2013年6月21日金曜日

「年いったき。。」2



「年いったき」は、年がいくということを、肯定している事になる。
事実そうだから、そうに決まっているだろう。
というのが、いままでの考え方。

だが量子力学的にゆーと、観察されるものが観察するものの影響を受ける。
ということは、その人が「信じたものがあらわれる」ということになる。
すると、年がいくということを信じているから、年がいく、ということである。
それに何も問題はない。
だけど、そのことをつねに意識し続けるとどうなるのだろうか。

自分が年がいく、ということばを、つねに心の中や、ことばにだして言い表していると、どうなるのだろうか。

「いや、どーしょー、カラダがうごかん。。やっぱし、年がいってきたがや。。。」
と心の中でいう。
「いや、いかん。あたし、それやるがを忘れちょったちや。ごめん。ごめん。やっぱし、年がいったがやきにかあらん(注:年がいったからにちがいない)」
と、自分の失敗を人にいい訳する。

心の中でおもう。それを口にだして、自分の耳で聞く。
このダブルなアクションが功を奏する。
こうして、年がいくことにますます加速をつけてくれる。じつにありがたいことである。

そう言う意味では、田舎に住んでいる方が、より加速が増す。なぜならまわりにそう言うことばを発する人々がいっぱいいるからである。

ひとりが発すると、そのとなりにいる人も「ああ、そう言えばいいんだ」と信じ込むので、マネをする。するとそのとなりにいる人も「ああ、そういうもんなんだ」と納得をするので、そのマネをする。
かくして『田舎総「年がいく」人口』で満たされるのである。

だが、中には残念なことに、年がいってない人がいる。
そーゆー人はどうしているかというと、あろうことか、年がいっていることを忘れてしまっているのである。

やまんばはNYに住んでいたことがあったけど、年がいってない人が多かった。
これは日々戦いの中で死にものぐるいで生きているから、「あ~、年がいった。。」などと悠長なこといってられないからであろうか。地下鉄で「あ~、あたし年がいった。。。」などとほざいておるスキに、財布を盗み取られてしまうかもしれないからである。(ほんとか?)

では年がいかない方法は、戦いの日々に没頭すればいいのか?
いやそうではない。

簡単だ。
口にしないことだ。

心の中で、そう呟こうとするとき、呟いた時、それに気がつくこと。その時、「いや、また言ってしまった。。」と後悔する必要もない。それに気がつくと、無意識という状態が消える。心でしゃべっているおもいグセに気がつきつづけていると、そのうち心は黙ってしまう。

それが結果的に、年がいかないということになってしまう。

だってそれは観察もされないので、現われようがないから。


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