2016年2月13日土曜日

欠けているという付録


名誉欲ってあるやん。
私の中にもいっぱいある。有名になりたい。みんなにチヤホヤされたい。憧れの的になりたい。
だけど、私は有名でもなければ、チヤホヤもされないし、ましてや憧れの対象でもない。
だからどこかでいつも「こんなんじゃダメだ。。もっと頑張らなくては。。ああ、ぼんやりしている場合ではない。。何か対策を練らねば。。。」と、ほとんど無意識に、ほとんど自動的に、考えるでもなく、考えている(ややこしいやっちゃ)。

なんでこんなに苦しいんだ?っておもうに、そもそもその考えがあるから苦しいのだ。
そーだ。その考えがあるから苦しいんだから、そう考えなきゃいいんだ!と、思いつき、その考えを捨てようとする。

今度はその考えが、くっつき虫のよーにくっついて、とっ、とっ、とれなーーーい!
ひっぺがそーとしても、はがれない。たたき落とそーとしても落ちない。そーやってぼろぞうきんのように悪戦苦闘して、はたと気がつく。
とろうとするから取れないんや(笑)。


コタツに入って、そもそもなんでそーゆー考えにいたったのかをじっくり考える。

すると、自分はブスでのろまでなんにも才能がなくて。。。と言う考えが浮かぶ。
なんでそんな考えにいたったかというと、すぐに母親のことが浮かぶ。
母は美人で才能があふれている、と言う神話だ。

母の美しさと自分を見比べて、私はみにくい、と判断した。
母が美しく料理を作る姿を見て、私には才能がない、と判断した。

人はなにかと比べるという事をする。
人と比べて優越感にひたり、人と比べて落ち込む。

ご多分に漏れず、私の母という一番身近な対象物と自分を比べて、自分にレッテルをはった。自分は才能がない。自分はみにくいというレッテルだ。

そうして、そこから長い長い戦いが始まったのだ。
私にはなにかが欠けているから、有名になって必要とされなければいけないのだ!チヤホヤしてもらわなければいけないのだ!憧れられなければいけないのだ!と、欠けたものを補うために、自動的に、無意識に、なにかを「やろうとする」のだ。それが冒頭の話につながっている。

欠けている、という考え。
これ、そもそも母が美しかったからではない。母もまた、その母と比べて自分が何かに欠けているというレッテルの中で苦しんでいた。

思考そのものに「欠けている」という付録がくっついているのだ!
やっかいな付録と考えるのもいいが、その欠けている精神(?)のおかげで、このよーに豊かな(ややこしい?)文明が、世界中でわらわら生まれたのだ。
 

さて、醜いと美しい。才能があると才能がない。有名と無名。
どれもお互いがコインの裏と表になってセットになっている。
美しくあろうとすれば、醜さがすぐ裏にひそんでいる。
才能がなければいけないと思うと、無能がひそんでいる。
有名になれば、捨てられることがひそんでいる。

そういうコインを、私はにぎりしめていたんだ。
さて、どうする?
捨てる?
捨てようとすればするほど、捨てられないもんだ。
さっきの話のひっつき虫のように。




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