2017年1月1日日曜日

私の料理の原点は煮物

安い材料でお正月

私の料理の原点は、煮物だとおもう。
生まれてはじめて作ったインスタントラーメンも感慨深いが、いろんな意味で煮物が原点にある。

高校時代、母が毎朝仕事に出かける前に、甲高い声で台所から叫ぶ。
「つくし~~!下へ降りて来なさい~~!」

ふとんにくるまってぐずぐずしていると、
「はよう~~。はようおりてきなさ~~い!」

母は時間におわれている。ぐずぐずしてたら、電車に乗り遅れるから必死だ。
娘は渋々二階からおりて来る。

「カボチャの煮付けしといて!それからサンマの塩焼き!ほんで小松菜でおひたしつくっちょきなさい!ええかね!」
「え~~~」
ねぼけたやつに矢継ぎ早に命令されても頭は動かない。
「わかったかね!ちゃんとやっちょきなさいよ!」
「え~~~。。。」

「バタン!」
玄関のドアが閉まる。
「。。。。。。」

高校時代、私はバンドをやっていた。
学校が終ると、近くにある高知大学にある軽音クラブの一室を借りて、毎日練習をやっていた。そのあと高知の街の楽器屋に行き、メンバーと楽器屋のお兄さんとライブの打ち合わせをするのだ。
そんな多忙な中、母がかえってくるまでにいそいで家にもどってカボチャの煮付けやら、サンマの塩焼き、小松菜のおひたしを作らなければならない。
ヘタコクと、「なんぞね!この味付けは!」と、雷が落ちる。
へたくそなカボチャの煮付けはその場でぼそっと流しに捨てられた。

母は自分では料理学校に通っていたくせに、娘には「母親の背中を見てれば覚える」と、むちゃくちゃな理論を展開。自力で覚えなければならなかった。だから母の舌にあうように必死で作った。

仕事で忙しい母は、毎日かえってくるのが遅く(ほんとはパチンコして遊んでいたんだが)、家にいる時は、身体も弱かったので、たいてい横になっていた。
たまに元気で家にいる時は、やたらにこったデコレーションケーキを作っていたので、高校時代の晩ご飯の思い出は、何だかいつも私が作っていた気がする(笑)。
母は母なりにいろんな苦労をしていたので、パチンコやケーキ作りで発散しなくてはいけなかったのだろう。

お正月にお煮染めを作るたびに、母に怒られながら煮物を作っていたことを思いだす。
だから私の料理の原点は煮物。
料理を作るのがいやだったのは、その思い出からだろう。

だけど、いまごろになっておもう。
本当は母と一緒にいる時間がうれしかったのだ。

今は煮物を作りながら、私は料理が好きだったのだと気がついた。


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