2025年12月31日水曜日

静かな年の瀬

 


大晦日。

お花もない、お煮しめもない、なますもない、ローストビーフもない、

なーんも用意してないお正月。


でも黒豆は煮た。

三年前旦那の友達が作った黒豆をもらって冷蔵庫にしまってあった。

去年は喪中だったから作れなかったけど、

その前の年に煮たその黒豆がとても美味しかったから。


何もしないとは言いつつ、

大きく部屋の模様替えをしたことで、ある程度は掃除はしたかな。



今年は色々あったなあ。

年明け早々に近所の珈琲店ふじだなさんで展覧会。

初めての自分の作品集の制作、ダンナの写真集、およびパンフレットの制作。

10月の駒木野庭園での展覧会。

初めての手ぬぐい作り。

年明け早々に開かせてもらう山籟さんでの個展で販売する。


そして年初めから始めた陶芸。

この一年で展示したり販売したりと4回もやった。

27年ぶりの陶芸、しかも初めての絵付けだったけど、けっこう売れた。

みんな、ありがとう~。


先日電動ロクロを貰い受けて、ついにうちでロクロを回す事に。

八王子は陶芸をやっている人が多いらしく、窯付きの物件なんてあるらしい。

うちの陶芸教室の先生は八王子で陶芸歴が長いので、歳が行って工房を手放す人がよく相談に来る。

私が貰い受けたのもその一つ。

絵を描きながら陶芸もやるなんて、なんか楽しいじゃないか。

ついでにヒップホップも上手くなるといいんだけど。(笑)



心の面は、いろいろあった。

一番大きかったのは、ある決心をしたことかな。

そこからどんどん変化があった。


原因に帰る。そのことの意味がさらにわかってきた。

現象は結果でしかなく、その結果の原因は心にある。


私が何を信じてきたのか。

それが原因だった。


自分はこれこれこういう人間で、世界はこういうもんだということ。

目に見える現象を見て確認していたけれど、そうじゃなかった。

誰がそれを思っているのか。

誰がそれを見ているのか。

そこに帰る。


私はどうありたいのか。


世界を私の思い込みから解放する。

私を私の思い込みから解放する。


そんなことを思う年の瀬です。


今年一年出会ったすべての人に感謝を捧げます。

ありがとう!


そして来年、皆様にとって良い年でありますように!







和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです


2025年12月25日木曜日

怒涛の愛に、もう降参です。。。

山籟」さんで小さな展覧会を開きます。


世の中はメリークリスマス!
なのですが、うちは何もしない(笑)。

でもお友達からもらった手作りのシュトーレンを、

今朝コーヒーとともにいただきました。
美味しかった〜。

なんという贅沢!



さてこのブログをご覧の皆様はすでにご承知でしょうが、

重箱の隅を突っついてまでも自分の至らなさを掘り起こしては

「ああ~いい湯だああ~」

と、罪悪感に浸るという変態ババアであります。


しかしここにきて、怒涛の愛が私に押し寄せてくるのを感じています。


どんなに罪悪感に浸ろうとしても、それを押しのけて、

「はい。愛の宅急便でーす」と、やってくるのです。


ある日、香港さんから私のブログにコメントが届きました。

「このコーヒーカップ、ほしい!」

え?!まじで?!

歪んでいるよ、、、

えっとねえ、、、手回し轆轤はねえ、、、素焼きして歪んで、本焼きしてさらに歪んでえ~。。

と、心は自分の至らないところを言い訳の嵐。相変わらず重箱の隅にある罪悪感なものを引っ張り出してこようとする。

しかし香港さんの愛はそんなちっこい私の心をものともしなかった。


そして今日、香港さんからの喜びのブログを発見する。

げ!!!


惨めで罪悪感に浸りたい私に、

愛がいっぱい押し寄せてくる~~~。

これを受け止めなくて、私は一体何を受け止めるのか。
愛が香港さんを通して私に降ってくる〜〜〜。

桃色両想い〜〜〜。



この頃、道で人と会うごとに、

スポーツクラブでみんなと会うごとに、

陶芸教室で仲間と会うごとに、

メールを開くごとに、

ピンポーンって玄関を開けるごとに、

みんなが愛の目で私を見てくれているのを感じる。

夜の真っ暗闇の森でさえも、

私に愛を向けてくれているのを感じる。


ああ、もう降参です。。。


みんな、ありがとう〜〜〜〜〜!





そしてもう一つの愛、

ご近所のジビエ料理専門店の山籟(さんらい)さんで、

小さな展覧会を開らかせてもらうことになりました。


今回は和紙の作品だけでなく、

陶芸も一緒に展示、販売いたします。

そして私のデザインの手ぬぐいも販売いたします。


ジビエのランチが最高に美味しいです!

ここはレストランなので、

ご来店の方はワンオーダー(お茶でも可)をお願いします。


つくし作品展 in 山籟(さんらい)


2026年1月15日(木)~2月2日(月)


〒193-0841

東京都八王子市裏高尾町789-5

tel: 042-673-7421

営業時間11:00~15:00

定休日 火曜、水曜


新作も展示いたします。

ご興味あれば、ぜひ足をお運びください!





なんというクリスマスなのだ。

これこそが、メリークリスマスなのか!

そうだったのか!







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2025年12月20日土曜日

不快は認識のためのチェック機能

 

「エストニア/健康と生活」表紙イラスト

人のいざこざを見ることになった。

目の前で展開されるそれぞれの主張。

どちらも自分の立場から出てくる正しさ。

二人の話はいつまでも平行線で、互いに噛み合うことはなかった。


これがこの世界の形。

互いが互いを理解することもなく、

せいぜい痛み分けという犠牲を払いながら落とし所に落ちる。

あるいはモヤモヤとしたものを残しながら時間の流れに身を任す。


これには何かある。私に何かを教えようとしている。

私は目の前にいる二人を赦し続けた。


しかし一向に進展がない二人に笑いがこみ上げてきた。

もうええやん。ハイハイって言うといたらええやん。



家に帰って、昼間の出来事を思い起こした時、

私はその二人を赦していなかったことに気づく。

心の中で「赦します」と言いながら、

愚かだとさばいていた。

私は赦すふりをしてバカにしていたのだ。


こうやって自我はコースを乗っ取る。


人の愚かさを見るのは、自分の中にそういう考えがあるから見る。

それは見たがっていると言える。

すなわち、自分はバカだと思っているからこそ、

それを外に見て、自分はバカじゃないと言い張りたいのだ。


ここまでが自我の働き。

そこから聖霊の視点に移行する。


「人は愚かだ」あるいは「私は愚かだ」

その考えを放棄したいか、否か。


それは人も私も愚かじゃないと考えることとは違う。

「愚か」というアイディアは、神の世界にはない。

この世界にしかない「愚か」というアイディアそのものを聖霊に渡すことなのだ。




夜、もう一つ大事なことに気づかされた。


私は人のいざこざを見るのが嫌い。

それは幼い頃、両親のいざこざをいつも見てきたからだ。


一人っ子の私は、その悲しさや恐ろしさを兄弟や誰かと緩め合うこともできず、

ひたすら耐えた。

ある時母に、「私らあがケンカするのは誰のせいやと思う?あんたのせいよね」

と言われ、さらに私のせいでこうなったという思いに苛まれた。

今思えば、母はあまりの辛さにそういうしかなかったのだと思う。


だから今でも人のいざこざをどうにかして和らげようとしてきたんだと思う。


そして今その押入れの奥にしまっていた悲しみの闇を浮上させる時がきたんだと気づいた。


寝る前、昼間に起こったことを再度思い起こす。

目の前に繰り広げられる怒りの渦。

それを見ながら私の中から起こってくる悲しみや怒りや恐れ。

それをじーっと味わう。

胸の奥から湧き上がる嗚咽。体のピリピリ。。

ああ、出てきてくれたんだね、出てきてくれてありがとう。。。


ある瞬間、ふっとその感情が消えた。

なんども思い出そうとするが、もう出てこなくなっていた。


そして怒りに震えて私たちに訴えていたその人の顔が、急に丸くなって見えた。

それまで鋭い剣のような顔をしていたその人が、丸くて愛らしい顔に見えたのだ。

私の中で急に愛おしさが溢れてきた。

全てが溶けていく感覚がやってきて、

今ここに、自分の中に聖霊がいるのを感じていた。



この世界の中で問題を解決することは、

この世界があると思わせ続けることだ。


焦点はそこではなく、それと出会った時の心の状態を見る。

不快はそこに隠してある何かを見るためのチェック機能だ。


自分の心の奥は果てしなく広い。

そしてそれは他の人々と共有している。

一人独立などしてない。


認識は光だ。

そこに裁きではなく、ただ見る、受け入れるということが

すなわち、光をあてることになるのだろう。



母と父の心が、

彼らの心が、

私の心が、

ともに癒されますように。









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