2011年8月12日金曜日
何でみんな東を向く?
なんで植物は東に向かって伸びるんだろう。
地場いキュウリも、カボチャも、サツマイモのツルも。インゲンのツルのさきっちょも支柱を超えてしまい絡まるところを見失うと、東向けに空中を泳ぐ。み〜んな東の方向にいきたがる。
畑の管理人やまんばとしちゃ、「そっちは隣の畝!そっちいっちゃだめなの!」と、方向転換させるんだけど、やっぱり東に行きたがる。
東側に何があるんだろ。太陽を拝むんだろうか。「あ〜ありがたや、ありがたや」と。そしたら、日が沈む西側にだって向かわないといけない。でも太陽が西に沈もうと無視。ひたすら東を拝んでいるようす。ニンゲンだってご来光をありがたがる。同じ太陽がぐるぐる回っているだけなのに、東側から出る太陽の方を尊ぶ。なんでや?
東から出るお日様には、何かこう、スペシャルなビームでも出てるんだろか。生命を活発にさせるようななにか。ときどき何も食わんと生きられるっちゅうお人がいたりするが、そんなお人たちも、朝日を拝み、朝日からエネルギーをもらうって言ってたなあ。水と大地とお日様から栄養をもらっている植物たちにとって、朝日から出るスペシャルビームは、特別な栄養をくれるんかいな。栄養って言うと、物質的だけど、英知みたいなものかもしれんなあ。
やまんばは膝を痛めてしまった。どうも、草刈りに没頭し過ぎて、無理したようだ。うんこすわりのまま、草刈り移動を続けていたのだ。膝に負担が来たんかもしれん。はたはた「おめえ、草刈り過ぎ!」と言うメッセージかもしれん。しばらく畑は草が生えるままにしておこう。秋が来たら、種まきの時に草刈ろう。
そんなふうに思えるのも、畑のおかげだと思う。人も自然もそのままで完璧なのだなあとつくづく思う。意味があって草がそこにはえ、意味があってみんな東を向く。意味があってやまんばは膝を痛める。そこで右往左往してなんとか治さなきゃとあせる必要もない。
自然の姿はそれだけで完璧だなあと思うんだけど、わしらニンゲンだって、この肉体は自然の姿なのだ。背の低い人も背の高い人もみ〜んなそれは個性であって完璧なのだ。何かの基準を設けてそれと比べ、「これは優れている」とか「これは劣っている」と言うのは、短絡的でアホな考えだ。だからそんなアホな考えを止めよう。ひとりひとり全くもって完璧な姿をしているのだ。その完璧なものは、その完璧さんに任せようじゃないの。大自然はその英知でもって、勝手にバランスをとって進んでいく。
今は何でも「怖がれ」という。「何かあったときのために」「自己責任ですよ。なんかあっても知りませんよ」これは暴力のような言葉ではないか。恐怖でもって人の判断を惑わしてくる。
それは薬屋さんやお医者さんや保険屋さんがウホウホ儲かるためのインボーかもしれん。
緊急を要するものは、きっと本能が動く。とっさに動き始めるものだ。
わしらはもっと優雅に豊かに生きていけるんじゃないかなあ。山見て、虫見て、草の匂いをかいで、風の音を聞いて。
やまんばの膝は、今は動くなよ、と教えられているのかもしれぬ。それは、草刈り過ぎと言う事かもしれんし、身体使い過ぎと言う事かもしれんし、もっと他の深い意味があるんかもしれん。ただそれをそのように素直に受け止めるだけでいいんではないかと思うようになって来た。そこで「なんとかしなきゃ」と思うのは、きっとそれに対する怖れと、抵抗なのではないか。
すべての事は思考を離れると、ひたひたと、粛々と、淡々と進んでいくのだ。
絵:「怪談皿屋敷」
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2 件のコメント:
ひざ・・・・申し訳ねぇ・・・。
まあねえ、ぱぱさんが、細かいところの草刈りができるお方だったらねえ。。。
どりゃー、わりゃーって、男らしく刈り上げるのがすきなんでしょ?
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