがない。
ふっと恐れがやってきても、それは自我の策略だと気付いているのでそのままにしておく。
ものの30秒もしないうちに消えていく。
未来を考えなくなった。
還暦近い私にとって、未来は不安だらけのはずだ。
なんの保証もない生き方、なんの保険もない生き方。
頭で考えたなら、未来のために貯蓄して未来のために保険をかけて未来のために、未来のために。。。
そうやって人は人生を終えていくのだろう。
いつかこうなって、未来はこうなって、ハッピーエンドを迎えるはずだと。
そう考えることに意味を見出せなくなった。
そもそもそんな風に未来のためにああやってこうやることが、過去にできただろうかと思い返す。
一瞬そうできたかのように思えたが、あっという間に、また未来が見えない世界に戻った。
そもそも未来ってなんだろう。
私たちは未来のためにばかり心を奪われて、今にいない。
未来は、それが今になった時、心はまた未来に向かっている。
まるで私たちは今にいることを恐れて、いや、嫌っているかのように、今を否定する。
今じゃなく10分後。今日じゃなく明日、1年後、10年後。。。
そうやって行き着く先は、死。
私たちはあたかも死ぬ直前に幸せになることを目指しているかのようだ。
時間は自我が考えついたグッドアイディア。
時間に縛られることによって、私たちは自我の策略にハマる。今じゃないどこかに向かわせる。
心の中で喋っている言葉を聞いてみよう。
不安は未来を心配しているだろう。
ご丁寧に、未来の不安を教えてくれるはずだ。
心はドキッとして、「そうだ。どうすればいいだろう?」とその解決法を考え始める。
そうやってこの世界の道理に取り込まれていく。
私たちはこの世界の「私の人生」の問題解決に夢中だ。
そこから抜け出そう。
どこまでいってもその中で問題解決などできない。
自我は私たちに、ここにずっと止まって欲しいのだ。
問題があるよあるよと、いっぱいささやきかけてくる。
そうやってずっとずっとこの世界に舞い戻ってきた私たち。その輪廻の輪から抜け出そう。
事実は今しか存在しない。
今にとどまることで、この今が広がっていく。
自我は今の事実を教えたがらない。今は怖いものだと言い続ける。
だから過去と未来にばかり目を向けさせようとする。
でも今にしか私たちは、いない。
今に止まるとき、私たちに恐れはない。
でもすぐそれは破られる。「これからのこと」を思い起こさせるものがやってくるからだ。
そのことに気づいていよう。
今にいるとは、そこにいること。
そしてただそこにある感覚の中に止まる。
未来の心配も過去の失敗もそこにはない。
何も考えがないとき、意図せずして喜びが胸の奥から湧いてくる。
それは何かをして得られる喜びではない。
何もせず、何も見なくても、何の根拠もなくあらわれる。
その喜びこそが、私たちの本性。
ほんの小さな喜びでいい。
それをそっと大事に持っておこう。
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