2011年6月22日水曜日
よし、蛍になろう
夜寝る前に、部屋の明かりを消して窓を開ける。
暗闇の中に小さな光がふ〜わふわと移動する。今年も蛍がやって来た。このところの暑さで急に出てきたのであろうか。いつもの蛍スポットにいくと、去年より多い。きれいな光が川の上や木の下でゆらゆらゆれている。音もなく飛ぶ姿はなんと優雅なんだろう。彼らは今、生を謳歌しているのだな。
そりゃ、パートナーを見つけるために必死で光っているともいえる。しかし、空を羽ばたきもせずとぶタカや、へたくそなのにいつまでも歌ううぐいすなど、彼らの姿を見ていても、単にパートナーを求める理由だけでやっているとは、やまんばはおもえないのだな。ただ飛ぶ、鳴く、光る喜びを楽しんでいるようにみえる。
ほんとは理由なんか、ニンゲンが勝手にこじつけたものなのかもしれない。どうして?なぜ?と聞くからしょーがなく。ひょっとしたら、歌っているとパートナーがやって来たり、光っているとパートナーがやって来たりしているだけなのかもしれない。どっちが先かわからんではないか。
結局彼らにとって一番の理由は、楽しいからなのかもしれない。明日のことを煩うこともなく、過去に引っ張られることもなく、ただ今を謳歌しているだけなのだ。
鳴きたいから鳴く。光りたいから光る。飛びたいから飛び、水に飛び込みたいから飛び込む。ついでにニンゲンもそうなっちゃえばいいんだ。泣きたいから泣き、怒りたいから怒る。叫びたいから叫び、走りたいから走る。飛びたかったら飛び。。。こりゃムリか。
前後左右まわりのこと、近所の手前、将来のため、昇格のため、家のため、死にたくないため、いろんなことが心配で、ガマンして生きているのだ。ガマンするのが大人の姿だと思ってる。
なんだかね。
そんなのがほとほといやんなっちゃったのだ。
と、ここまで書いたところで、
ウチの家の前を幼稚園児が集団で通り過ぎる。
「かえるのうたが〜きこえてくるよ〜」とみんなで大合唱。
すると、突然男の雄叫びが。
「うっせえんだよーっ!」
「なんか言ってみろーっ!5、4、3、2、1ー!」
近所の自閉症の僕だ。保母さんは後ろを振り返り振り返り、園児を連れて行く。保母さんとしちゃ、心配だろうな。なにされるかわからん。
けどその僕の気持ちも分る。私も言いたい。だけど言ったら、保母さんも子供もおびえることになる。どっちの気持ちも分るからどっちもやれないわけだ。するとやりたいのにやれないというジレンマが起る。それがガマンになる。
どっちにもつかないことだろうな。この人間界の価値観の中に、どっぷり浸からないことなんだろう。その価値観を外から見るようになれたらいいな。だって蛍もタカも人間界の価値観にいない。「心配」なんて言葉もないかもしれない。だからただ今生きる。
よし、やまんばも蛍になろう。
絵:似顔絵「森毅」
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3 件のコメント:
左様、それ程に自然に生きるっちゅうのは難しいってこってすね。。
怒鳴った親父も自然だし、我慢したTsukushiさんも無理してないから自然!
しかし、何でそんな夜に、ホタル見ながら、かえるの歌を歌ったかなぁ・・・。ちょっと不自然・・。ヤミを怖がったか??に、してもホタルの歌とか色々あるだろに??
あれ?
ごめん。時間を言うのを忘れてたよ。「かえるのうたが〜」は、お昼間でした。
なるほど~。
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