薬と肥料は似ている。
化学薬品は、即効性がある。
化学肥料も、即効性がある。
漢方薬や民間療法は、遅効性である。
有機肥料も、遅効性である。
どちらもゆっくりとじんわりと効く。
漢方薬や民間療法、有機肥料は、化学肥料や化学薬品とは違い、あからさまな副作用はないから安心である。。。らしい。(漢方薬はちょいと副作用がある)
緊急の場合には科学的なものはとても有効。しかし副作用の多いものを「使い方次第」と言う名のもと、長く続ける必要があるのだろうか。一時期の重い症状が薄らいでくるなら、今度は漢方薬、そして民間療法に移行していくという手はある。だがそれでも完治しないかもしれない。なぜなら、元々その病いを作ったのは、だいたいにおいてストレスから来ているものだ。だとするなら、最終的には、その人の心に抱えたものを解きほぐしていく事がだいじじゃないだろうか。
民間療法やって、自然農の野菜を食べる。それで人は元気になる?
けっきょく、それも薬と同じ感覚だ。何かすがっている。
ちまたにありとあらゆる「これが効く!」というものがはやり続けるのは、人は何かが自分を救ってくれる、と信じているからだ。しかし納豆や、アガリスクや、バナナや、乳酸菌や、紅茶キノコがほんとうに救世主なら、今の日本人はここまで病気がちではないはずだ。たいていはしばらくやって、だんだん飽きてきて、
「効かないわね。。。最初は効いたのに。。」
といいつつ、テレビでまた新たな流行を見つけては
「あ!これいい!」
とスーパーに走るのである。
たぶんこう言う事だ。
人は新しいものの使い始めは、心が高揚する。それはテレビや雑誌で与えられたイメージを自分の中で再現できるからだ。だから心が活性化して生き生きとし、身体の調子も良くなる。これは恋愛が成就した瞬間と似ている。最初のうちは心が高揚して元気はつらつだ。しかしだんだん相手の事が見えてくると倦怠し始める。紅茶キノコとの恋愛もだんだん飽きてくる。すると心が活性化せず、また同じ身体の調子にもどる。
「やっぱりこれ、ちがってたのね。。。」
と、ため息をつきつつ、うつろな表情でテレビを見ていると
「奥さん!やっぱりこれですよ!」
と新しいものが登場する。
「今から30分以内にお電話を!もれなくお得が着いてきます!」
そしてまた新しいものに飛びつく。。。の、くりかえし。
これがだめならあっち、それがだめならこっち。そうやってぐるぐる旅をし続ける。
これは宗教も似ている。心のよりどころをありとあらゆるセミナーでほぐしてもらいにいく。しかしすっきりしない。だからうろうろ旅をする。そしてあまりのきつさに心療内科に通う。だがそれも薬というものに頼る事になる。長く飲めば、やがて身体の調子も悪くなるのかもしれない。そしてまたあらたな薬をもらうことになるやもしれん。
結局のところ、その悩みは自分の中の、超個人的な問題(といっても実は心の習慣)にふりまわされているだけのことなのだ。だから自分が何を怖がっているのか、何を嫌っているのか、なぜそれを怖がるのか、なぜいやがるのか、その心の動きとじっくりかかわりあうことだけなのだ。それを見ないで、外にばかり答えや救いを求めても、最初はオッケーでもそのうち倦怠がやって来て、もとのもくあみ。
人はたいてい、同じパターンの中でモノを考えている。パブロフの犬のように、「肉」を見たら「よだれ」がでる、くらい単純なパターンの中で、心を振り回されている事に気がつく事だ。
何にいつも反応する?
動揺するものは何?
いつもなにを心でぶつぶつ言っている?
誰が気に入らない?
なんで気に入らない?
その根拠は何?
じゃあ、その価値観はどこから来た?
その価値観は絶対的なものなの?
時代とともに変わってない?
心は、とてつもなく可能性を秘めていて、そしてまた巨大な問題も作り出して来るのだ。
4 件のコメント:
疑い。ってのがいけないんでない??
信じて食べれば、何でもいい感じがします。
信じて食べたんだから仮に食中毒になっても
文句言わない!!
信じて飲めば、メリケン粉でも効きます!
って、言い過ぎか・・・。
イワシの頭も信心から。人は信じる事によって救われます。。。とはなれないよねえ。
よっぽどの洗脳がない限り、信じたってやがて、これってなに?と疑っちゃうでしょ?メリケン粉ではどーしても酔いきれないけど、「ビール」だと信じて飲めばよっぱらっちゃう。人はイメージに翻弄される。メリケン粉を炭酸で溶いて瓶ビールに入れておく。すると酔うかも!いや、味で気がついちゃう。。
信じさせるためには、見た目、味、におい、間でもそっくり同じでなければいけない!
。。。って、そんな話だっけ?
ふと気が付くとここにいた・・・。
それが人生ですよ!!(笑)
ふ。。。深すぎて。。。。
ものすごい深い事言ってくれちゃいましたねえ、ぱぱさん!
それだー!
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