2011年7月13日水曜日

悪ガキじじいと少女なばばあ




トーキョのど田舎に来て、よくジジババとお付き合いする。み〜んな60過ぎのジジババ。むかし60過ぎたら、カンペキ老人だった。しかし今の60代は若い。いやショージキ言うと幼い。

高尾のふもとのカフェでだらだらと珈琲を飲みながら、意味もなくくっちゃべる。話す内容は、ただの少年である。
車に乗って道歩く若いネエちゃんに「ひゅ〜」と口笛をならすだの、あんなくそじじいんとこの畑にゃ、うんこまき散らしてやったらいいんだとか(だいたいうんこの話で盛り上がるな)、勝手に人の話を膨らませて、物語にしちゃったりとか、「うん、今度宗教立ち上げよう」などとやりもしないのに、妄想ばっかり膨らませてその場を盛り上げる。

なまじっか、世の中の事をそれなりに経験して来たオヤジどもだからこそ、そこまで遊べるのかもしれん。その内容たるや、単なる悪ガキである。いや、世の中を渡って来たからこそ、ぎゃくにたちが悪いのかもしれん。ほんきでやっちゃうかもしれん。

やまんばがいたいけな少女だったころは、60のじじいは、人生の終盤を向かえる静かな人々だと思っていた。ところがどっこい、ここに来て60過ぎのジジババ集団にあうと、じぇんじぇん違うことがわかる。

ほんとはじじいもばばあも、年はいかないのだ。
人は身体が年いくと、勝手に心も年がいくと思い込んでいる。それは幻想だ。心はいつまでたっても変わらないのだ。自分の経験から「世の中はこうだ」とか「世間とはこういうもんだ」と物知り顔でいうけれど、ホントは「世間はこういうもんだが、くそくらえだ」と思っている。だから「こいつにはなに言ってもヘーキだな」と思うヤツがいると(つまりやまんばのこと)、「オウオウ」ってな感じで悪ガキに戻るのだ。

ばばあはばばあで、これまた永遠の少女なのだ。
その話す内容たるや、いつもお肌の曲がり角を気にする(いつ曲がったんや?)し、近所のじじいにイヤミいわれたとフンガイしているし、お気に入りの○流スターの追っかけをやっているし、ハヤリのものには目がない。情報源は、むかしの雑誌「それいゆ」から「テレビユ」に変わっただけだ。

ここらあたりのひとはみ〜んな「○○ちゃん」と、呼び合う。じじいとばばあが、さっちゃん、としちゃん、なー坊、と呼び合う。そーすると必然的に心は、いたいけなあの頃のままなのだ。外見はずいぶん変わったが。

子供は純粋でかわいい。その心は大きな夢を持って膨らんでいるというけれど、そうかなあ。ジジババのほうが、よっぽど純粋でかわいい。なまじっかこの世を渡る術を身につけているが故に、そのファンタジー力は銀河系をも駆け巡っているように見える。そのまま突き進んで欲しい。ニンゲンの底力を見せて欲しい。
老人よ、大志を抱け!


絵:メディアファクトリー新書「なぜ人妻はそそるのか」表紙イラストきゃ〜、えっちい。

2 件のコメント:

まいうぅーぱぱ さんのコメント...

中学ん時の同窓会やると、必ず出るのが「大人になろうよ」とか「どうやったら大人になれるのかなぁ」ってな話・・。
あと7年で還暦(マジッ!!??)だっつうのに・・・。

つくし さんのコメント...

よーするに、みんな大人のフリしているだけの大人なんだな。
大人仮面とよぼう。

じゃ、大人って何さ?てな話になってくる。。。