2011年6月27日月曜日
高尾、高いの?低いの?
友だちが、ガイガーカウンターをもって畑にやって来た。
畑の中で土の上をはかってみる。0、15マイクロシーベルト。畝の中をはかってみる。0、15〜0、16マイクロシーベルト。水たまりのところが危ないというんで、雨水をためている風呂桶をはかる。0、14マイクロシーベルト。
で、どう?ほかは。ときくと、畑に向かう時、ガイガーカウンターを手でもって移動。地面から1メートルの高さ。0、14マイクロシーベルト。地面と空中の差はあまりなかった。
で、それは高いの?低いの?
さあ。
聞く所によると、自然放射能は日本の場合、年間積算量1、26ミリシーベルトだそうだ。ミリシーベルトは、マイクロシーベルトの1000倍。これを365日で割って、それを24時間で割る。すると、だいたい0、14マイクロシーベルトパーアワーとなる。ということは、畑の放射能は、年間自然放射能とほとんどかわらない。ということになる。
さて有名な武田教授の6月23日の記事によると、名古屋の栄で、0、15マイクロシーベルト出た!とのこと。とんでもない危ないことだそうだ。それによると、東京で0、11マイクロシーベルト以上出るところはまれだという。するってえと、高尾はとてつもなく大変な数値を出している!ということになろうか。
教授のことはおいといて、実は都心よりも山あいの方が放射能が多いのだと言う。植物からいろんなモノが放出されているようだ。それが人々に心地よい感じを与えている。
そのガイガーカウンターがどの程度正確なものかは分らないけれど、今回空中ではかったのと、地面近くではかったのがほとんど同じ数値を出しているということは、元々ここに存在している高尾の放射能なのかもしれない。原発からふりそそいだものなら、降り積もってたまっている地面の方が多いのではないだろうか。
ひまわりが放射能を吸収すると最近騒がれているけれど、他の植物だって思いっきり地面に入ったものを吸収する。ほうれん草に特に出るのは、ほうれん草が肥料食いと言われているからかもしれない。カリウムだろうが、セシウムだろうが、何でもおおいに吸っちゃうのかも。
放射能は目に見えなくてこわいけど、植物には浄化作用というものがあることを忘れている気がするなあ。広島に黒い雨が降り注いだ翌年、すべての野菜が豊作だったようだ。それは彼らがこの地上のバランスをとるために、ひたひたとさくさくと、浄化の仕事を行なっていたからじゃないだろうか。ウチの畑にもふりそそいだんだろうけど、草たちがどんどん吸い上げて、どんどん浄化していったのかもしれない。
それはニンゲンの身体にも言えることだと思うんだなあ。石けんなし生活で実感するのは、ニンゲンの身体の何と自己完結した完璧な働きをする生き物かと。その働きたるや、はあ〜、恐れ入りました状態。私らニンゲンがちっこい頭であーしなきゃ、こーしなきゃ、とわあわあ騒いでいるあいだにも、ひたひたと、さくさくと、すべてのバランスをとるために働いてくれている。
ようするに、ニンゲンの頭だけが錯乱しているだけなのかもしれない。こうでなきゃだめだ、あーでなきゃいやだといってるのは、ニンゲンの頭だけだ。植物はその身を枯らしながら、虫に食われながら、大きな営みを続けている。身体も同じだ。
その大きなうねりを、どどーんと受け取りたいのだ。
絵:似顔絵「養老孟司」
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2 件のコメント:
久しぶりだね〜、元気そうで。
そうだね、僕も原発の新設はもう許せないけれど、ヒステリックに今すぐ止めろというのはどうかと思う。
放射能も騒ぎすぎや、パニックをあおってページビューや部数を稼ごうというのがありあり。
また周りの人間でまんまと乗せられて、その手のリンクをFacebookにしょっちゅう貼り付けてくる。でもそう言う本人は喫煙者。お笑いやん。
僕らの育った'60年代、核実験が盛んだった頃は、日本中の放射性物質は今の飯舘村以上だったらしい。
僕ら元気に育ちましたが何か?
おお、おひさしぶり。元気ですよ。
そういうお人がいてくれてわしゃうれしい。
そうなのよ。わしらが子供のころは、もっとあびていたらしいね。
共感しあうってことがとても大事な時代。それはときにたとえ恐怖であったとしても、共感が互いを確認しあい、喜びを分かち合うのかもしれないね。
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