わたしたちはふと頭に浮かんだ考えは、自分が考え出したものだと思っている。
自分で考え出したものだから、自分のものだと思っている。
自分のものだからこそ、ふと浮かんだから、これはきっと重要なことにちがいない。
この重要なことは、ぜひ解決しなければいけないことなのだ、と思っている。
こーして私たちは、頭の中であーでもない、こーでもないと、一人討論をくりかえす。
この現象は、わたしたちがふと頭に浮かんだことの中に飲まれていく様子を教えてくれている。
こんな話をしていると、ダンナがおもしろいたとえをした。
たとえば道の途中に、
「あ~~っ、穴だ!」
と穴をみつけ、
「大変だ!穴をふさがなきゃ!」
と、何か穴をふさぐ方法を考える。
あーでもない、こーでもないと考え続けるうちに、穴はどんどん大きくなっていくかんじがする。
量子力学でいくと、それをとらえればとらえるほど、ますます存在しはじめる。
これは問題だ、いけないいけないと思えば思うほど、穴はどんどん大きくなっていくのだ。
小さい時から、
「問題は解き明かさねばならない。答えを導き出さねばならない」
とインプットされてきたまじめな私たちは、
「いけない!この穴をなんとかしなければ!」
とあせる。
それにガチで取り組んですったもんだするうちに、いっそこの穴に入ってみようか、などと思いはじめる(笑)。
これが私たちの頭の中にふと浮かんだことにとらわれる現象のようだ。
もしこれが、
「あん?穴だ。ま、そーゆーこともあるだろう」
と、それに囚われることなく通り過ぎれば、その穴の存在は消えていく。
量子力学的にいえば、気にしないものはそこにエネルギーが注がれないため、存在し続けられないからだ。
やまんばは、今朝の起きがけ、ふと何かが浮かんだ。たいていネガティブなことだ。
いつもなら、
「これは問題だ。そうならないためには、あーしてこーしてこーやって。。。」
と考えてしばらく布団の中でもぞもぞしている。
しかし今朝は、
「あ、また来たな」
と、そのふと浮かんだものを相手にしなかった。
ものの数秒でネガティブな考えは消えていた。
どーも、思考ってそんなよーなもんね。
ふと浮かんだものが、いつものパターンバージョンなら、「あーほれほれ」って、そっとしておいてあげよう。そのうち存在できなくなって消えていきます。
そっとせずに乗っかると、自我がよろこびます。
生きてるぜー!って実感がもてます。
ドラマが始まります。
しかし自我さんに問題の解決はできないようだ。過去の前例をアテにするしか知らないからだ。
すべては流転している。いっしゅんとして同じものは生まれて来ない。であるならば、過去の前例を使うことはもうできない。
頭の中でぐるぐるして穴を埋めようと力こぶ作れば作るほど、エネルギー消耗するだけだったのねん。
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