2011年9月12日月曜日
自分の価値をお金で決める
あなたの価値をお金に換算してみる。。。そんな恐ろしー番組があった。なんのことはない、銀行からお金を借りるのに、今のあなたの状態から、どこまでお金を借りられるのか、というものだ。
なのに、何となく番組のトーンとしては、「あなたの価値はいくら?」というニュアンスがある。まるで銀行さんがあなたの価値を決めてくれる、と言わんばかりである。
やまんばは、銀行さんとはてんで縁がない。イラスト料を銀行に振り込んでもらい、それを銀行から下ろす。そんなことぐらいにしか利用させてもらっていない。ましてやそこで自分の価値をはかってもらうなどと。。。おお、おそろしー。
査定する人は聞く。あなたの収入は?現在その業界においてのあなたの位置は?資産はどのくらい?不動産は?金の延べ棒はいくつもっていますか?持病は?コレステロールは?数値はどのくらい?お酒は飲みますか?おつきあいは週にどのくらい?お金の管理は奥さん?それともご主人?矢継ぎ早に突っ込んで聞いてくる。それに応えるタレント。査定人はフムフムと物知り顔で話を聞く。
き、金の延べ棒。。?そんなもん、もってて当たり前なんか。。。
査定さんの話を聞く限り、やまんばには何の価値もないとみた。たぶん0円だろう。ふはははは~。
ようするに、価値と言いながら、銀行さんにとっての価値なのだ。
「こいつに金貸したら、どんだけもうかるか」
という価値なのだな。ところが世の中はいつのまにか、何でもお金で価値判断をする、という様な風潮が出来てしまったために、自分の値段を付けてもらうことがなんだか重要になってしまった。
人=お値段
人の価値をある一定のものだけではかる。なんじゃそりゃ。
銀行の査定さんがもっている物差し。不動産、健康、仕事の位置。ほとんど物質的なものじゃないか。
人ってそれだけ?
その人がもつやさしさや、気遣いや、感性や、情緒や、おおらかさや、ユーモアや、臨機応変さや、人への理解力や、その人独自がもつ空気感のようなもの、その他、山のようにある、数値で証明も立証もできないものでいっぱい満たされた人間を、単なる目に見えて明らかなものだけではかるのか?自分の年収でもって自分の価値を決めるのかい?
インターネットのホームページにはだいたい隅っこに「私の年収って低いの!?」ってなものがある。そーやって危機感をあおってくる。
おお。他と比べて低いわい。それがどーした。
ジョーダンみたいな単純なはかりで決める最近の価値基準パターン。そう笑ってもいられない。落ち込んだりすると、自分の価値をだいたいそんなところで無意識に測ってしまうものだ。「ああ、オレってこんなちっぽけな安い価値の人間なのさ。。。」
やがてそれが習慣になってしまい、ことあるごとに「おれはだめだ」と、自動的に考えてしまう。フッと自分を笑ってこの世を斜に構えて見る。つらくなると「こんな世の中だし、オレもこんなふうになる」なんて言ってみたりする。
それは事実とは全く違う。
空気を読めるあなただし、それってやさしいってことだし、ボケと突っ込み入れて人をなごますし、人の悪口もあんまり言わないし、人の失敗も「ま、しゃあないか」と受け流せるし、街の中で風を感じて楽しめるし、家族のために頑張ってみたりする。そんな豊かな心の持ち主なのだ。
それをお金で測って、自分をいやんなるなんてもったいない。
やまんばの価値はお金に換算すると0円だけど、「やまんば」っていう価値はあるんだ。
絵:「サクサクわかる世界経済の仕組み」MF新書表紙イラスト/こりゃおもしろいよ〜!
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4 件のコメント:
いくつか転職したけれど、給料希望するのは、いつも困りましたね。
つい日本人になって、「おいくらでも!」ってなっちゃうんですが、そうやって、その会社の相場より安く雇われちゃったこともあるし・・。
まぁ、外資系の場合は、多少のホラ吹いて、年棒高く要求して、入っちゃったあとは、口八丁でごまかしちゃうくらいのやつの方が偉くなる傾向のようです。
運が良ければ、評価上がって、さらに給料上がって、次の会社で更にいい条件で雇ってもらえる。って感じ。
そーゆーやつ、世渡りじょーずの罰当たりっちゅうんじゃあ〜。
ぱぱさんの価値は、お金では換算できない。お酒で換算する。(あれ?ちとちがうか)
「世渡りじょーずの罰当たり」
私らの会社では、褒め言葉だよね(笑)
お酒で価値・・・最近さがっとるねぇ・・。
別にあげんでいーから。。。
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