えーと。
今日のお話は、お食事中の方はご遠慮ください。
きのう、昼間に玄関の階段に水たまりを見つける。
「アレ?雨でもないのに、なぜここに?」
それから、夕方畑の野菜を洗ったのち、玄関に出ると、またもや同じ所に水たまりが。。。。
「げ!なんで?」
目の前には、可憐に咲いたドクダミの花たち。よくみるとその足元にみずたまりが。。。
そして水の出場所をさぐって行くと。。。。ある一カ所が水たまりに。土の下をまさぐると、「おすい」とかかれたプラスティックのフタ。。。(あちゃー。。)
再び台所に行って水を出す。
フタについた3つの穴から噴水のよーに、水が溢れ出しているではないかーーーー。
先日、漏水で工事したばかり。築30年を越えると、あっちゃこっちゃ、不具合がでるのか?とおもいつつ、先日お世話になった業者さんにアポを取る。月曜日の午後来てくれることになった。しかしそれまで台所が一切使えない。。。
その夜も洗面所でお皿を洗う。震災時の人々の苦労をしのぶ。
「こんなもんじゃないよなー。。。」
普通に水が出て、普通に排水処理ができる便利さを思う。
普通に水が出て、普通に排水処理ができる便利さを思う。
翌朝、ふと思い立ち、おそるおそる3つの穴が開いた「おすい」のフタを開ける。。。。
じゃじゃーん。タップタプの汚水ーーー♥
ダンナが木の棒でぐちゃぐちゃやってみる。一瞬水が下がった。
「お?」
こりゃ、なにかがたまっているかもしれない。。。とおもったわたしは、
勇気をフリシボって、その汚水の中に手を突っ込んだ。
。。。。何やら、えたいの知れない物体が手に触れた。そこになにかわからないカタチのものが存在している。。。。
むんずとつかんで、持ち上げた。
それは白い塊だった。
なにこれ?
それから何度も手を突っ込んでは、それをすこしずつはがしていった。
だんだん意味が分かって来た。
これは小麦粉だ。。。
3、4年前、私はパン作りにこっていて、毎日のように小麦粉を使っていた。作業中に出るべちょべちょの小麦を、気前よく流していたのだ。あるときネットで記事を読む。パン作りの時、排水管がつまるから小麦粉をシンクに流さないようにと。それからできるだけ流さないようにしてきたのだが、それがたまりにたまって、こんな所でカタマリになって排水をふさいでいたのだった。。。。
どこが築30年の不具合やねん。自分でまいた種じゃねえか。
どこが築30年の不具合やねん。自分でまいた種じゃねえか。
それからダンナと二人、這いつくばって約30分。排水管にこびりついた、固い固い小麦粉のかたまりと格闘。
手を突っ込める範囲でこそぎ落としたが、排水管全部は無理だ。でももう水が滞ることはなくなった。
しかし。。
排水管って、臭いのねん。
あれそっくり。
温泉のイオウ臭そっくり!
何かね。ありとあらゆるものが混ざると、温泉臭になるんかね。
じゃあ、あの温泉のにおいは、ありとあらゆるものの集合臭なのか。。。?
汚水につかったら、健康になったりして????(んなわけねーだろ)
自分でつかったもののために、ふんづまったものを、自分でトル。
何だか、何をか言わんや。
心の中にこびりついたものを、自分でとってる。。。そんな感じがしたな。
非二元流にいうと、
「起こることが起こっている」
それだけ聞くと、なんか突き放されたような冷たい感じがする。
だけどもうひとつ付け加えるなら、
それだけ聞くと、なんか突き放されたような冷たい感じがする。
だけどもうひとつ付け加えるなら、
起こることは、その人にとって、一番いいタイミングで『恩寵』としてやってくるんじゃないだろうか。
工事の人が月曜日だったからこそ、私は動いたんかもしれん。だから月曜日だったし、だからこそ、私の「ふと」が動いた。
すべては恩寵。。。
たとえ、そのとき「え~~~?」っておもうような、不快なことであっても。
そうおもうと、いろんなことをそのまま受け取れるようになれるかもしれん。
長くなりました。
長くなりました。
絵:「こんなに厳しい!世界の校則」MF新書/表紙イラスト
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