2012年12月23日日曜日

思考をあなどるなかれ(エアー法則4)



その「あーでもないこーでもない」「あのやろうこのやろう」的思考は何を生み出すか。

思考は常に思考したがっている。それは思考さんが思考をしてもらわないと、自分が消えちゃってこまるからである。だからなんでもいいからその時にマイブームになったものにしがみつこうとする。

誰かにいらっとしたときなんか、思考さんは大喜びでその思考にとびつく。んでしがみついて考えれば考えるほど、その誰かのことが気になって、欠点ばかりが見えてしまい、誰かさんは欠点だらけに見え、その存在自体がうとましくなる。
これが思考のパターンであることに着目しよう。小さな問題が、それに集中すればするほど大きく育っていくのだ。

実はこれ、自分に対してもまったく同じことをしている。
自分の失敗に気がつく。するとその失敗のことばっかり考えてしまい、後悔と懺悔の気持ちでいっぱいになる。そのまま思考に突入すると、たいてい自分の欠点ばかりが見えてくる。「そういえばあの時もそうだった。この時もそうだった」でてくるでてくる山のような自分の欠点。。。その欠点だらけの自分に嫌気がさし、その存在自体がうとましくなる。

この思考さんのパターンにはまって何がおこっているか。
エネルギーの消耗である。

私たちは「考えるといいことがやってくる」という小さい時からの洗脳のおかげで、常に何か考えていなくてはいけないとおもいこんでいる。思考そのもののリスクを考えない。(そんなもん、教えてもらってないからだ!)
だがその考えによって多大なるエネルギーの消耗をしているのだ。その消耗たるやヒマラヤのごとし!(高尾山よりすごいやろ?)

気がついたらえんえんとそいつのことを考えてないか?
夢にまで出てきてうんざりしないか?
気がついたら自分の心配事を考えていないか?
夢にまで出てきてうなされないか?

考えても答えなどでない。出せると思って考え続けているんだろうが、おあいにく様。そこに答えは見出せない。なぜならそのとき完璧に感情的になっている。冷静であるとは感情的ではないということ。感情的なまま、いいアイディアは出ない。もし出たとしてもそれは後ろ向きな答えでしかない。後ろ向きな答えはいい結果を導き出せない。どっちにしろ心は意気消沈し、多大なエネルギーを消耗し続ける。と、リチャード・カールソンやエックハルト・トールや津留晃一さんは言う。
答えはその先にある。

だけどその前に、どれだけそれに力を注いでいるか気がついていることなのだ。
その心配ごとに一日のうちどれだけ心を注いでいるだろうか。いつか答えが出ると信じてひたすらぐるぐる考え続けていないだろうか。その間どのくらい力を注いでいるかイメージしてみてほしい。その力の注ぐ方向は、骨折り損のくたびれ儲けなのだ。

これが今私らの世界に起っていることのようだ。人々は考え続ける。考えたら何とかなると思い、ゆれうごく感情的な心を引きずりながら、必死で考え続けている。その結果、心も身体も消耗し、疲れ果て、人生をなげき、自暴自棄になる。その先は精神的な病いや肉体的な病いへと、目には見えないはずの思考の成果が、目に見えて現れてくるという現象が起き始める。。。

思考をあなどるなかれ。

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