コース/A Course In MIracles のいう「赦し」がなんなのか、全くわからなかった。
通常の許しは、相手が犯した罪に対して、「私の心は寛大だ。だから許してやろう」
という、許す側の心の広さに免じて、というのが普通だろう。
しかしコースの赦しは(漢字が違うのはわざと)、起こってもいなかった罪に対して、赦すのだ。
罪など起こしてもいない?そしたら赦すも何もない。さっさと赦されるはずだ。
いやいや。見ちゃったし。
あんた罪おかしているし。なかったことになんかしちゃわないよ!
だってこの目で見たんだもん!となって、とてもじゃないが、コース的な赦しはできなかった。
コースの日本語訳には、三冊ある。
「奇跡の道」田中百合子さん訳、
「奇跡のコース」大内博さん訳、
そして「奇跡講座」加藤三代子さん、澤井美子さん訳。
そのうちの「奇跡講座」だけが正式な日本語訳として「内なる平和のための財団」に認められている。
その正式に認められた翻訳に使われている漢字が「赦し」
通常つかわれるゆるしは、罪ありきへのものなので、それは「許し」であって、
罪は起こっていなかったというコースの考えに基づいたものへのゆるしは、「赦し」を使っている。
ちなみに田中さんの訳では「許し」を使い、
大内さんの訳では「ゆるし」と書かれている。
あまりにも難しい本なので、その訳に関しても、ほんの少しの誤訳で全然違う内容になってしまうから、ここまで厳密でややこしいことになってしまったのだろう。
とまあ、赦し一つに関しても、どの漢字を使うかと迷うほどである。
で、本題の赦しである、
罪は何も起こってない???なんで???
どうにもこうにも「何も起こってない」前提で赦すことができなかった私であった。
口では言ってみるも、どうにも気持ちが悪い(だって見ちゃったんだもん)。
そうやって気持ちの悪いまんま、無理やりコース赦しをやっていたが、ある日気になる本を見つけた。
それは謎の著者名の、キラキラしたチャラい感じの本の表紙だった。
ぱっと見、あまりに軽い表紙なので、真剣みにかけるなと思いつつ、なぜか気になる。
気がついたら、キンドルで購入をプチっと押していた。
ラクシュミって誰?何人?
昔、仕事でこの神様の絵を描いたことがあるぞ。
読んでみたら、チャラチャラが吹っ飛ぶ、コースの骨格を何の色もつけないで説明する、ど直球な本だった。
罪悪感というものを使って、自我/エゴが何をやっているのか何を私たちにやらせているのかを、なんのオブラートにも包まず、ガンガン言ってくる。
この本は、コースをある程度学んだ読者じゃないときついかもしれない。
第1章は個人的な経験を語っているが、
第2章からは、個人が書いてないのではないか?と思わせるほどの剛速球。
そこに出てきたのが、赦しのあり方だった。
なぜか私はこの本に触発されて「よっしゃ!もう徹底的に許すぞ!」と爆許しし始めた。
誰かに罪を見たとき、それを自分で許すのではなく(自分で許すとは、自我とともに許しているのだから)、正しい心を持ったもう一つの存在である聖霊とともに赦す。
そして(ここが肝心だ)それを知覚した自分を赦すのだ。
罪を外側に見るとき、それは自分自身を見ている。
自分の中にある無意識の罪の意識を外に投影してみているからだ。
だからこそ、それを見た、つまり知覚した自分自身を赦すのだ。
これを爆許ししていくうちに、だんだん私の心が変わり始めた。
罪は本当は犯されていなかった、、、起きてはいなかったんだということを感じ始めたのだ。
理屈ではなく、
「マジで何も起こってないんちゃうか。。。?」
という気にだんだんなってくるのだった。
つまり赦すのは、自分の中にある罪悪感なのだった。隠れて見えない罪悪感が、赦しを通して明るみに出されていく。自分で隠しておきたい闇に、スポットライトを当て始めるのだ。
そしたら、闇は光で一瞬のうちに消えるように、消えてしまう。
隠しておきたかったものは、本当は「無」でしかなかった。
何もないものを、あるがごとく感じていて、それを「罪」という名の蔵の中に収めておきたがっていたのは自我。
私たちは通常自我とともに考え行動しているから、それを隠しておきたい。
それは見られては困る。なぜならそこには何もないのだから。
でも私たちは自我ではない。
そこから離れることができる。もう一つの側に立つことを選ぶことによって。
自我と一緒に見ると「罪はある」と見え、
聖霊と一緒に見ると「罪などない」とわかる。
私は過去起こった出来事を赦し始めた。
そうすると、自分がいかに過去の出来事に影響されて、今があるかに気がつき始めた。
あらゆる不快な感じは、過去にあった出来事に感じる想いから来ていた。
そこにスポットを当てる。
それを光の下にさらけ出していく。
じょじょに過去が消えて行く。
すると未来さえも消え始める。
それは過去考えたことが未来へと続いていたからだ。
過去に縛られていない、自由な今しかなくなっていく。
絵:NYで出版された。能登半島で起こった出来事を描いた絵本。
story by J.Alison James
illustration by Tsukushi
2 件のコメント:
私は未だに過去を赦せてはいない…です
まずはそう気づくことが第一歩だと思いますよ。
普通は、自分の過去など赦せないはずですから。
過去を赦せてないない自分を、そっと赦してあげてください。
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