2026年3月9日月曜日

未来への期待

変な形の織部


 昨日地域のお祭りがあった。


このお祭りには毎年わが陶芸教室の生徒たちが出店してきた。

私も去年その仲間入りをした。


だが今年はその主催者側の40周年記念とかで式典が催され、私たちは出店を断られる。

だが蓋を開けてみれば、二日間のお祭りのうち、二日目は通常通りのフリーマーケットや焼き鳥などの出店があった。


うちだけ外されるのはどういうこと?

いやいやこれは式典のせいで外されただけだから、

来年は出店できるはずと思いながら、その代表の方に打診をしてみた。


すると来年は来年でわからないという返答がきた。

どういうこと?うちだけ外されて他はいいってどういうこと?


私の心に動揺が走った。

確かにうちの先生は嫌われている(笑)。

でも地域の人々に喜びを提供するというコンセプトであるのに、

その地域の人間が外されていいのか?


「なんだ~出店してないのか~。

つくしさんの器が買えると思ってきたのに~」

と言ってくれたりするとなおさら。


そう思った時ハッとする。

私は結果を求めている。

こうあってほしいという思いがある。

だからそうならないことに苛立つ。


この世界を実在させ、この世界に固執している自分がいた。

そんな自分を赦し、お祭りの実行委員の持ち場に戻った。




そこである町会の会長と知り合う。

彼は来年もこの同じメンバーで祭りを支えていこうという。


来年。。

ふと心が重くなる。


来年の陶芸の出店も実行委員のメンバーも、ここにない空想の世界。

今目の前にあるものがすべて。

未来は架空の話。


世界は今しかない。

そういう言葉がだんだん本当のことだと思えてくる。

しかもその目の前に展開している世界も存在しないらしい。


人々が未来にフォーカスするのは、

今というものが受け入れられないから未来にそれを託す。

だがその未来が来ても「今」だ。

ずっと今であり、それが嫌で未来へ未来へ心は前のめりになる。


私が来年の陶芸出店に固執するのは、今そこにないから。

出店できないもどかしさが、来年の保証をを求めて代表者に打診していたのだ。

それが安心感をもたらすと信じていたが、それこそが不安をもたらす。


代表者の方が「わからない」と言ってくれたのは、

私にその架空の期待があることを教えるためだった。




今というものも、実は何もわからないものだ。

そのわからないということがなぜか安堵になってくる。


ああなってはいけない。こうなってもいけない。

いけないからこうする。いけないからこうしない。

みんな未来からくる不安。


それは未来を知っているという信念からくる。

ニュートンの法則を知っているからくる不安。

医者が言うからくる不安。

情報が教えてくれる不安。

常識が教えてくれる不安。


そんなものみんな取っ払うとただアホになる。


アホのまま、そこにいる。


何も知らないと言うのはなんて愉快なのだ。


頭の中で愉快な音楽がなっている。


口をあんぐり開けてお空を眺める。


心が広がっていく。








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