自分の中から「否定」がだんだん消えていくと、外からの否定も消えていくのに気がついた。
自分のいたらなさにぶちぶち言う。
テレビに向かってぶちぶち言う。
だれかさんに向かってぶちぶち言う。
ことばにしなくても、なんとな~く心の中でたえず「否定」は生まれている。
否定はいっしゅん自我を活性化する。
「あたし、否定できるぐらいイケてるぜ。」
と、高みに立つことができる。
だけどそれだけである。
そんときフフフンっていい気分になる。でもそれが消えると、またどこかに否定できるものを探す。ネット見て、他人を見て、自分の行為を見て、また否定する。
外への否定は知恵のある自分(とおもいこんでいる)をみつけられるし、自分への否定は、少しでもよくしようと努力している自分を見つけることができる、とおもいこんでいるだけであった。
これは、自我がよろこぶ趣味であった。
ちっとも前に進まないのである。延々と同じことをくりかえしているだけであった。人と自分をくらべて自分をなぐさめたり、けなしたり、悦にいったり、あわてたり。ただそれだけだった。
これって創造的なもんじゃないやんけ。
ところがこのことに気がついて、否定したりぶちぶち文句をいっている自分をみつけはじめる。でてくるわ、でてくるわ。おおっ、ここにも!あっ、あそこにも!すげー否定のオンパレード!
で、今度は自分の否定を監視しはじめる。
「あっ、また否定しちまった!ヤバい!否定をヤメよう。。。」
なんてね。
これって、また元のもくあみ。
否定を、否定しているのだ!
わははは~~~っ!おんなじやんけ!
ちゃうちゃう。チャウチャウちゃう。(古い?)
否定している自分に気がついている。ただそれだけ。
「あ、自分、今否定しているんだな」
と、やった瞬間に気がついている。ただそれだけ。
けっこうむずかしかったりするんだけど、あとでもいい。
「あ、さっきまた否定やってら」ぐらいで。
けっこうむずかしかったりするんだけど、あとでもいい。
「あ、さっきまた否定やってら」ぐらいで。
するとなぜかしらんが、だんだんと自分の中に否定が消えていく。
否定が消えていくと、なぜか知らんが、外からの否定も消えてく。
違いを違いのまんま。そのまんま受け入れてもらえたり、自分でも受け入れられたり。
なんだ。やっぱりこの世はわたしの心で出来上がってんだ。
2 件のコメント:
それこそ、蟻のままで~♫
でいいんじゃないっぺか?
そっちは、兵隊アリで、こっちは働きアリ。
あり?あっちは白アリか??
こっちは、羽アリ・・・。
あれもアリ、これもアリ♫って私の先輩も歌ってましたよ!!
ところで、余談だけど、アリクイって、日本の蟻は食わないって知ってた??(笑)
ほんとうの、蟻のままでいられたらね!
人は自分の正直なおもいになかなか気がつけない。
色んなことで覆い隠して見えなくしている。
その自分に気がついていくと、色んなことにダメだしをしている自分にも気がついていくんだ。
蟻のままは、自分がいろんなおもいをもっているってことに気がつき、そんでもってそれをそのまんま否定せずに受け取ることでもあるんだ。
かなり奥深いことばだよね。
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