私の作品集の制作、海沼武史の展覧会のDM制作、
写真集のためのパンフレット制作、そしてニュー写真集の制作と、
立て続けに入稿したのち、
毎週続いた盆踊り踊り子隊出陣がやっと終わった。
後はこれから私の10月10日から開かれる展覧会に向けて
本腰を入れるぞと思った矢先にぶっ倒れた。
まったく自覚がなかったが、相当疲れていたようで体が動かん。
三日間寝込んだ後、陶芸教室に行くも、途中で断念。
今日のヒップホップもドタキャン。
展覧会の準備これからって時に、間に合うのか、つくし!
体が動かんって人を不安にさせる。
ふた晩続けて痛みと恐れでまったく寝られなかった。
年老いるってこんな思いを抱えているのか。
世の中のご老人たちはいつもこんな思いを抱えているのか。
年老いて死んでいくのは当たり前のことなのに、
この世界の常識があまりにも残酷におもえた。
やはりこの世は地獄だ。
体はべったりと地面にドロドロに溶けて張り付いている。
30分とおかずにトイレに起こされる。
200キロの肉体を無理やり起こしトイレに行く。
その度に最悪な想念が飛び交う。
どうする?このまま元気にならなかったら?
どうする?何かとんでもない病気にかかっていたら?
手術費は?入院費は?そんな思いがぐるぐるする。
早く朝になってくれとひたすら願う。
そんな時、私は体じゃなかったことを思い出す。
そうだ、私は体じゃない。
私は?私はこの今ここに満ちているすべてだ。
何もない、何も見えないものの方だ。。。
そう思うと、それまで地面を這いつくばっていた私は、すーっと浮き上がる。
窓の外に見えている夜空に意識を向ける。
私は体の中にいなくなり、体を忘れた。
この体を忘れるということがいかに大事かを知る。
私たちの心は体の痛みやしんどさにすぐ捕まる。
この不快感をどうにかして取り除かなければと、
あの手この手を考えていることで、さらに体に取り込まれる。
自我は私たちを常に体に意識を向けさせようとする。
しかし体に意識が向かえば向かうほど、その不快感はさらに増す。
そしてさらに泥沼に入る。
それが自我のトラップだ。
あるあるある。不快感がある。
それをやめさせるんだ。そうじゃないと死ぬぞと。
そのメッセージは超絶惨めな気分にさせ、
この世界を重くのしかかる最悪な実在するものにさせる。
でも心を体に向けさせるのではなく、
逆の方向に向けるとき、
自ずと心のドアは開き静けさへと帰っていく。
ぎゅーっと凝縮する方向ではなく、ゆっくりと拡張していくのだ。
そこには体という固定化されたものがない。
体は霧のように淡く不確かなものだ。
私はその小さな殻から抜け出して大海原に出る。
幼い頃毎日見ていた室戸の海。巨大な空と巨大な海。
その全てが私の中にある。
私は空で、私は海だ。
巨大な私の中にこの地球はある。
小さなクリスタルボールの中の小さな夢物語。
私はそれを愛おしく眺めているものだ。
心をどこに向ける?
今回の出来事で、そのことがどれだけ大切かを実感する。
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