2025年12月25日木曜日

怒涛の愛に、もう降参です。。。

山籟」さんで小さな展覧会を開きます。


世の中はメリークリスマス!
なのですが、うちは何もしない(笑)。

でもお友達からもらった手作りのシュトーレンを、

今朝コーヒーとともにいただきました。
美味しかった〜。

なんという贅沢!



さてこのブログをご覧の皆様はすでにご承知でしょうが、

重箱の隅を突っついてまでも自分の至らなさを掘り起こしては

「ああ~いい湯だああ~」

と、罪悪感に浸るという変態ババアであります。


しかしここにきて、怒涛の愛が私に押し寄せてくるのを感じています。


どんなに罪悪感に浸ろうとしても、それを押しのけて、

「はい。愛の宅急便でーす」と、やってくるのです。


ある日、香港さんから私のブログにコメントが届きました。

「このコーヒーカップ、ほしい!」

え?!まじで?!

歪んでいるよ、、、

えっとねえ、、、手回し轆轤はねえ、、、素焼きして歪んで、本焼きしてさらに歪んでえ~。。

と、心は自分の至らないところを言い訳の嵐。相変わらず重箱の隅にある罪悪感なものを引っ張り出してこようとする。

しかし香港さんの愛はそんなちっこい私の心をものともしなかった。


そして今日、香港さんからの喜びのブログを発見する。

げ!!!


惨めで罪悪感に浸りたい私に、

愛がいっぱい押し寄せてくる~~~。

これを受け止めなくて、私は一体何を受け止めるのか。
愛が香港さんを通して私に降ってくる〜〜〜。

桃色両想い〜〜〜。



この頃、道で人と会うごとに、

スポーツクラブでみんなと会うごとに、

陶芸教室で仲間と会うごとに、

メールを開くごとに、

ピンポーンって玄関を開けるごとに、

みんなが愛の目で私を見てくれているのを感じる。

夜の真っ暗闇の森でさえも、

私に愛を向けてくれているのを感じる。


ああ、もう降参です。。。


みんな、ありがとう〜〜〜〜〜!





そしてもう一つの愛、

ご近所のジビエ料理専門店の山籟(さんらい)さんで、

小さな展覧会を開らかせてもらうことになりました。


今回は和紙の作品だけでなく、

陶芸も一緒に展示、販売いたします。

そして私のデザインの手ぬぐいも販売いたします。


ジビエのランチが最高に美味しいです!

ここはレストランなので、

ご来店の方はワンオーダー(お茶でも可)をお願いします。


つくし作品展 in 山籟(さんらい)


2026年1月15日(木)~2月2日(月)


〒193-0841

東京都八王子市裏高尾町789-5

tel: 042-673-7421

営業時間11:00~15:00

定休日 火曜、水曜


新作も展示いたします。

ご興味あれば、ぜひ足をお運びください!





なんというクリスマスなのだ。

これこそが、メリークリスマスなのか!

そうだったのか!







和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです

2025年12月20日土曜日

不快は認識のためのチェック機能

 

「エストニア/健康と生活」表紙イラスト

人のいざこざを見ることになった。

目の前で展開されるそれぞれの主張。

どちらも自分の立場から出てくる正しさ。

二人の話はいつまでも平行線で、互いに噛み合うことはなかった。


これがこの世界の形。

互いが互いを理解することもなく、

せいぜい痛み分けという犠牲を払いながら落とし所に落ちる。

あるいはモヤモヤとしたものを残しながら時間の流れに身を任す。


これには何かある。私に何かを教えようとしている。

私は目の前にいる二人を赦し続けた。


しかし一向に進展がない二人に笑いがこみ上げてきた。

もうええやん。ハイハイって言うといたらええやん。



家に帰って、昼間の出来事を思い起こした時、

私はその二人を赦していなかったことに気づく。

心の中で「赦します」と言いながら、

愚かだとさばいていた。

私は赦すふりをしてバカにしていたのだ。


こうやって自我はコースを乗っ取る。


人の愚かさを見るのは、自分の中にそういう考えがあるから見る。

それは見たがっていると言える。

すなわち、自分はバカだと思っているからこそ、

それを外に見て、自分はバカじゃないと言い張りたいのだ。


ここまでが自我の働き。

そこから聖霊の視点に移行する。


「人は愚かだ」あるいは「私は愚かだ」

その考えを放棄したいか、否か。


それは人も私も愚かじゃないと考えることとは違う。

「愚か」というアイディアは、神の世界にはない。

この世界にしかない「愚か」というアイディアそのものを聖霊に渡すことなのだ。




夜、もう一つ大事なことに気づかされた。


私は人のいざこざを見るのが嫌い。

それは幼い頃、両親のいざこざをいつも見てきたからだ。


一人っ子の私は、その悲しさや恐ろしさを兄弟や誰かと緩め合うこともできず、

ひたすら耐えた。

ある時母に、「私らあがケンカするのは誰のせいやと思う?あんたのせいよね」

と言われ、さらに私のせいでこうなったという思いに苛まれた。

今思えば、母はあまりの辛さにそういうしかなかったのだと思う。


だから今でも人のいざこざをどうにかして和らげようとしてきたんだと思う。


そして今その押入れの奥にしまっていた悲しみの闇を浮上させる時がきたんだと気づいた。


寝る前、昼間に起こったことを再度思い起こす。

目の前に繰り広げられる怒りの渦。

それを見ながら私の中から起こってくる悲しみや怒りや恐れ。

それをじーっと味わう。

胸の奥から湧き上がる嗚咽。体のピリピリ。。

ああ、出てきてくれたんだね、出てきてくれてありがとう。。。


ある瞬間、ふっとその感情が消えた。

なんども思い出そうとするが、もう出てこなくなっていた。


そして怒りに震えて私たちに訴えていたその人の顔が、急に丸くなって見えた。

それまで鋭い剣のような顔をしていたその人が、丸くて愛らしい顔に見えたのだ。

私の中で急に愛おしさが溢れてきた。

全てが溶けていく感覚がやってきて、

今ここに、自分の中に聖霊がいるのを感じていた。



この世界の中で問題を解決することは、

この世界があると思わせ続けることだ。


焦点はそこではなく、それと出会った時の心の状態を見る。

不快はそこに隠してある何かを見るためのチェック機能だ。


自分の心の奥は果てしなく広い。

そしてそれは他の人々と共有している。

一人独立などしてない。


認識は光だ。

そこに裁きではなく、ただ見る、受け入れるということが

すなわち、光をあてることになるのだろう。



母と父の心が、

彼らの心が、

私の心が、

ともに癒されますように。









和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです


2025年12月16日火曜日

惨めな気分になりたがる

 

「桜」

時々リアル会に参加させてもらっている

茂藤かおりさんが発信されているポッドキャスト。


その中で「#12罪悪感や葛藤は、愛!?」

というタイトルに惹かれて、視聴させてもらう。


親やペットの介護に対する思いや葛藤、罪悪感などを

「それは愛ゆえに出てくる思いなんだ」

と話してくれるかおりさん。


そうだよなあ。ほんと。そうだそうだ。

それは去年6月に亡くなった母へのあらゆる思いを溶解させてくれる言葉だった。


人はその人を思うがゆえに葛藤する。

どこに正解がある?どれが一番正しい?

しかし「正解はない」という彼女。


10年ほど前、母のことで悩んでいた時、

高知市内の鏡川の橋の上で気づいたこと。

「この世界に答えなどないんだ。。。」

あの安堵の瞬間を思い出した。





人は何か起こった時、いや何も起こらなくても、

常に罪悪感を発動している。


今回の謎の症状が次々に起こっている時も、

「私が何をした?一体私の何がいけなくてこんなことが起こったんだ!?」

と考えたし、母のことにしても

「本当は私が面倒を見なければいけないのに、どうして私はできないのだ?」

と自分を責め続けた。


そして今は思う。

これこそが誘惑なのだ。


何年も前のことを思い出し、罪悪感に震える。

さっき道で会った人との間で交わした会話の中で、

あんなこと口走ってしまったけど、気を悪くしたかなあ。

私ってば、つい調子に乗って。。。


そうやってふいに浮かぶ思いに震え、

あんなことするべきではなかった、これから気をつけよう

と、自分を戒める。


しかしいくら気をつけても、いくら自分を戒めても、

相変わらず同じヘタこく私。

私はしらないうちに何かを「やらかすヤツ」だと信じ、

ビクビクおどおど生きてきた。


だがそれこそが私を強烈に魅了させる代物だった。


いけない私、悪いことする私、

そういう私を欲していた。

その時、自分という個人をはっきりと意識する。

自分と他人は違う。自分は人より劣っているんだと思う。


その「ダメな私」を見つけることに執着していたのだ。

惨めな気分になりたがっていたのだ。


自分に罪をみつけて、ぞわぞわする。

母の介護ができない自分を見つけてぞわぞわする。。。


それが罪の魅了だった。

なんて変態なんだ(笑)



しかしかおりさんは別の視点を与えてくれる。


それはその人を思う愛が故に起こる葛藤と。


自分の罪を見るのではなく、

その思う心の真実に迫る。


自我はそんな私を罪悪感に陥れて、苦しませる。


聖霊はそれを愛に変えて見せてくれる。

そう思うあなたの心は、実はこっち側にあるからなんだよと。

あなたは愛でできているんだ。

もう自分を責めなくていい。



私の周りにもたくさん自分を責める人たちがいる。

特に若い人たちに多い。

それは私たちの世代よりも、

より自分の心を見る力を持っている人たちだからだろう。

物がなくて物を増やしていく時代から、

物の先にあるものを見始めた世代。


だが心の中がクリアに見えるほど、

その葛藤もクリアに見えるのは事実だ。

しかし自分の弱さを見ることができるのは心の強さだ。


人はたいてい自分の弱さを見ることを恐れ、誰かのせいにする。

なかなか動かない他人を見て葛藤するが、

やがてそれは自分の考えが現れているのだと、

自分が原因だということに気づいていく。


無意識の中に押し込めて見えなくさせていること

「自分が自分を責め続けている」ことに気がつきはじめ、

少しずつ解放への道を歩み始める。



変態を終わらせて行こう。

どんどん軽くなるよ。





和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです